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余はいかにしてクラオタとなりしか

リクエストがあったので、私がどのようにめんどくさい?クラオタになったのかを書いてみます😅

私の両親は特別音楽が好きな人ではありませんでした。

嫌々付き合わされた家族旅行の車内で、父が中西圭三のカセットをかけていたくらいなものです。

クラシックのクの字もない家庭でした。

でもなぜか、小学1、2年のときにエレクトーンを習ってました。
水泳もやってたので(下手でしたけど)、母がやらせた習い事のひとつだっただけです。

エレクトーンは好きでも嫌いでもなくやってた感じです。先生は優しかった記憶があります。

小学校の音楽鑑賞会で、弦楽合奏団の「四季」や、贅沢にもハープの吉野直子さんを聴いた記憶があります。

でも、塾の疲れもあり、寝ちゃってました😅

私は両親がクラシック好きだったり、自分が長い期間楽器を習ってたりしたわけではないんです。

突然変異でクラオタになりました😅

小学校のときは米米CLUBの「浪漫飛行」やチャゲアスの「SAY YES」が流行っていました。

私は音楽そのもののよさがわかっていませんでした。
ミュージックステーションの話で盛り上がっているクラスメイトを見て(まだ携帯がなく、みんながテレビを見ていた時代です)、私も大人になったらMステの面白さがわかるのかな〜と思っていました。

中学受験して私立の中学に入ると、流行りについていこうと思ったのか、ヒットしているCDを買うようになります。

初めて買ったCDはWANDSの「時の扉」。縦に細長い8cmCDの時代です。

懐かしい!笑

なぜかm.c.A.Tにハマって、CDを何枚か買ってました(理由は不明です笑)。

クラシックとの出会いは中学2年のときです。

音楽の非常勤の先生が(キツネ目で色白の若い男性でした)、授業終わりに3大テノールのルチアーノ・パヴァロッティが歌う「誰も寝てはならぬ」(プッチーニの歌劇「トゥーランドット」の有名なアリア。荒川静香さんのイナバウアーで流れた曲です)のレーザーディスクを見せてくれたんです。

キング・オブ・ハイC!

これが衝撃でした。その場から動けなくなってしまいました。
授業終了のチャイムが鳴り、クラスメイトが帰り出しても、そのまま最後まで見ていました。

当時、何かのCMで使われていたかもしれません。初めて聴く感じではありませんでした。

それがきっかけでクラシックに興味をもった私は、学校の最寄り駅のそばにあったレンタルCDショップで(当時はTSUTAYAとかまだなかったかもしれません)CDを借り始めました。

J-POPも借りましたが、小さなクラシックコーナーで「アダージョ・カラヤン」とか、話題になっていたコンピレーション・アルバムを借りたりしました。

一世を風靡

次の転機は16歳のときです。

私は高校を半年で中退し、家出して新聞販売店に住み込みで働いていました。

16歳なのに、手取りで20万以上もらえてました(営業成績がいい月は25万以上)。
いかに日本が貧しくなったかわかりますね😂

クラシックの知識を身につけようと、本屋で見つけた『レコード芸術』を毎月買い始めます。

当時の表紙は似顔絵

パラパラと読んでいて、異彩を放つ文に出会いました。

それが異色の音楽評論家・宇野功芳との出会いでした😅

クラオタの神

そこで吉田秀和にハマってれば、人生が変わったかもしれません😅

宇野さんの文章に魅了された私は、彼の著書も読むようになりました。

最初に買ったクラシックCDはたぶん『レコ芸』を買い出す前で、カラヤン/ベルリン・フィルの「運命」「田園」。

「カラヤン文庫」という廉価シリーズでした。

クラシック界の大スター

カラヤン/ベルリン・フィルでベートーヴェンの交響曲9曲をすべて揃えたものの、当時は「エロイカ」の良さも全然わかりませんでした。

当時、『ぴあ』も買っていました。

『ぴあ』は映画、J-POP、クラシック、演劇、古典芸能、美術展などの情報が詰まっていて、『ぴあ』を毎週読むことでずいぶん芸術の知識が増えました。

そして、運命の1997年7月9日!

最初に行ったコンサートが宇野功芳だったんです😂(もしかしたら中学時代に友人と「第九」に行ってたかもしれませんが)。

前橋汀子との音源はなぜかお蔵入り

ベト7のラストで、宇野さんはオケの方を向いたまま指揮棒を客席に放り投げたんです。

この瞬間、クラシックの魔法にかかってしまったんですね。

「命をかけた遊び」を目の当たりにしたわけです😁

同じ年、美輪明宏の「黒蜥蜴」を青山劇場で見ました。

明智は高嶋政宏より名高達男!

世相に阿らず、己の美意識に従って生きている美輪さんをかっこよく思っていました。

「黒蜥蜴」は江戸川乱歩原作・三島由紀夫脚本で、美輪さんの代表作と知っていたので、ぜひ見たいと思いました。

これも凄かった!

美輪さんはマルチタレントなので、主演・演出・衣装・照明・音楽・振付・美術と、何でも自分でやってしまいます。

舞台セットは美輪御殿の私物だったりします。まさに美輪明宏劇場なのでした。

クラシックにもお詳しいので、「カルミナ・ブラーナ」の「おお、運命の女神よ」を、黒蜥蜴のアジトがせり上がってくるシーンで使っていて度肝を抜かれました。

演劇は、美輪明宏と蜷川幸雄が私のスターです。

蜷川さんの「身毒丸」も当時話題になっていました。

再演時の写真。初演の藤原竜也は15歳。

「秩父のヤンキー」だった藤原竜也が渋谷でスカウトされ、初舞台を踏んだ寺山修司の作品です。

演劇界の大御所である相手役の白石加代子を、当時の私は知りませんでした。

こちらも凄かった。

以後、美輪明宏と蜷川幸雄の演劇を軸にいろいろ見ていくことになります。

野田秀樹や小演劇にハマるのはだいぶ後になってから。

映画は伊丹十三、テオ・アンゲロプロス、ロビン・ウィリアムズ、歌舞伎は先ごろ亡くなった先代の市川猿之助、落語は春風亭小朝、講談は三代目神田山陽、能は現・梅若実、絵画はカミーユ・ピサロ、杉山寧、文学は古井由吉、ガルシア=マルケス、村上春樹といったように各ジャンルに「推し」ができ、芸術鑑賞の幅は広がっていきます。

それも、美輪明宏の教えが大きいです。

美輪さんは「マルチな人間であれ」とよく言っていました。

新聞を隅から隅まで楽しめる人間になりなさい、と。

私はその教えに従って生きてきた気がします。

初めてクラシックコンサートに出かけてからもうすぐ28年。

こんなに長く続く趣味になるとは思いもしませんでした。

私は「美」と「感動」の本質は何だろう?とよく考えます。

それが知りたくて、生の芸術鑑賞に足を運んでいるのです。

死ぬまでにその答えが見つかるといいです。

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