妄想録 便器と使途不明金

便器の横に万札が落ちていた。

去年、喫茶店外にある公衆トイレを利用した時だ。
朝方の通勤ラッシュとかぶって、トイレも個室は満席だった。
10分ばかり待たされ、イライラしていたと思う。

大便ごときになんでそんなに時間がかかる?仕事も遅いやつに違いない。

そんなことを考えながら、自分の腹をなだめすかしていた。

ようやく個室が開くと、小柄の、ハゲたおっさんが出てきた。
肩がぶつかりそうな勢いで横をすり抜け、個室に入る。

すると、便器の横、枯れ葉のようにはらりと一枚の万札。

僕は反射的にポケットにねじ込む。
こういう時、人間の反応というのは正直だ。
しかし、いざ便座に座ると、さっきのおっさんが怒鳴り込んでくるんじゃないかと急に不安になってきた。
1分も経たないうちに、トイレから駆け出す。

早飯早糞芸の内、母が教えてくれたが、初めてその言葉が役に立った。

喫茶店に戻ってから不安は倍増する。
これはれっきとした犯罪じゃないか。
僕は携帯で「トイレ 万札」と検索する。
当然、何もヒットしない。
こういう時、人間の行動というのは面白い。
結局、何度かの逡巡の後、警察に万札を届けにいった。

それから3ヶ月、持ち主は現れず僕は一万円をいただくことになった。

しかし、なぜ個室に万札が落ちていたのか?
当時の状況が気になってくる。

警察は孫のプレゼントでも考えていたのでは、と言っていた。
だけど、わざわざ便器に座って考えるようなことではない。
デスクで同僚や上司と話せば話題のタネになるものを、見えないところでやる必要があるのだろうか。
それに、僕の見たおっさんは、髪の毛や懐だけでなく、心意気も寂しいような印象だった。
孫のプレゼントを考えるような好々爺とした感じとは、どうしても結びつかない。

僕が思うに、キャバクラか風俗の資金でも確認していたのではないだろうか。
人前で堂々と数えるには少しばかり気が咎めるだろう。
だからこそ、完全なプライベートが担保された個室でゆっくり数えていたのだ。
しかし、それでお金を落とすのだからうっかりしている。
彼は、おっさんは目当ての子と遊べたのだろうか。
会計で金が足りない、そんな状況は目も当てられない。
冴えないおっさんといっても、彼の楽しみを奪う権利など誰にあるのだろうか?
これはあまりにもかわいそうだ。

妻はこうも言っていた。
お尻を拭くために万札を出したのではないか。
大喜利を頼んだわけではないが。
それにまず、トイレットペーパーは潤沢だった。
僕は昔、用を足した後に紙がなかったことがある。
その時は、大声で助けを呼び、トイレに入ってきた何某に紙を放り込んでもらったことがある。

話が逸れた。

もしもこの案を採用するなら、彼は金持ちの変態だったということだろうか。
お札に火をつけ、「ドウダ、明ルクナツタロウ」。
成金の挿絵かよ。
そして、日本の紙幣は頑丈で、表面はざらついている。
彼は、括約筋が切れるというスリルを味わいながら万札をあてがったのか。
素晴らしい性癖をお持ちだ。
とたん、さっきまでの冴えないおっさんに尊敬の念が湧いてきた。
彼のことは今後、変態紳士と呼ぶことにしよう。

いずれにせよ、なぜあそこに万札が落ちていたか、本人以外知る由もない。
密室で起きた出来事だからこそ、様々な想像が掻き立てられる。
いっそのこと、企業の面接も「アメリカにピアノの調律師は何人いるか」みたいな意識の高い問いではなく、「便器になぜ万札が落ちていたか」を聞いてみるのはどうか。
思考力、論理力、そして想像力が試される良問になるはず。
TOTOあたりが採用してくれないかな。

「あなたはなぜ、便器に万札が落ちていたと思いますか。」

「はい、彼は、万札で尻を拭くという背徳感、そしてスリルを味わおうとしていたのです。」

初々しい学生がこう答えてくれたら、変態番付でいうところ、幕内には入るポテンシャルがあると判断できる。
まあ、採用はしないだろうけど。


ああもう読んでくれただけで嬉しいです。 最後まで見てくださってありがとうございました!