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反散文と反短歌、その先にある「詩」について|【書評】千種創一「砂丘律」

 歌人であり詩人でもある千種創一の第一歌集が、今月、筑摩書房より文庫となって刊行されました。それが、本書、「砂丘律」です。

 「砂丘」という無機質で非生命的な言葉と、「律」という形式ばった規則正しげな言葉からなるタイトルとはうらはらに、歌集におさめられた歌は、抒情性が豊かで、かつまた、「型破り」なものが多いと感じます。

千種創一「砂丘律」ちくま文庫

 千種創一の詠む歌がユニークなのは、短歌というかたちを(いちおうは)とりながらも、本質的には、反・短歌を標榜しているかのようにみえる、というところにあります。

 そのことは、短歌を短歌たらしめている三十一音という音数の面から、まずは確認することができます。たとえば、つぎの一首。

こぼれたミルクに指をつきたてまだ夏風邪の咳をしている君だった

 この歌を意味的に区切ろうとすると、「こぼれたミルクに/指をつきたて/まだ夏風邪の/咳をしている/君だった」(「8音/7音/7音/7音/5音」)となり、初句・三句が字余り、五句が字足らず。トータルで34音となり、3字の字余りになるわけですが、短歌(5・7・5・7・7)の韻律に沿って読もうとすると、かなり違和感をおぼえるはずです。

 せめて韻律を整えて、「こぼれたミルクに指つきたててまだ夏風邪の咳君はしている」とすれば、31音に収めることも十分可能なはずなのに、千種創一はあえてそれを「回避」しています。

 短歌としてのふるまいを回避ないし「拒否」することは、あるいは「散文」に近づくことを意味するようにおもわれるかもしれません。じっさい、枡野浩一の登場以降とくに顕著になったように、口語短歌は、ともすると「散文」と立ち姿が似てみえる、という背理をはらむことになりました。
 
 ただ、千種創一の歌は、反・短歌を欲望しつつ、同時に散文化への接近をも断固として拒否する、というスタンスを貫いています。あらためて2首、引用します。

僕たちの運ぶ辞典の頁、頁、膨らみだして港が近い
僕たちは狂気の沙汰だ 鍵は落ちて雪の深さへ埋まっていった

 前者の歌では読点(「、」)がつかわれていますが、句読点とは、ほんらい、散文であることのメルクマールです。つまり、文章(散文)を「読みやすく」するための記号であるわけですが、千種はあえてその記号を短歌に取りこみ、その記号性を「無化」することで、短歌の散文化に抵抗してみせます。

 あるいは後者の歌では、「雪の深さ」という部分に着目したい。この歌を散文的に詠むとすれば、たとえば、「僕たちは狂気の沙汰だ 鍵は落ちて雪へと深く埋まっていった」など、「深さ」は副詞(「深く」)にして動詞(「埋まる」)を形容させるのが、ごく一般的な用法になるはずです。

 でも、千種はあえて「雪の深さ」という抽象的な言いかたをすることで、ここでもさりげなく、散文的(=叙事的=日常的)な語法を回避しようとしています。

 つまるところ、反・短歌であり反・散文でもある。あるいは、歌人でありながら短歌に「甘んじる」ことができない。そうしたところが千種創一の短歌の魅力につながっているのだとわたしはおもうのですが、となると、詩(現代詩)へと接近しようとする(せざるを得ない)彼の意思も、ある必然性があるようにも感じられるわけです。

抒情とは裏切りだからあれは櫓だ櫻ではない咲かせない
修辞とは鎧ではない 弓ひけばそのための筋、そのための骨

 「抒情とは裏切りだ」と千種はいいますが、この「抒情」を「短歌」に置き換えるならば、まさにこの歌も、五句の露骨な2字の字足らずによって、「短歌」的規則を「裏切」ってみせていることになります。

 そしてそういう「修辞」は、千種にとっては、けっして「鎧」のような「保身」のための文学的お飾りではなく、「筋」であり「骨」、すなわち、どうしようもできない「身体」そのものであることも伝わってきます。
 
 この歌集は、タイトルにも示されているように、たしかに「砂」を詠みこんだ歌も多いですが、個人的には、「街」という言葉が詠まれた歌に強くひかれるものを感じました。

瓦斯燈を流砂のほとりに植えていき、そうだね、そこを街と呼ぼうか
で、どつちがリアルだと思ふ。ここからの街のあかりとこのたばこ火と

 「街」というのが、「流砂のほとり」に植えられた、地盤の弱い脆いものであること。あるいは、「たばこの火」ほどにも「リアル」さのない、あいまいで儚いものであること。

 こうした歌は、千種が、レバノンという社会情勢の不安定な中東の国(街)に住んでいた実感の暗示的な表現ではあったかもしれませんが、と同時に、短歌という伝統的な定型詩の「不安定さ」をも敏感に察知していたことのあらわれでもあったように感じられるのです。

 どうやら、明日、11月24日には、千種創一の詩集「イギ」が刊行されるようです。短歌という「砂丘律」を抜けだした彼が、どのような詩を書いているのか、こちらも注目したいですね。


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