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東京オリンピック大会エンブレム(パロディと著作権法)

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1 東京オリンピックエンブレム問題

 東京オリンピックのエンブレムについて,日本外国特派員協会の月刊誌の表紙に描かれたデザインが,著作権侵害にあたるとして大会組織委員会から抗議を受ける事件(→報道)がありました。
 抗議を受けた協会は,その後,掲載デザインを取り下げました(→報道)。

 この件については,表現の自由を理由とした擁護論や,風刺だから目くじらを立てるべきではないとの議論と,不謹慎との批判等が交錯する状況であったようにみられます。

2 オリンピック関連の知的財産の保護

 オリンピック・パラリンピックの関連のロゴや表記,エンブレム等は,かなり強固に権利保護がなされており,その使用は法的に厳しく制限されています。
 これは,オリンピックの収益の多くが,こうしたロゴ等の使用に依拠しているためとみられます。

 大会組織委員会が公表している「大会ブランド保護基準(→リンク)」によれば,オリンピック・パラリンピックの収入源の約4割が,大会スポンサー(IOCのスポンサーであるTOPパートナーと組織委員会のスポンサーであるローカルパートナーに分かれます。)からのもので,これらのパートナーには,オリンピックに関する知的財産の排他的な商業的利用権が販売されています。

 では,オリンピックに関する知的財産とは何なのでしょうか。
 これも,上記の大会ブランド保護基準によると,オリンピックシンボル,パラリンピックシンボル,大会エンブレム,大会名称,大会マスコット,ピクトグラム,大会モットー,オリンピックに関する用語,画像および音声等とされています。
 これらの権利は,日本では,著作権法,商標法,不正競争防止法等により保護されています。

3 著作権法上の権利

 このうち今回は,著作権の問題についてみてみましょう。

 著作権は,商標権や特許権のように登録制度を採用していません。
 したがって,ある人が著作物(著作権法2条1項1号)を創作したそのときに,著作権は発生し,著作者に帰属します。
 著作物といいうるためには,「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」である必要がありますが,極論すればそれで足ります(著作権法17条2項参照)。
 もっとも,ある表現物が著作物にあたるかどうかは,常に問題となります。そして,その表現物が著作物であるかどうかは,紛争化した場合には,最終的には裁判所の判断により定まることとなります。

 著作権法のもとで保護される権利は一様ではありません。
 まず,いわゆる著作権があります。
 いわゆる,としたのは,別稿でも書いたように,著作権法が保護する著作権は,「支分権」と呼ばれる権利の束として観念されるからです(著作権法第2章第3節第3款)。
 次に,著作者人格権があります(著作権法第2章第3節第2款)。
 さらに,著作隣接権があります(著作権法第4章)。ただし,著作隣接権は実演家,レコード製作者,放送事業者,有線放送事業者の四者のみに認められる特殊な権利とされており,著作権や著作者人格権とはやや趣を異にします。

4 著作者と著作権者

 したがって,今回問題となったオリンピックエンブレムについては,著作権と著作者人格権が問題となります。
 東京オリンピックの大会エンブレムの著作者は野老朝雄氏です。
 もっとも,大会エンブレムの現在の著作権者は大会組織委員会ではないかと思われます。著作権は譲渡可能な権利であり,東京オリンピックのエンブレム募集要項に,著作権等知的財産権の無償譲渡が定められていたことから,野老氏は著作者ではありますが,著作権者ではありません
 他方,著作者人格権は譲渡可能な権利ではなく,著作者のもとにとどまります。ですから,今回のエンブレムについても,著作者人格権は野老氏に帰属しています。ただし,募集要項において,著作者人格権を大会組織委員会に対して行使しない旨の定めが置かれていますので,野老氏は,大会組織委員会に対しては,原則として著作者人格権を行使できません(このような不行使特約の有効性は別論としてありますが。)。
 大会組織委員会以外の第三者に対してはこのような制限はありません。

5 著作者人格権

 著作者人格権は,公表権(著作権法18条),氏名表示権(同19条),同一性保持権(同20条)及び名誉・声望を害する方法で著作物を利用されない権利(同113条7項)からなります。
 既にみたように,著作者人格権は創作と同時に著作者に原始的に帰属し,譲渡も相続もできない一身専属的権利とされています(著作権法59条)。
 わが国の著作者人格権の保護は極めて強固で,世界的に見ても最高水準の保護を付与されています。
 なぜこのような制度を採用しているかについて,中山信弘東京大学名誉教授は,「著作権法(第2版)」(2014年,有斐閣)の中で,次のように説明しておられます。

 わが国著作権法が強い著作者人格権を認めているのは,著作物とは人の思想・感情の表現であり人格の発露であるという観点を重視したためであろう。現在,著作物の範囲は極めて広く,このような説明がすべての著作物について説得力があるかという点は措くとして,少なくとも従来はそのように考えられてきた(470頁)。

 他方で中山教授は次のようにも述べておられます。

 日本は世界的にも強い著作者人格権を認めているが,果たしてそれが諸外国よりも多くのかつ優秀な著作物の捜索に寄与しているのか,あるいは逆に阻害要因となっているのかという点の検証が必要となろう。…「強い著作者人格権」と「財としての価値」はトレードオフの関係に立つこともあり得るという側面を忘却してはならない。…著作物の経済的価値と著作者の人格的価値とは常に微妙な関係にあり,どちらに極端に傾いても,「創作者の精神的満足」あるいは「著作物創作へのインセンティヴ・利用・流通」のいずれかに歪みが生じ,著作権システム全体としては機能不全に陥るであろう(473頁)。

 「著作権法の憂鬱」の問題がここにも表出しています。

6 同一性保持権

 今回,著作者人格権は問題とされなかったように思われますが,せっかくなのでもう少し見てみます。

 今回の騒動で問題となり得た著作者人格権は,同一性保持権(著作権法20条)です。

(同一性保持権)
第二十条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

 上記20条は,著作者の意に反して改変したこと自体が著作者の人格を傷つけるという認識のもとに立法されており,客観的には著作者の名誉・声望を害する事実がなくても,意に反する改変であれば原則として同一性保持権侵害になる規定となっています。
 こうした規定から,同条は,

 著作者の自己の著作物に対する「こだわり」「愛着」「学術的・学問的良心」という主観的な利益までも保護しているといえる(前掲中山「著作権法」495頁)。

と考えられています。

 もっとも,創作者の意に反する限り,一切の改変が許されないかどうかは一つの大きな問題です。著作権法20条2項にはいくつかの除外規定が設けられていますが,これ以外でも同一性保持権侵害の限界をめぐっては,いくつもの訴訟が展開されてきています。

 また,著作者人格権侵害は民事上問題になるばかりでなく,処罰の対象です。

(罰則)
第百十九条
2 次の各号のいずれかに該当する者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
一 著作者人格権又は実演家人格権を侵害した者(第百十三条第四項の規定により著作者人格権又は実演家人格権を侵害する行為とみなされる行為を行つた者を除く。

 「5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金又は併科」ですから,かなり重い罪です。

 こうした同一性保持権の問題が典型的に問題とされる場面が「パロディ」です。
 パロディの取扱いは,二次創作文化の興隆などとも相俟って,日本の著作権法においてずっと問題になってきている点であり,著作権との関係でも大きな問題です。

7 翻案権

 大会組織委員会に大会エンブレム著作権が帰属しているとすると,今回,大会組織委員会は,著作権のうちどの支分権に基づき,権利主張を行ったのでしょうか。

 それは,翻案権(著作権法27条)と考えられます。

(翻訳権、翻案権等)
第二十七条 著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。

 翻案権とは,著作物をそのままの形で利用する権利と対比されるもので,著作物を改変して新たな著作物を「創作する権利」です。改変される前の著作物が「原著作物」であり,改変されて生み出された著作物は「二次的著作物」とされます。

 二次的著作物も著作物である以上著作権等の権利の対象となり,その権利者は二次的著作者となります。
 しかし,二次的著作物はあくまで「二次的」な著作物ですから,原著作者は,二次的著作物に対しても著作権を有することになります(著作権法28条)。したがって,二次的著作物の利用に関しては,原則として,原著作者及び二次的著作者双方から許諾を得る必要があることになるわけです。

8 著作権法とパロディ

 さて,パロディとは何か,これについても定まった定義はありません。中山教授は,「文芸・美術作品等の原作を模して,あるいは滑稽化した作品を指し,原作を揶揄するもの,社会を風刺するもの,原作を利用して新たな世界を表現するもの等といえるであろうが,これらに限定されるものでもない。(前掲中山「著作権法」402頁)」としておられます。

 パロディは,揶揄や風刺,茶化しの要素を含むことが多いことから,通常は原権利者の承諾を得ることが難しく,それ故に,翻案権侵害,同一性保持権侵害を生じやすいという性質を具有しています。

 他方で,わが国には,本歌取り,替え歌,川柳,狂歌等の慣習があり,パロディは伝統といってもいいと思われます。また,近時は,いわゆるコミケ(コミックマーケット)に代表されるように,新しい二次的創作の風土も育っています。ちなみに,マンガやアニメの二次的創作は,現時点では,著作者や著作権者の黙示又は明示の承諾により行われている状況です(大半は黙示的承諾と思われます。)。マンガやアニメの同人制作は,風刺や揶揄といった伝統的なパロディとも異なり,パロディも十把一絡げにはできない状況になっています。

 もっとも,同人文化もやはりパロディの一種と考えるべきでしょう。
 中山教授の「パロディ論の本質」は,まさにそれを明快に示します。

 パロディの問題は著作権法の存在理由に深くかかわっている。著作権法は著作者を保護することにより,さらなる文化の発展を目指しているが(同法1条),単に著作者を強く保護すればするほど文化の発展に繋がる,というほど単純なものではない。単なる複製の場合と,他人の著作物を利用して新たな著作物を創作する場合とでは,著作権法上の意味は異なっている。後者は,他人の著作物を利用しているとはいえ,社会に対し新たな著作物を提供しており,社会に裨益している面のあることを忘れてはならない。著作権法の理念から言えば,複製のほうが翻案よりも厳しく制限されてしかるべきであり,そのような観点からパロディをみれば,原作を利用してはいるが,新たな創作も行っており,原作の創作者や著作権者と表現の自由や社会一般の利益との調和をより一層考慮する必要がある(前掲中山「著作権法」405頁)。

 少し話がそれましたが,伝統的にも,そして現代的にも,幅広いパロディの文化を有するわが国において,著作権(翻案権),著作者人格権(同一性保持権)に抵触してしまうパロディを保護する権利制限規定は,著作権法には定められていません。

 今回の外国特派員協会による東京オリンピック大会エンブレムの改変は,揶揄ないし風刺の意図を含むものとして,どちらかというと伝統的なパロディに近接するものかと思われますが,これも,権利侵害にあたることになると考えられます。

 しかし,本当に単純にそれでいいのでしょうか。

9 フェアユース

 アメリカ合衆国著作権法には,「フェアユース」と呼ばれる規定があります(同法107条)。
 形式的には著作権,著作者人格権侵害となりうる行為でも,同条の要件を満たす場合には,いずれの権利も侵害しないとするものです。
 同条が定める考量要素は以下の4点です。

⑴ 使用の目的および性質(使用が商業性を有するかまたは非営利的教育目的かを含む)
⑵ 著作権のある著作物の性質
⑶ 著作権のある著作物全体との関連における使用された部分の量および実質性
⑷ 著作権のある著作物の潜在的市場または価値に対する使用の影響

(1) the purpose and character of the use, including whether such use is of a commercial nature or is for nonprofit educational purposes;
(2) the nature of the copyrighted work;
(3) the amount and substantiality of the portion used in relation to the copyrighted work as a whole; and
(4) the effect of the use upon the potential market for or value of the copyrighted work.

 米国著作権法のフェアユース規定は,同国のequity上の衡平の原則に根差すもので,上記の4要素も,法制定までの米国判例の積み重ねを反映したものです。4要素はガイドライン的性格を有するにとどまり,実際にフェアユースに該当するかどうかは,具体的な事実関係に応じて,裁判所が個別に判断することになります。4要素は,のちに著作権侵害として訴えられるかもしれないリスクを創作者や事業者などがヘッジするためのメルクマールとして機能するものといってもいいかもしれません。

 ちなみに,フェアユースに関する有名な判例として,Sony Corp. of America v. Universal City Studios,Inc., 467 U.S.417(ベータマックス事件)があります。
 この事件では,ビデオテープレコーダーによる家庭内録画がフェアユースにあたるかどうかが争われました。訴訟は10年に及び,第1審はフェアユース肯定,控訴審は否定,最高裁が逆転肯定の判断を下した熾烈な裁判でした。
 この判決により,ビデオが広く大衆に普及し,アメリカのみならず世界の映像文化を大きく変えたといわれています。

 こうした一般規定が置かれていること,あるいはそのような法理が存在することにより,形式的には著作権侵害に当たりうるような行為であっても,フェアユースにあたると判断して事業や創作に踏み切ることが可能となるのです。そのリスク判断の結果は,創作や事業化の後に,裁判という場で争われ,決着がつけられます。

 この裁判に創作者や事業者が勝訴すれば,リスクをとった者が救済され,著作権法上の権利者が勝訴すれば,権利者が救済されることになるわけです。利害の衝突が,最終的に訴訟の場で決着されることになるわけです。

 しかし,日本にはこのような規定はありません。

10 日本におけるフェアユース

 日本においても,フェアユース規定の必要性を唱える声は少なくなく,導入が検討され続けています。しかし,今日までその実現には至っていません。

 このため,訴訟上は,既存の権利制限規定の解釈をめぐる争いが主要な争点となることが多くなっています。実際,わが国におけるパロディ関係の唯一の最高裁判例とされるモンタージュ事件(最三小判昭和55年3月28日)も,引用規定(著作権法32条1項)の解釈をめぐる争いでした。

 ただし,伝統的なパロディのように,風刺の要素を含むものについては,政治的な表現となることも多く,このようなケースに関しては表現の自由との関係も問題となります。今回のエンブレム問題も,ある種その領域に接近しているのかもしれません。

 裁判例の中には,こうした点を意識したものも散見されます。
 例えば,上記モンタージュ事件の原審(東京高判昭和51年5月19日)は次のように言います。

問題は、本件モンタージユ写真の作成が本件写真のさきに認定のような改変を伴うので、その利用が著作者の有する同一性保持権を侵害するとして、正当の範囲を逸脱するという議論の成否である。なるほど、その問題を原著作物とこれに依存する二次的著作物との対立として考えるならば、後者が前者の枠内に止まるべきことは著作物の同一性保持権の当然の要請であつて、原著作者の意に反する改変は許されないことになるであろうが、これと異なり、他人が自己の著作物において自己の思想、感情を自由に表現せんとして原著作物を利用する場合について考えるならば、その表現の自由が尊重さるべきことは憲法第二一条第一項の規定の要請するところであるから、原著作物の他人による自由利用を許諾するため著作権の公共的限界を設けるについては、他人が自己の著作物中において原著作物を引用し、これに対して抱く思想、感情を自由な形式で表現することの犠牲において、原著作物の同一性保持権を保障すべき合理的根拠を見出すことはできない。したがつて、他人が自己の著作物に原著作物を引用する程度、態様は、自己の著作の目的からみて必要かつ妥当であれば足り、その結果、原著作物の一部が改変されるに至つても、原著作者において受忍すべきものと考えるのが相当である

 他方,チーズはどこへ消えた?事件(東京地決平成13年12月19日)は,対照的な判断を示します。

表現の自由といえども公共の福祉との関係,本件でいえば他者の著作権との関係での制約を免れることはできず,しかも債務者らとしては債権者甲(著作権者)の著作権を侵害することなく本件著作物の内容を風刺,批判する著作物を著作することもできたのであるから,上記のように解したとしても不当にパロディーの表現をする自由を制限するものではない

 チーズはどこへ消えた?事件の裁判例のようにいわれてしまうと,パロディは,その性質上成立し難いか,あるいは極度に狭い範囲でしか成立しなくなるのではないかと思うのですがどうなのでしょうか。
 これに対し,モンタージュ事件原審は,パロディの本質にかなり留意した判断のように思われます。

 これらに対し,パロディについても,権利制限規定を個別に立て,これまでと同様に立法的解決を図ればよいとの意見もあるかもしれません。

 そうした見解については,中山教授の下記のご見解を紹介しておきます。

 パロディには実に様々なものがあり,また政治的にも微妙な問題を含んでおり,法によって合法なパロディと違法なパロディを区別することは妥当とも思えず,すべきでもない。立法するとしても,「正当なパロディは合法である」という程度の一般的な規定しか設定することができず,結局,裁判所の裁量に大きく依存せざるを得ないことになり,それはフェアユース規定を導入してパロディを認めるのと同じようなことになる。そのような観点からは,アメリカのようなフェアユースという一般規定を設け,その中でフェアユースを扱うことが妥当と考えられる。(前掲中山「著作権法」408頁)

11 最後に

 東京特派員協会の東京オリンピック大会エンブレムの改変問題は,ある種典型的なパロディであると感じられたことから,本稿をまとめてみました。
 念のために申し上げておきますが,私自身は,同協会の今回の風刺に共感したり支持したりするものではありません。敢えてどちらかといえば不快感を覚える方かもしれません。

 しかし,表現とは本来的にそのようなものであり,ある人や場合によっては多数の人々が不快に感じる表現であるからといって,それが制限されてよいことにはなりません
 むしろ,多数にとって不快である表現の方が,社会にとっては有用な表現であることが多い可能性すらあります。正鵠を得た批判は往々にして耳に痛いものです。

 パロディは,こうした耳に痛い表現をわかりやすくしたり,ユーモアにくるんだりする可能性を秘めた表現技法の一種といってよいでしょう。
 そうした表現が,厳格に過ぎる著作権法の規定により制約されてよいかどうか。
 パロディをめぐる議論の核心の一つはここにあると考えられます。

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