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複言語精神機能の発達支援としての言語教育【補論】: 言語的思考の諸側面(仮)

はじめに

1.基本的な視座 ─ 文化歴史的視座

─ 人間は、生物進化の系統発生の延長線上にある。
─ 人間は、系統発生の延長に社会文化史を接続して、独自の進化を遂げた。
─ 社会文化史の第一段階の第一層は、生活的なイデオロギー世界という、群棲動物の一種である人間が独自に作り上げた文化的な生活圏である。一つの人間集団は、それ独自の文化的な生活圏で、独自の生産活動に従事し、独自の暮らしに従事し、それらを運営する言語を発達させている。
─ そうした第一層の上に、より高次のイデオロギー世界が「建て増し」される。
─ 学問、芸術、文学、道徳、宗教などは高次のイデオロギー世界の例であり、それらは社会文化史の産物としてあり、流通し、維持されている。
─ 個人の日常的なイデオロギー活動やより高次のイデオロギー活動は、社会文化史の複合的で輻輳的な継承として行われる。
─ わたしたちは、日常的なイデオロギー活動とより高次のイデオロギー活動の重要部分を言語活動として行っている。
─ 言語活動は、当事者の実存の重要部分を成す。

2.人間と経験/事態 ─ 世界内存在と言語的思考

─ 人間は、個々の時間・空間の契機でめまぐるしく変化する奔流のように事態を経験している。
─ 各契機の事態としての経験は、(身体の運動×広義の環界の「姿」)×そこまでの経験の脈絡(ここに至るまでの経験の経路)
─ わたしたちは、感覚を通じて環界を事態として経験する。そして、その事態の経験は所作として示される。また、多くの場合に、わたしたちは事態の経験に対応した声をあげる。それが、言語的所作である。
 *シャワーのときの「気持ちいい!」は、シャワーの水やお湯が気持ちいいのか、「わたし」が気持ちいいのかわからない。「うまっ!」など感覚に関わる形容詞は同じ。

3.文化歴史的視点

言語的思考の原初的形態は、環界との交流の経験=事態の声的な昇華物である。
環界との交流→声的な昇華物ということが当該の人間集団で繰り返し行われることで、声が歴史的に堆積して沈殿を形成する。そのようにして、慣習化した言語的思考ができる。一次的なことばのジャンル
─ より高次の言語的思考もいずれも、(出来事、イデオロギーなどの)声的な昇華物である。そして、それが堆積して沈殿すると、ことばのジャンル社会的言語となる。
 *さまざまな種類の言語的思考については、第1回を参照。

4.個人史の視点

─ 人間の個体は、地球上の特定の場所・時間(特定の時代の人間集団の中)に生まれ落ちる。
─ そして、その特定の場所・時間には、特定の生活様式があらかじめあって実践され、特定の経験の仕方や思考の仕方、つまり言語的思考の仕方の作法があって、実践されている。
─ 人間の個体は、特定の社会文化史の中に引き入れられる。
─ 引き入れられて、人間の個体は、特定の文化的な心身となる。
─ つまり、作動的志向性と言語精神機能を発達させて、文化的な一つの自己として活動できるようになる。
─ その活動の重要部分は、発話を発出することであり、自分に向けられた発話を対話的に定位することである。

5.発話行為

─ 発達させた言語精神機能を働かせて、「わたし」は個々の契機で発話を行う。(また、自身に向けられた発話を対話的に定位して応答する。)
─ 発話は、現下の契機の経験や思考の結晶である。cf. crystalization of event(バフチン)
─ 発話は、当該の契機での「わたし」の経験であり、それに対応する言語的思考である。*イントネーション(バフチン)を含む。
  *ただし、人間は成長するに連れて、経験したことや思ったことをそのまま言わなくなることを習う。
─ (外的)発話は、言語的思考の外化である。
─ 内的発話=内言は、言語的思考の内的な現れである。
─ わたしたちは、常に絶えることなく言語的思考を続けて、経験や思考をし続けている。止まるところがない。そして、そのようにしているのが「わたし」である。




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