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日本語教育の内容と方法の論じ方について③ ─ 「わたしたちの実践」の創造に向けて

 日本語教育のために、なぜ教師向けの企画・計画書が重要なのでしょうか。なぜ習得と習得支援の考え方も加えなければならないのでしょうか。このセクションではそのようなテーマをめぐって論じます。

1.Scarcella and Oxford(1992)の言語促進活動仮説
1-1 第二言語の習得をめぐる3つの仮説
 第二言語の習得に関しては、以下の3つの仮説が提出されています。筆者流の言葉遣いでごく大雑把に説明します。

 第二言語の習得に関する仮説
1.入力仮説(input hypothesis)
 第二言語の習得を促進するためには、学習者を理解可能な受容的言語活動に豊富に従事させなければならない。
2.産出仮説(output hypothesis)
 第二言語の習得を十全に促進するためには、入力仮説が言うような受容的な言語活動に従事するだけでは不十分で、産出活動にも従事させなければならない。産出活動にも従事してこそ、学習者は整序された(well-formed)発話ができるようになる。
3.相互行為仮説(interaction hypothesis)
 第二言語の習得を有効に促進するのは、学習者を相互行為に従事させることである。相互行為に従事することで学習者は、一方で多種多様な言葉遣いを知って習得することができるし、産出面でもリキャスト(recast、他者による適切な表現への言い直し)を得ることで整序された発話ができるようになる。

 そして、第二言語習得研究では、それぞれの仮説を支持する証拠が提示されています。
 第二言語習得研究に「基づいて」習得と習得支援について議論すると、第二言語の習得のために受容的な言語活動が受容だと考えますか、産出的な言語活動が重要だと考えますか、それとも相互行為が重要だと考えますか、という3択になってしまいます。第二言語の習得全般について、この3つのうちの1つを選ぶことはむずかしいでしょう。また、基礎段階では受容的な言語活動が重要で、中級段階では相互行為が重要で、そして上級段階では産出的な言語活動が重要だと、各学習段階ですっきりと割り切ることも無理でしょう。学習段階をさらに細分化したとしてもやはり事情は同じです。

1-2 言語促進活動仮説
 上の3つの仮説が提出された後の1992年に提唱されたもう一つの仮説があります。それが、言語促進活動仮説*(language-promoting interaction hypothesis、Scarcella and Oxford, 1992)です。同仮説は次のように主張します。
*“Language-promoting interaction”を文字通りに訳すと言語促進相互行為仮説となりますが、そう訳すと相互行為が強調されてしまいますので、あっさりと言語促進活動仮説と呼んでいます。

 この見解では、言語指導を最も有効にするのは、学習者に言語入力(学習者が読んだり聞いて理解したりすること)を与えることでもなく、学習者に言語産出(学習者が話したり書いたりすること)を促すことでもない。言語指導を最も有効にするのは,さまざまな言語的援助(language assistance)を組み合わせることである。この援助は,学習者が言語能力を伸張しなければならないまさにその時に,言語能力の伸張を促す。そうした言語的援助は,言語発達を促すインターアクションとわたしたちが定義する言語促進活動(language-promoting interaction)のコンテクストで生じる。具体的な言語的コンテクストが言語発達に資するとすれば,それは,特定のタイプの言語(原文では「英語」、筆者注)の受容処理や産出処理をさせるようになっているからではなく,その具体的な言語的コンテクストが学習者が援助を必要としているまさにそのときに学習者を適切に援助するからである。(Scarcella and Oxford 1992, p.31,筆者訳,括弧内の英語は原文の用語)

 この仮説は、先の3つの仮説とは趣が異なります。先の3つの仮説では、受容活動や、産出活動や、相互行為など、言語習得のために重視するべき言語活動のモードを指定しているわけですが、Scarcella and Oxfordの言語促進活動仮説ではそのように重要なモードを決めるということはしていません。それよりもむしろ、受容活動であれ、産出活動であれ、相互行為であれ、学習者が「少し背伸びをして」言語活動に参加しようとすること、そしてそのような「背伸びした」言語活動の参加ではところどころで無理が生じるわけです。そのときに、教師がちょうどいい言語的援助の手を差し伸べるのです。学習者が言語活動に参加し従事しようとしていてその最中の必要なときに教師がちょうどいい言語的援助を差し伸べてくれる、そのような様態での言語活動への参加と従事の経験が言語習得を最も促進する、というのが言語促進活動仮説の考え方です。
 上の引用に続いてScarcella and Oxfordは以下のように論じています。

 教師が学習者の言語パフォーマンスの実際の状況を観察し診断する機会は,教師が個々の学習者に対応するときに得られる。個々の学習者に対応する中で,­­教師は学習者のいわば現在進行中の浮揚中のパフォーマンス(in-flight performance)を診断することができる。わたしたちが「浮揚中の」と呼ぶのは,学習者の意思疎通のニーズと学習者の実際の言語産物はインターアクションのコンテクストに埋め込まれているために時々刻々と変化するという事実を指してのことである。…学習者の浮揚中の意思疎通のニーズを診断した後に,タペストリー的教師はその状況に対して最適の援助を用意し与えるのである。(Scarcella and Oxford 1992, p.35,筆者訳,括弧内の英語は原文の用語。)

 先の引用やこの引用を見ればわかるように、Scarcella and Oxfordが関心を向けているのは、実際の教室で言語習得が促進される状況の様態です。先行の3つの仮説の場合のように一般的な基本原理を提示しているのではありません。

1-3 言語促進活動仮説の目線
 言語促進活動仮説は、文型や文法事項などを取り立てて教えるときのことを言っているのではありません。言語技量の強化や増強を(教師が)もくろみつつ学習者が言語活動に参加し従事する状況をめぐって言われています。言語促進活動というものを、言語活動に参加し従事する学習者そうした学習者を適宜に支援する教師との協働活動の状況として捉えているのです。
 そうした言語促進活動では、言語技量を強化・増強するために、語彙面であれ、文型や文法の面であれ、音声面であれ、音声言語と書記言語の橋渡しの面であれ、表記の面であれ、さまざまな面についてさまざまな種類の言語的支援が行われます。つまり、常に学習者の知識・能力に総体として関心を向けて、さまざまな面で必要に応じて機動的に言語的な手当てをすることでこそ、言語技量を総体として着実に形成(強化・増強)できると考えるわけです。Scarcella and Oxfordは、そのような状況と活動様態での経験を豊富に提供することが言語習得を最も有効に促進すると見ているのです。

2.「わたしたちの実践」の創造に向けて
2-1 タペストリー的教師
 第二言語習得研究では、従来の初級段階の教育のように個々の言語事項を取り立てて指導することなどにはまったく関心を向けていません。そういう関心ではなく、第二言語習得の一般原理を明らかにしようとしています。
 そして、そのような一般原理の中では、言語促進活動仮説が、実際に日本語の教育に当たっている教師としては、一番納得できるのではないでしょうか。あるいは、むしろ、他の3つと比べた場合、言語促進活動仮説は、否定しようのない原理を提示しているとも言えますし、実際には何の原理も提示していないとも言えます。なぜなら、どのように言語促進活動の状況を設定するかを教師に委ねているし、どのような局面でどのような言語的支援を差し伸べるかも教師の判断に委ねているからです。
 上の引用内で「タペストリー的教師」という言葉が出ています。Scarcella and Oxfordは、それぞれの学習者が教師から適切な支援を得ながら言語促進活動に参加し従事して言語技量を形成していくことを、タペストリーを織ることに喩えています。つまり、Scarcella and Oxfordの見方では、それぞれの学習者が自身のタペストリーを着実に織り上げていけるように包括的に言語習得を支援することがタペストリー的教師の仕事となります。

2-2 教育の企画・計画とタペストリー的教師
 筆者自身はScarcella and Oxfordの見方に賛同しています。
 そうなると、教育の企画・計画は、タペストリー的教師が言語促進活動を設定して適切な指導ができるように、狭小に言語事項を指定するものではなく、言語活動をユニットとした緩やかなものでなければなりません。また、教材・リソースも、言ってみれば学習や教育指導を展開するためのプラットホームのようなものが適切だとなります。
 教師は、これまでの「学習言語事項」から解き放たれて、自ら言語促進活動を考案し教室に設定して、学習者が活動に従事するさまざまな局面で、高度な状況解釈と判断に基づいて即興的に適切な行為を行うタペストリー的教師に生まれ変わることが要請されます。それは、個々の言語事項を取り立てて教えようとするこれまでのスタンスから、真に日本語力を学習者に形成しようとするスタンスへの大転換です。

2-3 「わたしたちの実践」の創造に向けて
 優れたタペストリー的教師は、教育の企画・計画で設定されている各段階がどういう特性を持った段階で、各段階では日本語技量の形成のためにどのような面に留意しなければならないかを適切に理解しなければなりません。
 教育の企画・計画者による各学習段階の解釈の提示は、教師間で当該の学習段階についての議論を深めるいわばきっかけです。そして、その議論はしっかりと文章にして表現しなければなりません。口頭のみでの議論はたいていの場合、心情的な合意(あるいは不同意)になってしまって、決して厳密な議論はできません。
 習得と習得支援についての考え方を企画・計画に含めなければならないと言ったのはそのためです。そして、そうしたことを重ねていってこそ、担当教師たちが一つのプロフェッショナルな集団となって、「わたしたちの実践」を創造することができるのです。

参考文献
Scarcella, R.C. and Oxford, R. L.(1992) The Tapestry of Language Learning: The Individuals in the Communicative Classroom. Boston, Mass.: Heinle and Heinle. 牧野髙𠮷訳・監修、菅原永一他訳(1997)『第2言語習得の理論と実践 ― タペストリー・アプローチ』松柏社


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