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「最大公約数的なデザイン」から「あなたのためのデザイン」へ。アンビエントデザインズの2人に聞いた、物質と出来事のこと。

ゆるやかな曲線と、きっぱりとした直線が調和した介護老人保健施設の建物。
幾何学的な室内を、窓からのあたたかな陽が照らす歯科医院。

強さの中に、どこかやさしさも感じるこれらの空間を作り出しているのは、建築設計事務所「アンビエントデザインズ」の石黒 泰司と和 祐里だ。
(2人が手がけたデザインの事例と詳細は、こちらのページを見て欲しい。)


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>広島県の介護老人保健施設。(撮影:千葉正人)

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>茨城県龍ケ崎市の歯科医院。(撮影:アンビエントデザインズ)


「建築設計事務所」と言ったが、2人がデザインしているのはハードとしての建築だけではないらしい。「アンビエントデザインズ」のサイトにはこうある。

わたしたちは、生活を取り巻く物質と出来事(モノとコト)を観察、設計することで、人々が生きるための多様な環境にそれぞれのあたりまえを発見することを目指しています。

物質、出来事、環境、あたりまえ。これらのキーワードの中に、2人のデザインを紐解くヒントがありそうだ。

2人へのインタビューから、強くてやさしいデザインの背景にある哲学を探る。


<出来事>を分析・編集し、<物質>へ変換することがデザイン。

--アンビエントデザインズの2人とは普段から親しくさせてもらっているんだけど、まわりの人に2人の活動を紹介するのがむずかしいんだよね。

祐里:なんて紹介してるの?

--「場や空間の設計をおこなう建築設計事務所をやってて…」といったりして。でも、なんかしっくりこなくてさ。たとえば2人が改修を手がけた広島の介護老人保健施設(老健)にあらわれているような、2人のオリジナリティがそぎ落とされちゃう気がして、なんだかなぁと。

祐里:伝えるのがむずかしいのは私たちも感じてるんだよね。「デザイン」っていうと「お化粧」みたいな、最後に見栄えを良くすることっていう印象を持たれがちなの。

もちろん、そういった意味でのデザインもすごくこだわってやってるんだよ。でもそれだけじゃなくて、むしろデザインを生むプロセスに私たちの本質がある気がしてるんだよね。

--なるほどね。だから今日は、そのプロセスについての話とか、2人の取り組みを整理することができたらと思ってる。

で、いきなり本質に切り込みたいんだけど(笑)。端的に言うと、2人にとっての「デザイン」ってなんなんだろう?

泰司:それは結構言語化されていて、<出来事>を分析・編集し、<物質>へ変換することがデザインだと思ってる。

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--<出来事>を分析・編集し、<物質>へ変換する?

泰司:そう。アンビエントデザインズは、「<物質>(モノ)と<出来事>(コト)を設計することで、人々が生活する場や空間をつくりだす建築設計事務所」と、自分たちでは言ってるんだよね。

「<物質>と<出来事>」をもう少し具体的にいうと、<物質>は建築やプロダクトなど、手に触れることができるもの。<出来事>は手に触れることができない、哲学や思想や価値観、イベントやコミュニティなど。僕らはそのどちらも設計してる。


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>アンビエントデザインズが考える、<物質>と<出来事>


--具体的な事例を聞いてもいいかな?

祐里:今まさに取り組んでる、山梨のプロジェクトの話は、アンビエントデザインズらしさが出てる気がする。今からすごい勢いで話すから、頑張って聞いてもらえる?(笑)

--どうぞ(笑)

祐里:プロジェクトのきっかけは、私たちの友人の実家が所有してる山梨の土地に、その友人の家族と、また別の友人の家族、つまり2世帯で住みたいから、その場の設計をしてくれないか、という相談があったのね。それぞれのプライベート空間は保ちつつ、同じ敷地内に住みたいって。

その友人たちは、「お金を支払わなきゃいけないサービスを介すことなく、自分たちの日常の問題を解決できる関係性をつくりたい」って思いがあったらしいの。

たとえば、子どもを保育園に預けるとか、ベビーシッターに頼むとかじゃなくて、家族同士で子育てをシェアするとか。その話を聞いて、これはこれまでのパッケージ化された住宅とは違う、その人たちに最適化された新しい住宅が必要になりそうだなと思って。

--なるほど。それで、具体的にどういうプロセスでデザインしていったの?

祐里:今回のプロジェクトでは、単に<物質>としての住宅を設計するだけじゃなく、<出来事>として、そこに住むみんなの価値観が反映された場にしたいと思っていて。そのために、まずは2つの家族がその場所で「したいこと」、「するであろうこと」といった行動を、徹底的にヒアリングしたの。

ヒアリングを通して出てきた行動を全部ポストイットで書き出して、googleのスプレッドシートにリストアップしていって。「ご飯を食べる」とか「本を読む」とか「歯磨きをする」みたいな、言葉にするまでもないような当たり前のことから、「庭に畑をつくる」「野外映画祭を行う」みたいなユニークなことまでね。

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>この場所でしたい行動をリストアップしたスプレッドシート。

次にスプレッドシートにリストアップした行動の列の横に、いろんな項目を追加していったの。たとえば、「この行動をする場所は、建物の内部がいいのか、外部がいいのか、どちらでもいいのか」とか、「その行動はみんなに見られていいのか、自分の家族にしか見られたくないのか、誰にも見られたくないのか」とか。たとえば、「お手洗いに行く」だったら「建物の内部/誰にも見せられない」っていう括りになるわけ。

--行動から価値観を抽出していったんだね。

泰司:そうだね。その作業をしていると、「コレとコレは同じ場所でいい」といったふうに、だんだん行動のグループが見えてくる。だからそのグループを、それぞれの家族の占有スペースとシェアスペース、屋根付きの外部空間、屋根なしの外部空間とか、空間に割り振っていくのが次の作業。

その作業のために、横1.8m、高さ3mの空間を100分の1サイズにしたキューブをつくって。それに色を付けて、「黄色がシェアスペース」、「赤がA家の空間」、「青がB家の空間」というふうに空間の属性に色を分けて、敷地模型に配置していったんだよね

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そうすると敷地内での空間属性について、全体構成みたいなものが見えてくるから、より具体的な建物の設計にうつったり、あるいはまたスプレッドシートに戻って行動を考えたり。

こんなふうに、プロセスの中で<物質>と<出来事>を行き来したことで、より依頼主にとって最適な、これまでに見たことのない住環境が生まれるんじゃないかと思ってね。

--編集的な発想で、<物質>と<出来事>を扱っているという感じがするね。

祐里:そうだね。とはいえ、最初からこのプロセスでいこう、と言っていたわけじゃなかったんだよ。もともとは従来の建築設計のように、最初から図面と模型を何十個も作って、「ここはこうしよう」って言って形を作っていたりしたの。だけど、やりながら「まだ具体的な形のディテールを考える段階じゃない!」って気づいて。

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泰司:そうそう。形を作り始めてしまうと「ここは直線がいいのか、アール(曲面)がいいのか」といったことにこだわりはじめて、僕たちが大事にしたい、出来事やその人たちの価値観といったところがおざなりになってしまいがちだなと思ったんだよね。

だから、強制的に形にこだわれない方法をとれば、今やらないといけないことに注力することができるんじゃないかと。それで、発泡スチロールのキューブを使おうというアイデアが出てきた。このキューブであれば、正方形か長方形しかできないんだよ。円にしたりできないわけ。あえて融通のきかない方法を使うことで、狭義の形にこだわってしまわないように自分たちを制御したんだよね。

--話を聞いていると、2人が形やビジュアルのクオリティを上げる「お化粧」的なデザインだけをやっているんじゃないってことがわかってきた。

祐里:もちろん、、私たちは「お化粧」的な作業もやるよ。だけど、物質のデザインをするためにも、その人が叶えたいことは何なのか、ということをしつこいほどに聞き取る作業が欠かせないんだよね。


デザインが持続可能な環境をつくる。


--<物質>と<出来事>を設計する、ってかなり大変じゃない? 何度も価値観をヒアリングしないといけないわけでしょ。どうしてあえてそこまで手間をかけるんだろう?

祐里:その問いへの答えはすごくシンプル。価値観を深掘りしないとつくれないからだよ。空間でもポスターでも、デザインはなんでもそう。すべての形には理由があるから。

--すべての形には理由がある?

祐里:たとえば、カフェのメニューのデザインを任されたとするでしょ。そしたら、お客さんは何歳で、どんな趣味嗜好を持っていて、どんな気持ちでこのカフェを訪れてとか、来る人のことだけじゃなく、お店側としてはどんなコンセプトなのか、どんな料理を出すのか……そういったことをインプットしてはじめて、最適なデザインができるの。

幼稚園の家具の角が丸いのは、かわいいからじゃなくて、子どもが怪我しないようになんだよね。そんなふうに、すべての形には理由がある。逆にいえば、価値観やニーズを深掘りして、理由を見出さないことには、いい形は生まれないんだよ。

--なるほど。

祐里:住宅もそうだけど、モノについて「こんなのあったらいいな」って、いきなり具体的にイメージできない人も多いと思うんだよね。

たとえば、ある空間で「腰掛けるもの」がほしい、ってなったときに、多くの人が「どの椅子を買おうか」ってなるじゃない? でも、本当は椅子じゃなくてもいいかもしれない。床に座ったっていいし、壁からちょっとお尻をのせられる出っぱりがあったっていいいわけで。

でも、なかなかそういう発想にならないのは、すでにあるものの中から選ぶ、ということに疑問を持たなくなってるからだと思う。「こんなのあったらいいな」っていう発想にならないんだよね。

だから私たちは、その人の「なぜ椅子が欲しいのか?」を丁寧にヒアリングして、「腰掛けて、来てくれたお客さんとゆっくり話したいんですね。では、こうしましょう」という提案をするの。そうすると、その形があまり見たことないものだったとしても、「来客と話すこと」が実現するのであればすっと受け入れてもらえる。

泰司:本当は価値観は人の数だけあるからね。言いかえれば、100人いたら100通りの「あたりまえ」があると思う

これまでは建売住宅みたいに、いろんな価値観をひっくるめた最大公約数的なデザインのなかから、自分に合っていそうなものを選ぶ、ということが主流だった。だけど、今後ますます価値観が多様化していく中で、デザインも変わっていかざるを得ない。いくら価値観の多様性だけを唱えていても、僕たちを取り巻いているモノや空間が変わらないと、どこかで価値観の多様化もボトルネックを迎えてしまうから

--たしかに、「こんなふうに住みたい」と思っても、その価値観を反映させた住宅がなかったら、結局暮らしは変わらないままになるね。

泰司:そう。だから、価値観を抽出してモノや空間をつくることは、場の持続可能性にもつながる。その人にとっての「あたりまえ」が出来事に反映されて、出来事がモノや空間に反映されて、モノや空間が集まって環境になる。そうして生まれた環境が、今度は価値観や出来事に影響を与えて……というふうに、<物質>と<出来事>の良いサイクルが生まれることで、場が持続していく。そんなふうに考えて、アンビエントデザインズでは「生活を取り巻く<物質>と<出来事>を観察、設計する」ことに取り組んでるんだよね。


「違和感」の先に、違う価値観を持つ人々が共存できる社会がある


--2人にとって、「いいデザイン」ってどういうもの?

祐里:なんだろう。「違和感」があるモノは面白い、っていう話はよくしてるよね。

泰司:してるね。

--なるほど。どうして「違和感」が大事なんだろう?

泰司:あるモノに対して「これはなんだ?」って思うと、そのモノに対して向き合うじゃん。言いかえると、「違和感」があるとそのモノに主体的に向き合えるようになると思うんだよね。そういう、受け手の主体性を引き出すようなモノは面白いし、僕らもそんな「違和感」があるモノを作ることは意識してる。

「違和感」ということについて面白い研究があって。建築家の原広司氏や東京大学の藤井明教授が、世界のいろんな「集落」をデザインの観点から調査・研究しているんだけど、その研究では、集落がなぜ人を惹きつける造形をしているのかを考察してるのね。

--うん。

泰司:彼らの集落研究によれば、集落は「序列化→圏域化→記号化」の3段階でつくられるらしい。

まず一つ目は「序列化」。つまり、集落ではその共同体が持ってる価値観をもとにヒエラルキーがつくられるんだよね。父権制で成立する共同体ではお父さんが一番偉いとか、ある宗教に基づく共同体では神様が一番重要であるとか。

「序列化」の次は「圏域化」。その共同体の内と外であったり、その共同体のヒエラルキーの上下であったりといったことに基づいて、線引きをする。たとえば壁を作るとか、距離を離すとか。

最後に「記号化」という段階で、形に対して意味を付与する。たとえば偉い人がいる建物は大きいとか、宗教的な意味合いを家の形に与えるとかいったように、わかりやすくする。

その3つの段階を経て生み出された空間は、その共同体の価値観が物質化した空間に他ならないわけ。だからこそ、共同体の外の人が見たときに「これはなんだ?」って「違和感」が生まれて、惹きつけられるんだと。つまり、モノに対する「違和感」は、その共同体に対して主体的に向き合うきっかけにもなるんだよね。

--なるほどね。その話を聞いて思ったけど、戦後の日本は国家規模で集落化のプロセスが進んだのかもしれない。GDPを上げるっていう至上命題のもと、「序列化」「圏域化」「記号化」が進んだ結果、新幹線が通されて、大都市と郊外が生まれて、ロードサイドではどこも似たようなショッピングモールやチェーン店が並ぶ景色が見られるようになったのかなと。

泰司:そうかもしれないね。そして現代は、経済的にもそんな国家規模の集落が維持できなくなってきているから、集落の規模の再調整が進んでる。まさに過渡期なのかもね。どちらが良いとか悪いとかではなく、集落化の単位が国家規模からよりコミュニティ、家族っていう小さい単位になってきてる気がしてる。

祐里:それってつまり、今は「みんながあなたのための場所を求めていい」ってことだと思うんだよね。

たとえば、100人の街でみんなの道を作る、っていうときに、2つ考え方があって、「全ての人の価値観の最大公約数的な1本の道を作る」か「1人のための道を100通り作る」か。

戦後の日本は「最大公約数的な1本の道を作る」方法をとってきたと思うんだけど、私たちは「1人のための道を100通り作る」方法にチャレンジしていきたい。これだけ価値観が多様になっているんだから、自分が「こんな場所が欲しいな」っていう場所を求めていいんじゃないのかなと思ってるの。

--冒頭で紹介してくれた山梨のプロジェクトは、まさにあの2家族にとっての「あなたのための場所」を作る取り組みだよね。

泰司:その通り。一方で、僕らが作っているものが建築である以上、公共性のことも考えなきゃいけない。「あなたのための場所」を作るのはいいことだけど、周りに悪い影響を及ぼしちゃだめだよねと。

--具体的にいうとどういうことだろう?

祐里:「みんながあなたのための場所を求めていい」という言葉を表面的に捉えると、たとえば個人の趣味で住宅街にネオンだらけで光りまくっている外壁の建物をつくったっていい、ってなるかもしれないでしょ?

だけど、建物って近所の人や道を歩いている人にも影響してしまうものなわけ。だから、依頼主の希望を受け入れながらも、公共性と折り合いをつけてモノや空間に落としこまないといけない。それは、建築家の重要な責任だよね。

泰司:そうだね。「みんながあなたのための場所を求めていい」というのは、それぞれの共同体が排他的であっていいということじゃない。僕らがデザインをする上で「違和感」を大切にしてるのも、「違和感」が、違う価値観を持つ他者と関係をとり結ぶきっかけになるからなんだよ。

つまり、「違和感」があることで、僕たちは自分と違う価値観の人がそこに存在しているということを「発見」することができる。僕ら2人はモノや空間を作るときに「このデザインには「違和感」はあるか?」を自分たちに問いかけながら取り組んでいるんだけど、それは決して奇をてらったデザインをしたいということではない。その「違和感」の先に、違う価値観を持つ人々が共存できる社会があると思っているからなんだよ。

--なるほど。2人の話を聞いて、デザインや建築についてのイメージが変わってきた気がする。最後に、これから取り組んでいきたいプロジェクトがあれば教えてほしいな。

泰司:これまでの分類に当てはまらないような場所をつくることに関わっていきたいね。たとえば、さっきの山梨の例のように、いろいろな用途が複合している住宅もそのひとつ。

あとは、歯科医院や老健に続くテーマとして、医療福祉施設のアップデートは長く取り組んでいきたい。医療や福祉の空間はすごく強いルールに基づいてつくられることが多かったんだよね。医療・保育・高齢者介護のような、これからの日本に必要とされる場について、これまでのあたりまえ問い直すことを一緒に考えられるクライアントに出会えたらいいなと、今は思ってるよ。


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生活を取り巻く<物質>と<出来事>を設計する。そんな2人のデザインプロセスはこれまでにないものだからこそ、そのプロセス自体を常にアップデートしながら歩みを進めている。それは、「デザイン」という営み自体への挑戦でもあるように感じた。

不特定多数の人に向けた「最大公約数的なデザイン」から、「あなたのためのデザイン」へ

アンビエントデザインズのこれからの挑戦が楽しみだ。

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