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《ただ一度の生》に目覚め、きっぱりと《若さ》から決別することは・・・

発表年/1968年

この作品は、辻邦生がフランスで想を得て書いた一連の短編小説のひとつです。南イタリアのブリンディジからイオニア海を渡り、ギリシャのアテネへと旅をしながら、主人公である「私」が《生》への啓示を受ける話です。
特別これといったストーリーがあるわけではなくまた、旅の途中でクリスチアーヌとモニクというフランス人の若い姉妹と知り合いになりますが、彼女たちは単に若さの象徴として登場しているのみで、話の中で特に大きな行動を起こすわけでもありません。

最初に、《死》をイメージするようなエジプト人が奇妙な行動をして「私」を不安にさせます。この男はパリからブリンティジの港まで一緒だったのですが、甲板の隅で丸くなって眠っているのを最後に小説の中から消えていきます。それと入れ替わるように、「私」は若いフランス人の姉妹と出会うことになるのです。
旅はブリンティジを出航後、ギリシャのコルフを経てイオニア諸島を巡り、アテネのアクロポリスに至ることになります。そのあいだ、「私」は《生》の意味について、そしてまたあたかも《生》そのもののような(フランス姉妹を始めとする)《若さ》について、あれこれとおもいを巡らしていくのです。

辻邦生さんは、エッセイ集『海峡の霧』に収録されている、1991年に朝日新聞に発表した『ギリシアの旅のあとで』という短いエッセイの中で以下のように綴っています。

(略)その前年の夏、ギリシアに旅し、アテネのアクロポリスの丘を仰いだ瞬間、崇高なパルテノン神殿から光のようなものが身体を刺しつらぬくのを経験していた。その時、美とは「大いなる秩序」なのだという思いに圧倒された。人類が発生し、何百万年して滅亡してゆくその歴史の全体を包み、人間を高いものへ方向づける「秩序」こそが、美なのだ、という思いが、啓示の光のように私のなかに入りこんだのであった。

『海峡の霧』新潮社 II 芸術 音楽 歴史 思想/ギリシアの旅のあとで より

辻邦生さんがフランス・パリに滞在されたのは1957年から61年までで、これはその間に受けた啓示に他なりません。この出来事が、この『ある告別』を含む一連の小説となって結実したものでしょう。
ドラマチックな事件が起こるわけでもない思想小説ですが、アクロポリスや《生》の希求が、次のような美しい透徹した文章で描かれていきます。

 アテネのアクロポリス。その南斜面の、ほとんど醜いまでの岩の露出。わずかの糸杉と竜舌蘭。乾いた地面。その上端にアテナ神殿とプロピュライアがくっきりと青空を切って立っている。そこでは大理石の円柱の白さは純白の輝きとなり、空の青はほの暗いまでの青になる。その白に区切られた青を仰ぎながらプロピュライアに達すると、パルテノン神殿が、灰褐色の典雅で巨大な姿を、遠くの方が遠近法のそれより余分に低くなっている感じで現れてくる。

『ある告別』講談社文芸文庫/城,ある告別: 辻邦生初期短篇集 より

その思想的な部分ももちろんですが、全体を通して描かれるギリシャ・アクロポリスのイメージそのものが、小説の重要なファクターになっていると言って過言ではないでしょう。


【今回のことば】

おそらく大切なことは、もっとも見事な充実をもって、その《時》を通りすぎることだ。《若さ》から決定的に、しかも決意をもって、離れることだ。熟した果実がそうであるように、新しい《時》にみたされるために、《若さ》からきっぱりと遠ざかることだ。ただこのように若さをみたし、《若さ》から決定的にはなれることができた人だけが、はじめて《若さ》を永遠の形象としてーーすべての人々がそこに来り、そこをすぎてゆく《若さ》のイデアとしてーー造型することができるにちがいない。

『ある告別』講談社文芸文庫/城,ある告別: 辻邦生初期短篇集 より

「ある告別」収録作品
・晶文社「異国からー辻邦生短編集ー」1968年
・河出書房新社「辻邦生作品全6巻/3」1972年
・新潮文庫「サラマンカの手帖から」1975年
・講談社文芸文庫「城、ある告別」2003年

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