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SNS上では共感できる時だけ反応くれたらいいのよって話。

これはもう、SNS媒体で何かを発信する以上、避けては通れないことなのかもしれないのだけど…

YouTubeで「badボタン」が消えて
「goodボタン」だけになったように

SNS上では、その発信に対していい感情が湧いた時にだけ反応を残せばいいと思うんです。

「これは別に貴方一人に向けて発信した内容じゃないから、貴方があんまり理解・共感できない時、それをわざわざ伝えてこなくていいの。そういう奴もいるんだな、でスルーしてくれりゃいいの。」

って(noteではない別の)SNSを使ってた時にすごく思ってて。

貴方と私が対面でしゃべってるなら、理解できない時それをぶつけてきてくれて全然いいし、それは「会話」として自然。

だけど、SNSは貴方への発信じゃなくて、理解・共感してくれるどこかの誰かに届いてほしくての発信だったりするんですわ(少なくとも私は)。

そういうときに、
まったく求めてないコメントを残されることは

…すごくストレスを感じる。
よくない発信をしたと自己嫌悪にもなる。

念のためですが、
これはまだ私にとって「noteでの話」ではないです!!!noteではそもそも私そんなにコメントを頂く状況じゃないし、そんな理解度ゼロのコメント頂いたこともないですし…
あくまで、別のSNSで感じてたこと。

そこでのフォロワーさん達との関係性は、どうにもこうにも「仲良くしたい人が投稿したら何かしらコメントは残すもの」とか「いつも私にコメントくれる人だから、たまには私もその人にコメントしなきゃ」みたいな暗黙の…関係性維持のための何かがあって…

ゆえに、

さほど理解してないコメントも増える。

共感したからコメントくれるんじゃない。
私が投稿したからコメントくれる状況。
(大変失礼ながら、おじさまに多い)

そして、

共感できなかったら「そんなの思ったこともないな〜」なんてわざわざ言ってこられたり、「大変そうだけど頑張って!」なんて軽々しく励まされたり。

そんな反応を目にするたびに…
私は「ああ、書かなきゃよかった」という気持ちにさせられて、それをくり返すほどに、何かを発信しようとしても「いや、これ書いたらこう言われそう」と先に自分でブレーキかけるようになって…

本当は、届くべき誰かに届くかもしれなかった話も、数名の誰かの反応を予防してお蔵入り。

なんてこった。

でもこうやってグダグダ想いを綴りたいのが私だから、noteを新規開拓して逃げてきました。(というか、内容によって使い分け)

届いてほしい誰か、
の目にいつか留まるようにするには
限定された人への表示にするわけにもいかず。
でも
実際問題、誰でも見られる状況は
見てほしくない人の目にも留まるわけで。

せめて…
スルーしてほしい。
あなたの反応で、私の書く気を削がないでほしい。

大事なのは「暴言や批判だけが嫌な反応ではない」ってこと。よかれと思っての言葉でも、受け手は「そういうこと言ってほしいんじゃないんだわ…」と感じた時点でマイナスな気持ちなのです。それに返信することもきつい。

こんな話も、そっちでは書けないのでね…
そのSNSは、仲良しコミュニケーションをとりたい時に使うのがベスト。

「何言ってんだこいつ」と思われそうなことをとりあえず長々書きたい時は、noteがベスト(笑)

いつもお付き合いくださる皆様、
この危うい話を偶然にも読んでしまった貴方、
最後までありがとうございます…!

反論の心はどうかすみませんが、美味しいお茶でも飲んで、トイレに流してくださいね。

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