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安定思考の理系院生がスーパードライ生ジョッキ缶を生み出し、転身してソーシャル・イントラプレナーになるまで(その②)

こんにちは。古原徹です。
先日アップロードした(その①)の記事について、思った以上に「読んだよ」とか「面白かった」とか「共感した」とか、
声をいただきました。
興味をもっていただけて、とても嬉しいです。
最近商談でも「ユウアスのInstagramやYouTube見てますよ」とか言われることが増えてきています。
そういうパターンだと商談の導入が大変スムーズにいくので楽だなぁと。笑
noteも同じようなものかと思うので、
実益兼ねて頑張って書いていこうと思います。
ちなみに、その④くらいまで続く予定です。


アサヒビール復職〜生ジョッキ缶発売

アサヒ飲料からアサヒビールへの復職

2016年の六条麦茶江戸切子デザインボトル
2017年の三ツ矢サイダー矢羽根ボトル
など新規PETボトルの開発を経て、研究所業務においては、ほぼ一人でPM(プロジェクトマネジメント)できるようになりました。

一般的に、技術・生産サイドの部署はマーケティング部門と対立構造(そこまではキツくないですが)になることが多いと思うのですが、
僕の元来の思考回路としてはマーケティング寄りなので、マーケ部と上手く連携しながら短納期で開発をしていく、みたいなことがうまく回っていました。
※同じ会社内で、うちの部署、あの部署、とか言ってるのはナンセンスですよね。

ただ、新規開発ですらルーティン化している感覚があり、
「自分主語」で熱をもって取組める仕事はどんどん減っていました。
このままPETボトルの超スペシャリストになるというのは考えづらく、
次のキャリアどうしようかなとふんわり考えてました。
出す側、受け入れる側の都合があるので、転職でもしない限り部署異動はなかなか思い通りにはいきませんが。
※シンプルな容器関連技術者として僕より凄い人はたくさんいます

そんな折に、人事異動でアサヒビール復職が決まり、
酒類容器の開発に携わることになりました。
入社して以来、8年間アサヒ飲料にいたので、アサヒ飲料マインドが強かったのですが、
復職に対してネガティブな気持ちはありませんでした。
持ち前のフットワークの軽さで、アサヒビールの飲み会にもちょくちょく顔を出していたりしていたので。

アサヒ飲料社で学んだことは沢山あるのですが、二人の上司から言われた言葉は今も金言となっています。

①上司A
自分で考えて自分で実行して自分で成果を出せる仕事が1番面白い。そのためには、会社のために、というマインドではなく、自分主語で生きること。
「1に自分、2に家族、サンシが無くて、5に仕事」
くらいのスタンスで楽しもう。

②上司B
何かを変えられる立場にいるのだから、評論家にならず実行者たれ。

問題が多い社員でしたが、
真摯に向き合ってもらい、感謝しています。

アサヒビールに復職してからは、やはり企業文化の違いが面白かったです。
どちらが良いとか悪いではなくて、違うなぁ、と。
発売する新商品数とか、自社工場と委託工場の比率とか、営業顧客先とか、
事業に関する違いが文化の違いを生み出している気がしました。
同じグループですが、両方経験できたのはラッキーでした。

ちなみに僕は飲み会(での会話)が大好きなので、
何かにつけて飲み会が開催される!
飲み会の日はどんなに仕事忙しくても遅刻はしない!
という観点ではアサヒビールのほうが合っているかもしれません。

スーパードライ生ジョッキ缶開発のきっかけ

アサヒ飲料の立場でアサヒビールを見ていると、
あまり新しい視点の商品パッケージが出てないな、と感じていました。
PETボトルは自社工場内でボトル製造もしている(内製といいます)ので、
飲料メーカーのほうが新しい(新しく見える)取組みがやりやすいのはあるのですが、
それにしても少ないな、と。

実際、アサヒビールに戻ってきて中からみると、
地味だけれど大切な開発が多数行われていました。
ただ、地味が故にわかりづらく、存在感が小さい。

そんな状況や、元々の性格もあり、
アサヒビールで、自分も顧客もワクワクする容器を作ろう!
と自分の業務の舵を切りました。
1年くらいは下積み的に基本を学べる業務をやりつつ、徐々にボトムアップ提案の仕事を増やしていき、
最終的には新価値創造系に業務のリソース全てを、かけられるようになりました。

当時の上司には迷惑もかけたと思います。
勝手に色々やっちゃうので。
あと、これは今も弱点なのですが、定型的な事務処理やサンプル整理などの庶務業務の能力が低く(優先度も低いのですが。。)
実験等の補助をしてもらっていた、派遣社員のみなさまにはかなり助けてもらいました。
いま思い返すと、人に支えられてきたなぁ、と。

面白がって?自由に泳がせてくれた会社とメンバーの器の広さがありがたかったですね。

生ジョッキ缶の着想をしたのは、実は復職してからすぐ。
研修的に色々なサプライヤー(容器メーカー)さんの工場や研究所を見せてもらっていました。

生ジョッキ缶の肝である【泡立ち】の核となる、
内面塗膜の技術を共同開発した
トーヨーケムさん、もその中の一社でした。
↓2022年の記事なのでもう僕はいません。笑

開発初期

トーヨーケムさんの研究所と共同で開発を進め、
「開けたら泡立つ缶」の元となるものは出来たのですが、
その泡立ちをどうしたら顧客価値にできるか、ということは実は最初は思いついていませんでした。
缶の中で泡立たせてからグラスに注いだら、きめ細かい注ぎ方になるのでは!?とかやっていました。
結果としてはあんまり効果なかったのですが。

ある日、実験室で「缶切りで開けてみようかな」と思いつき、
無理矢理キコキコ切ってフルオープンにしてみました。

すると、液面が全てきめ細かい泡で覆われている、
めっちゃシズるビールが登場。
興奮のまま一本飲みました。(試飲です)

缶切り無しでこれを実現するには、フルオープンエンドだ!
とすぐに思いつき、
フルオープンエンドを探すことにしました。
ちなみに海外のクラフトビールなどでは、一部フルオープンエンドが採用されています。
この情報は知っていたのでその発想がすぐできました。
↓泡がないとシズりませんね。

これをこのまま輸入して使ったらいいのでは、とも思いましたが、
海外の資材を日本で使用するのは、
ありとおらゆる面でハードルが高く、断念しました。
設備が対応していない、というのもあるのですが、
切り口が切りっぱなしで鋭い。
怪我のおそれがあるのでこのままでは使えなかったのです。
(シーチキンの缶にそのまま口をつけることを想像してください)

無いなら新しく作ってしまえ!ということで、
様々な製缶メーカーさんに相談。
当時は、試作サンプルも見せることができなかったので、
何言ってるんだろう?と思われたと思います。

なかなかいい返事がなく諦めかけたところ、
今回の共同取組み先の2社目
大和製罐さんと出会いました。

大和製罐さんは元々、食品缶詰用に、
ダブルセーフティーフルオープン蓋という、
切り口がするどくならない、安全性に配慮した蓋を作られていました。
この知見を活用して、ビール用のフルオープン蓋を開発することに成功しました。
細かな改良をいくつも重ね、最終的な蓋ができあがりました。

そしてできた、生ジョッキ缶のプロトタイプ。
ドキドキしながら蓋を開けると泡がモコモコでてきて、
感動したのを覚えています。

ここからがまた大変だったのですが、
長くなったので今回はここまでとします。
その③に続きます。

以下、雑文

なんでそんなに新しいアイデアをポンポン思いつくんですか?
と聞かれることが多いのですが、意識的にやってる訳じゃなくて自然と思いついちゃうんですよね。

おそらく僕の強みとして、
頭の中にある情報の断片を、目の前の出来事(顧客の検討課題や商品提案)に向けて、
カスタム、組み合わせて、新しいモデルに変革できる能力が高いのかなと。
情報は整理されてないのでオモチャ箱状態ですが。

※新しいオモチャが欲しい気持ちは止まらず、今でも日々情報が増えていきます。
でも一つのオモチャに執着しないので、人にもドンドンあげています。
オモチャ交換してくれる人、お声がけください。

で、思いついたらすぐやりたくなっちゃうタイプなので、
今の仕事が〜、とか考えずにとりあえず手をつけてしまってます。
あとで、スケジュールが鬼になるんですが。

先日、隈研吾さんにお会いしたのですが、
同時に数百のプロジェクトを動かしているそうです。
隈さんの建築家、クリエイターとしての能力と人間的な魅力に惹かれた超優秀な社員が沢山いるので、
勘所だけ隈さんが入れば上手くいくんでしょうね。

千里の道も一歩から。
1000は無理でも100くらいは頑張ろうと思います。
まずはまだまだ自分磨きですね。

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