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NEJを採用することは新たな教育実践をスタートさせることである!

 日本語学校の主任や大学の日本語コースのコーディネータの最も重要な仕事は、教育企画をどうするかを検討し決定することです。教育企画はコースの目的や目標や取り扱う内容を「指定」するもので、学生たちが何をし何を達成しなければならないか、授業担当の教師が学生たちを支援して何を達成させなければならないかを要求します。つまり、教育企画は、コースで勉強する学生たち、コースで学生たちの日本語上達を支援する教師を決定的に縛るものです。コース全体としても、各課や各ユニットでも。そんな教育企画の仕事がこれまでは「教科書を選択すること」に矮小化されてきました。

 これまで日本語教育の最初の学習段階は「初級」と呼ばれていました。「初級」にはすでに「基本として文型・文法の順次の習得」という考え方・教育方略が含まれています。既存の「初級」教科書は「基本として文型・文法の順次の習得」となっていますので、それならば、教育企画は「教科書の選択」でよいと思います。しかし、表現活動の日本語教育では、「初級」というコンセプトではなく、「基礎(日本語)」というコンセプトで教育を企画しています。そして、実際のコースは話題中心のコースで、文型・文法の習得は話題の日本語技量の育成に伴う付帯的なこととして位置づけられています。また、表現活動の基礎日本語教育では、各ユニットの目標が明確で話題の言活動をするために学生が「頼れる」マスターテクスト(ナラティブ)もあるので、学生たちが主体的に勉強することが前提とされ、教師はそれを支援・促進する立場となります。これは、従来の「初級」の教育方法とは大きく異なる点です。従来の「初級」のように学生たちは先生の授業に従属する者、あるいは先生たちが「引っ張らなければならない」者なのではなく、自分で前進する者で、教師は前進しようとしている学生を後押しする立場となります。ですから、教師の「教え方」のスタンスも具体的な指導・支援の活動(≒授業)もこれまでのものとは大きく異なってきます。

 結論。NEJを教科書として採用するというのは、「教科書を替える」ことではなく、新たな教育企画を採用して新たな教育実践をスタートさせることです。これまでの教育企画とは大きく異なりますので、教師も大きく「自己変革」することが求められます。そして、「初級」日本語教育から、基礎日本語教育への変革が起こってこそ、日本語教育は新たなステージに進むことができ、日本語の先生もより高度な専門職となります。「初級」でウロウロしていては、優れた成果を上げることができて、社会からリスペクトされる専門職にはなりえないだろうと思っています。

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