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変わりゆくものを、僕はずっと見てきた

あっという間に生成AIが社会に浸透し始めた。その名前を耳にしたのはまだつい最近だとおもっていたのに。少なくとも定型ですむような文章は、遠くない未来には人の手から離れていることだろう。

思い返せばあのときもそうだった。

まだどこのデザイン会社もコンピュータを導入していなかった頃のこと。
僕が勤めていた会社(地方の一広告代理店)のクライアントは主に流通関係で、中でも新聞折込チラシの制作がメインの仕事だった。
チラシそのものは今でもほとんど変化がないのでご覧になったことはあるとおもうけれど、例えばB3サイズの場合、紙面をタテヨコに区切ってそこに商品名、販売価格、商品写真をレイアウトする。他社がどういう作り方をしていたかは知らないけれど、うちの会社ではクライアントからいただく原稿(チラシに掲載する商品名を価格とともに並べたもの)を見ながら実際の仕上がりイメージ通りに原寸のトレーシングペーパーに手書きし、それを写真植字屋に渡すという方法を取っていた。写真は実際のサイズに紙焼きしたものを、写植屋が文字を貼り付けた台紙の商品名に合わせて置いてゆく。この二つを合わせたものを製版屋が撮影し、フイルムにしたものを僕たちがチェックして印刷屋に渡すというわけだ。印刷するには、例えばフルカラーならシアン、マゼンタ、イエロー、ブラックの4枚のフイルムが必要なので、1枚ごとにミスのないようチェックしなければならない。今では考えられないような手間をかけていたものだ。実際これを書きながら、あれはどうやってたっけ、などと忘れてしまっていることもあった。

当時はノートパソコンなど影も形もない時代だったけれど、デスクトップ型のコンピュータは既に世に出ていた。僕が入社して何年も経たないうちに、我が社の所長(本社とは別の営業所だったので)はコンピュータでチラシをレイアウトすることを思い立ち、既に長方形の枠に文字と写真を別々に入れて組み合わせるという方法を思い描いていた。それを知り合いのコンピュータ関連の会社に提案したらしいのだが、デザインとは程遠いところにいたエンジニアは、いまいちイメージができないようだった。もしあれができていたなら、僕がいたデザイン会社は今頃大企業の仲間入りだったろうに、そうおもうと残念な気もする。

そうこうしているうちにAdobeとQuarkという二つの会社が現れて、うちの所長はなぜかQuarkXPressを導入した。

まあそれはいい。

困ったのは、その頃まだ全くコンピュータに触れたことのなかった僕が、その担当にさせられたことだ。ワードプロセッサ、通称ワープロを持ち歩いてはいたものの、それとはまるで違う。まだ誰一人触ったことのないソフトを前に、残業時間も何のその、僕は日夜悪戦苦闘した。

ところで先に書いた写真植字だが、簡単に言うと上から光を当てて下に置いたフイルムに文字を焼き付けるものと考えていただいたらいい。光源とフイルムのあいだに文字盤と言われる碁盤の目に文字が並んだものがあって、写真植字屋は原稿(この場合は僕が手書きしたもの)を見ながら、文字盤を動かしては1文字1文字光を当ててゆく。文字盤は反転した状態なので、その中から必要な文字を探しては焼き付けてゆく。この作業を、文字を打つ、という。チラシの場合、基本、文字間、行間のアキまでは指定しないので、そのあたりは写植屋の技量次第。原稿量にもよるけれど、早い人だとB3サイズ片面くらいなら1日で打ってしまう。例えば有名なファッション雑誌など、その見栄えの美しさからこの写植屋でないと、と言われる人もいたと聞く。なので、これはまさに職人仕事なのだ。

けれど、僕がコンピュータで文字を打ち始めたことで、まず写植屋の仕事が減っていった。最初はB3サイズのごく一部。しばらく経って次はB5分くらい。それからB4。やがて片面全部。
コンピュータを使い始めてから数ヵ月が経って、僕は写植屋に電話を入れた、もうこれで最後だから、と。電話の向こうで五十近い写植屋の親父が、
「いずれそうなるだろうと思ってました」
と暗い声でつぶやくように言った。

その間、印刷会社も確実に進歩を遂げていった。WYSIWYGという概念が生まれたのはもう少し先になるけれど、モニター画面で見たままをフイルムにするにはまだまだ問題が山積していた。画面と印刷物の色の違いはもちろん、画像だけでなく文字のデータサイズなんて何のことかさっぱりわからなかった。コンピュータと印刷機に同じフォントが入っていないとこちらが意図した書体では印刷できない、などということも。僕も印刷会社に泊まり込んでは、どうすればコンピュータでデザインしたものをその通りに印刷できるか、ひとつひとつ問題を潰しながら担当者と一緒に考えたものだった。

コンピュータでデザインしたものを、そのまま印刷会社でフイルムにし印刷する。けれど、それはつまり製版屋の仕事がなくなることを意味していた。

何年か経つと、少し大きな製版屋は自分のところでもコンピュータを入れ、AdobeのIllustratorを導入してデザインもやるようになり始めた。でも個人でやっていた小さなところはそれができなかった。長年それだけでやってきた高齢の人は尚更だ。

ある日僕は上司とふたりで、そんな個人の製版屋に行った。ちょうど選挙の時期で、いつもなら大判のショッピングセンターのチラシの版(フイルム)などが置かれている台の上には、候補者のポスターの色校正(仕上がり具合を確認するためのゲラ刷り)がいくつか並んでいるだけだった。
上司が訪問の意を告げると、上司よりやや年上の製版屋の社長はうつむいてため息をつき、やがてぼそりと、悔しいなぁ、とだけつぶやいた。あのあとあの社長がどうなったか、僕は知らない。

新しいものが生まれ、昨日までこれさえあれば一生食っていける、そうおもっていたものが突然消えてしまったとき、僕らにできることは何だろう? あの頃、写植機一台あれば一生大丈夫、そう言われていたものだった。デザイン学校を出てしばらくして行われた同窓会の席で、写植機を買った、これで一生食いっぱぐれずに済む、と嬉々として語った年上の同級生の顔を僕は忘れることができない。

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