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南の島でカンバスに向かう画家のごとく

 小学5年生の頃、ヤマヤ先生という校長先生が赴任してきた。
 ヤマヤ先生は油画を描いていて、小学5年の僕は、ヤマヤ先生の描いた絵をみて初めて<油画>なるものを知った。
 高齢で持病を抱えているとのことだったが、背はスラリと高くシャンとして格好よかった。威張ることはけっしてなく、気品というものを兼ね備えた人だった。
 ある日の全校集会で、ヤマヤ先生がこんな話をした。
 「みなさん、自由の意味を知ってますか?」
 当時、僕の小学校では<集団登校>を廃止して<個人登校>が導入された。<個人登校>は別名<自由登校>と呼ばれ、登校を集団から個人へ切り替えたのはヤマヤ先生本人の発案であった。
 「自由は楽なようで厳しいものでもあります」
 ヤマヤ先生は穏やかな口調で語った。”キビしい”と聞いたとき、僕の心のなかでピンと糸を張ったような緊張がはしった。
 「なぜ厳しいかといえば、自由になるとは、孤独になることでもあるからです」
 <孤独>と聞いたとき、なぜか僕は、南の島でひとりカンバスに向かって油絵を描いているヤマヤ先生を想像した。するとその時、僕の心のなかに張られた糸が、まるでギターの弦のように心地よく鳴り出したのである。その音色は、さびしげで楽しく、淡くも深い響きをもった。
 自由とは何か。僕には未だによくわからない。
 ただ、ヤマヤ先生が人間の<自由>と本気で向き合ってきた人だということは、僕にもわかる。そしてまた、<自由>と同じくらい、ヤマヤ先生は子どもたちと真摯に向き合っていた大人でもあった。

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忘れられない先生

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