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現代におけるベートーヴェン演奏の難しさ

東京交響楽団のライブ中継を見た。

東響は定期演奏会をニコ生で無料ライブ配信している。
これは画期的な試みだ。N響ですらライブ映像の配信はしてない(ラジオのみ。それも収録が増えてきた)。

無料の恩恵にあずかりながら不満を述べるのは無粋だが、今日のロレンツォ・ヴィオッティ指揮の「エロイカ」(ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」)は聴いていてストレスを感じる演奏だった。

まだ33歳の若手だから仕方のない面もあるだろうが、一番の不満は「いったいこの曲をやる意味は?」だった。

後半がR・シュトラウスの「英雄の生涯」で(それは見なかった)、単に“英雄”つながりのノリで選んだだけなんだろうか。
「エロイカ」が前半というだけで重厚感を期待してはいけないのがわかったが、「この人、ベートーヴェン好きなんだろうか?」と思ってしまった。

魅力的なベートーヴェンを振れる指揮者がだんだん減ってきた。
ピアニストは「モーツァルト演奏の難しさ」をよく語る。「音楽がシンプルすぎて誤魔化しが利かない」からだ。
ベートーヴェンのシンフォニーにおいてもそれは言えそうである。
私なんか聴き比べにやたらと凝るタイプではないが、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの古典派は大好きなので、ロマン派や近代の音楽よりだいぶ辛い聴き方になる。
ブルックナーなんてハース版とノヴァーク版の違いもわかってない“音痴”なので、「ブルックナーはこうでないと!」というまでのこだわりはおそらくない(マーラーはあるはず)。

録音に慎重なピアニストの内田光子がその理由を問われ、「だってCDショップに行けば山ほどCDがあるじゃありませんか。私はどうしても自分の解釈でこれだけは残しておきたいというものしか録音しません」と語っていた。
私が音楽家に期待するのは個性である。お金を払ってチケットを買い、わざわざ電車を乗り継いでコンサートホールまで行って、それで「エロイカ」の最初の1、2分を聴いて、

なんだ!これなら家でカラヤン聴いてればいいじゃん!

と思わされたときの絶望感(カラヤンはあくまで一例です)。

自宅でCDで聴けるような演奏を50分も聴かされる。私にはしんどい時間でしかない。

今日のロレンツォのエロイカはよかった楽章順に3→4→1→2。

スケルツォは軽快にサクサク、推進力があれば問題ない。
フィナーレもまあ勢いがあれば何とかなる。

問題は第1楽章と葬送行進曲。これがかなり難しい。
アマオケでも同様だと思う。マーラーやブルックナーは大編成のオケが鳴っていればそれなりに感動するが、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを教科書みたいに模範的に演奏されても聴いてる方はつまらない。

「楽譜通りの演奏」というのが巨匠時代の終焉とともにやたらと持て囃されるようになったが、そろそろ限界が来ているのではないか?
はたして聴衆は「楽譜通りの演奏」を聴きたくてわざわざコンサートに来ているのだろうか。
私が芸術に求めるのは「美」や「感動」である。他のお客さんにとっても「楽譜に忠実<感動」ではないのか。

それなのに指揮者が「楽譜通りに再現すること」にばかり囚われている気がする。
それはあたかも100点満点を目指す生徒の姿勢で、その視線の先に聴衆はいない。

個性のなさは囲碁や将棋においても深刻で、一部の意欲的な棋士を除いてはAIが推奨する手を打ち(指し)たがるので、棋風(棋士の個性)がなくなってきている。

囲碁将棋は勝つが一番の目的だからそうならざるをえない面もあるだろうが(とはいえ、いずれは強さより個性を楽しむ時代が来るような気がする)、芸術において個性が乏しいのは嘆かわしい。

私がストレスにすら感じるのは、はなから個性を表現する気が薄いからである。
個性的な音楽を志向したものの、アンサンブルがうまくいかなかった方が私にはよっぽどいい。

「エロイカ」の第1楽章は長大だから、意識的に音楽を組み立てないと「ただ長い話を聞いてるだけ」になって飽きる。
ベートーヴェンの音楽は交響曲第2番から「エロイカ」にかけて驚異的な進化を遂げたのに、ヴィオッティの音楽を聴いてても全然そんな驚きを感じない。
サクサクスピーディーに進むだけのよくある今どきのベートーヴェン。

葬送行進曲なんてさらに悲惨である。
チェリビダッケなんて相当スローテンポで深刻にやっているし、最近のカーチュン・ウォンも思い入れたっぷりに振っていた。
特に表現したいことを持たない指揮者はおそらく「楽譜に書かれたテンポの指定が速い」というだけの理由でサクサク演奏させる。「ハムレット」を倍速で見ているような違和感がある。

この音楽はある程度ゆったりしたテンポでやるべきではないだろうか。ベートーヴェンが書いた音楽は深刻なのだから、テンポが速いとまったくノレない。
チェリビダッケの葬送行進曲なんてかなり物々しい。だから現代では敬遠されたり、人によっては「時代がかっている」と笑い飛ばすかもしれないが、ベートーヴェンの音楽自体がそういうテンポを要求しているように私には思えてならない。

ヴィオッティのような指揮者には「いったいどういう音楽を作りたいのか?」と質問してみたい。
「ベートーヴェンの楽譜にはこういうことが書かれていて、作曲家の意図はこうなのだ」という返事が返ってくるだろうか。

作曲家の意図を尊重した、楽譜に忠実な(だけの)演奏なんて山ほどCD(サブスク)で聴けるんです!

私がわざわざお金を払ってコンサートホールまで足を運んで聴きたいのは、一期一会の未知な音楽。

え!ベートーヴェンってこんな音楽だったの!
初めて聴くみたい!ドキドキ!

そんな新鮮な感動を味わわせてくれる音楽家を応援したい。

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