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日本語の習得と習得支援について言葉を尽くして語ること

 『新次元の日本語教育の理論と企画と実践』(くろしお出版)のプロローグの中程(p.8)で以下のようなことを書きました。

 本書にはもう一つの目的があります。それは、言語の習得と習得支援について語る言葉や話し方を精緻化して提案することです。<中略>日本語教育学の分野では言語の習得と習得支援について語る言葉や話し方がひじょうに脆弱で稚拙です。ですから、いろいろなテーマについて精密で実のある議論が日本語教育者の間で十分にできませんでした。そのような語る言葉や話し方を提案することも本書の副次的な目的となります。(強調は、本記事のもの)

 従来の日本語教育にどっぷり浸っている先生は、言語の習得と習得支援をめぐってきちんと議論することがそもそもほとんどありません。「この文型をどのように導入すればいいのだろう」、「どのように練習をすればいいのだろう」、「自分の授業に配当されたこの練習を授業でどのように実施すればいいのだろう」などとてもローカルな関心に基づく「悩みごと」ばかりが口から出てきます。一方、「先進的な」日本語教育をめざしている先生は、ニーズ分析や、Can-doや、タスク活動や、シャドーイングなど「カッコいい」言葉を使って新たな教育方法を論じます。しかし、言語の習得と習得支援について考究するような議論はほとんど聞かれません。また、学習者中心の方法や、自律的学習などを標榜する先生も、なぜそういう方法が日本語の習得に有効なのか、学習者はどのような言語心理過程で言語を習得し上達していくのか、などをたいていきちんと論じていません。「旗印先行」、「キャッチフレーズ先行」です。こういうハイカラな(←ほとんど死語!)ことを言うのは、大学の先生に多いです。
*そもそもヨーロッパから出てきた言語教育の考え方や方法は、たいてい日本語教育に当てはめるのは「筋違い」です。だって、かれらは、言ってみれば「兄弟言語」や「親戚言語」の学習と教育を念頭においてそんな考え方や方法を提案しているわけで、「まったく他人言語」の日本語を学ぶ/教える場合は根本的にまったく事情が異なります。漢字系の学習者には日本語は「兄弟言語」ですが。非漢字系には日本語は「まったく他人言語」です。日本語教育を企画するときは、そういう部分の違いにまずは敏感になるべきでしょう。ああ、ヨーロッパの言語教育から出てきたいろいろな考え方や方法は拒絶しようと提案しているわけではありません。「用心して」付き合いましょう!です。

 ぼく自身が過去20年くらい?やってきたことは、第二言語習得研究、社会言語学、会話分析などの第二言語教育関連分野及び日本語学の重要な研究を承知しつつ、さらに人文学や社会学で言語をめぐって論じられていることをまとめ上げてそれを参考にしながら、言語の習得や習得支援に関する自身の考えをきちんと言葉にして研ぎ澄ませてディスコースに紡ぎ上げ公表することでした。その途上で、言語教育者であるわたし自身がこれまでの学習者との交流や教育経験などで「研ぎすまされた」(←たぶん!)目で、例えば、ヴィゴツキーの精神発達論をどのように理解しどのように消化したか、バフチンの対話原理をどう捉えてどのように言語の習得に関連づけて考えたか、メルロ=ポンティの身体性の哲学とその言語論をどのように捕捉してそれをより広い脈絡でどのように解釈したか、などの論考も公表しました。そして、その一方で、上に挙げた『新次元』などで、自身の言語の習得と習得支援に関する考え方を全面的に公表しました。全面的に公表すると1冊の本になったということです。そんなわたしが『新次元』を書いているときに、感じたことが上の引用です。

 ニーズ分析やCan-doやタスク活動などカッコいい言葉を言う先生も、学習者中心や自律的学習などハイカラなことを言う先生も、取りあえずは、言語の習得と習得支援についての自身の考えをディスコースの形でしっかりと提示したほうがいいと思います。それは口で言うだけではだめで、まずは箇条書きでもいいので書記言語で整理するべきです。

 日本語学校でも大学でも、そういうカッコいい言葉を言う先生やハイカラなことを言う先生が主任やコーディネータなどチームをまとめる立場に立っていることが多いです。これって、非常勤講師などの立場からするとボス=上司です。上司の言うことにはなかなか逆らえません。ですから、主任やコーディネータの言うカッコいいこと、ハイカラなことに、非常勤の先生は心の中では賛同していなくても、しばしば従ってしまいます。
 そもそも専門職の間では上司と部下などの上下関係はないはずで、同じ専門職として対等な立場で仕事をし、議論もするのが本来でしょう。「まとめる」という立場はそれはそれとしてしていただくとして。「わたしは『上司』だなんて思っていない。いつも先生方と対等な関係で接している!」と言っても、非常勤講師などの立場の人があなたの言葉や主張に反論するのはむずかしいです。特に、口頭のみであなたが自身の考えや出していると、「対面状況の口頭言語の勢い」に押されて、とても反論できません。ですから、自身が有効と考える「新手の方法」を提案するときは、口頭とともに書記のディスコース(箇条書きでも!)でも自身の考えを実質のある形で相手に伝えるべきです。端的に、自身の考えをワードで書いて、チームのみんなに送って、「コメント機能でコメントやご意見を書いて、全員返信で発信してください!」でよいと思います。

 そんなことをしながら、日本語教育に従事する先生みんなが言語の習得や習得支援についての物の見方を研ぎすましていって、それについて本当にプロフェッショナルに語れるようになり、そして研ぎすまされた物の見方に基づく教育の企画、教材の制作、そして教育の実践をしていかないと、日本語の先生はいつまで経っても「日本語を話せる人なら、器用仕事で誰でもできる仕事!」と見られてしまいます。学習者における日本語上達という目標を「さらりと」&着実にあげていく仕事ができる集団にならないと、日本語を教えるという仕事はプロフェッショナルな仕事になりません。瑣末なことをめぐってずっと右往左往しているのは、専門家がすることではありません。そのためにも、まずは、言語の習得と習得支援について、そして日本語の習得と習得支援についての議論をぜひ皆さんそれぞれの現場で活発にやってください。それが、専門職集団となっていくための重要な「基礎固め」です。「基礎」が固まっていない上に立てられた構造物は弱い!

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