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高校最後のホームルームで、クラスのみんなに「ごめん」と言うまで

30歳を過ぎたいまでも「あの失敗のあと、よくわたしは謝ったな。よくやった」と思えるできごとが一つ思い浮かびます。

高校の卒業式を終え、最後のホームルームで、わたしはクラスのみんなに謝りました。

自分が引き起こした「失敗」から、みんなを信用しなかったり、嫌いになりそうになりながら過ごした日々のことを——。

まじめで何事にも全力なクラス「3の1」

わたしの母校は、地元では歴史ある女子校でした。3年生のとき、わたしがいたのは主に文系の大学進学を目指すのクラス「3の1」。

とにかく全ての行事に全力で取り組む人たちの集まりでした。

もちろん受験もその対象になります。

母校では指定校推薦が多く、AO入試や一般の推薦入試に挑戦する人も少なくありませんでした。とはいえ、受験シーズン特有のピリピリとした空気はあったと思います。

誰かの合格がわかるたびに、みんなで「おめでとう!」と拍手をして、ときには涙を流して喜び合いました。教室のうしろの黒板にも「〇〇(名前)合格おめでとう!」と祝福の文字。

その名前が、日々書き換えられていくのです。

一人、また一人と春からの新しい未来をつかんでいきます。推薦入試で「失敗」したわたしには、なかなか苦しい日々でした。

まだできることがある、でも一人では心細かった

推薦入試がダメだったのは、わたしの場合は完全に自分のせいなので、言い訳のしようがありません。まだチャンスがあるのだから、次の準備をするだけです。

ちなみに志望していたのは美術大学。いろいろ考えて、一般入試では別の大学を受けることにしました。

バレーボール部を引退した後の放課後は、実技試験に備えて美術室でデッサンを練習。

このとき、進路が決まっていた仲の良い友人が、教室で自習をして待っていてくれました。その友人のおかげで、わたしは孤独を感じずにいられた気がします。

ただ、その関係も雲行きが怪しくなっていきました。

「きょうは何時まで自習している?」と友人に聞くと「ほかの人と進路指導室にいくから、先に帰るね」と言われることが増えたのです。

「あぁ。やっぱり進路が決まった人と、まだ決まらない人は違うんだ」と胸がキュッと締めつけられる感覚がありました。

受験は団体戦…?

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進路決定後も、ほとんどの人がセンター試験を受けるのが通例となっていたので、授業中の緊張感にそれほど変化はありませんでした。

しかし、休み時間には「住むところ決まった?」といった会話が飛び交うように。

そんな空気を察してか、英語の先生が授業中にみんなに語りかけました。「受験は団体戦だよ。これからが本番の人もいるのを忘れないで。全員で合格するんだよ」

まさにわたしは、"これからが本番"の一人でしたが「団体戦?どこが?」と思うくらいには、心の距離をおいていました。

みんなの会話に入れない休み時間が嫌で、はやく始業のチャイムが鳴るように祈る日々を送りました。

センター試験前日のホームルームで

いよいよ迎えたセンター試験前日。

いつもなら帰りの挨拶をして終わり、というところで担任の先生が「ちょっと、伝えたいことがある人がいる」とクラスの一人に話を振ったのです。

立ち上がったクラスメイトは、少し緊張した声で言いました。「先生も手伝ってくれて、みんなでつくりました。みんな応援しているから、頑張ろう!」。

その声に合わせて数人が立ち上がり、一般入試に臨む一人ひとりに"百羽鶴"を手渡してくれました。

たしか、一般入試を受けたのはクラスで10人くらいだったと思います。全員分合わせて“だいたい千羽鶴”なんだとか。

ちょっと笑いました。

でも最初に立ち上がったクラスメイトが泣いちゃたものだから、先生もほかのクラスメイトもみんなつられて泣きました。

わたしも一緒に泣いているうちに、それまでの黒いモヤのような感情はなくなっていきました。

ここまで心を込めて応援してくれる友人がいるなんて。人生でこんなに応援される経験はこの先あるのかな。背中を押されることがこれほど嬉しいと思えるような——。

推薦入試で失敗したころのわたしには、想像もしていなかった1日でした。

卒業式を終えて、みんなに伝えたこと

わたしは志望していた美術大学に合格して、晴れて卒業の日を迎えました。

最後のホームルームは、一人ひとりに先生から卒業証書が手渡され、生徒も一言あいさつするのが定番。

わたしはこの日、あの"百羽鶴"のお礼をしようと心に決めていました。自分の順番が来るまで何度も心の中で唱えて、ついにそのときがきます。

まずは、みんなに謝りたいことがあると伝えました。それだけで涙が込み上げて言葉は途切れ途切れです。

——わたしは推薦入試で失敗した。クラスではどんどん合格する人が増えて、『受験は団体戦だ』って言われても『うそだ』って心の中で思っていた。

——新しい暮らしの準備を進めていくのを見て、みんなわたしたちのことを考えてないって、勝手に嫌な気持ちになっていた。

——だけど、センター試験の前の日、"百羽鶴"をつくってくれていたこと、泣きながら応援してくれたのがすごく嬉しかった。

——すごく嬉しかった分、それまで自分が考えていたこととかがすごく申し訳なくて、謝りたいと思っていた。

——本当にごめん、それからありがとう。

覚えている限りでは、そんなことを言ったと思います。さすがに10年以上前のできごとなので、すべてがその通りというわけではありませんが。

わざわざ、自分の心の中のモヤモヤは言う必要はなかったかもしれません。でも、それを隠していたら「ありがとう」がうわべな言葉になってしまう気がしました。

「あんなにネガティヴな気持ちが続いていたのに、すべてどこかへいってしまうくらい嬉しかった。みんなに救われたんだよ」ということを伝えるたかったのです。

謝るというのは、勇気がいることでもあります。

それをまだ10代だった自分がしたとは。実は違う人間の記憶なんじゃないかと思うくらい「よくやった」と言ってあげたいです。

恩師の言葉に触れて

高校を卒業して数年後、母校に遊びに行って担任だった先生と再会しました。

「先生、わたしのこと覚えていますか」

忘れていても責めるつもりはありませんでしたが、先生は覚えていました。

「もちろん。卒業式の日にみんなに謝ったのはあなただけよ」

きっと、受験生を持った先生たちは、あのころのわたしのような生徒をたくさんみてきたのでしょう。

「志望校に合格する」ことでは、モヤモヤを解消できない場合があるのもわかっていたかもしれません。先生たちもいろいろな感情を抱きながら、卒業生を見送っていたのかなと思いました。

わたしが人として成長できたあの日が、先生の記憶にも残っていたと知って、ちょっぴり嬉しかったです。

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(写真は少し前に撮ったものですが。"百羽鶴"と合格祈願でもらった絵馬。いまも実家にあります)

そういえば、放課後のデッサンが終わるまで待っていてくれた友人が、後日、教えてくれた話があります。「進路指導室に行く」と言っていた日は、ほかの人たちと集まって鶴を折っていたそうです。

「言えなくてごめん」と打ち明けられて、また泣きました。

3の1のみんな元気かな。久しぶりに会いたいですね。

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統合が決まった母校の解体前に、卒業生向けに行われた校舎見学会にて撮った写真を記事に使いました。

校舎跡地はいまも更地のままかな。


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