2年越しのお礼参り


都会ではランドセルを背負った子供たちがバスや電車で通学する光景をたびたび目にする。私が二年前にようやく使うようになったICカード、いまだにピッとすると少し嬉しくなるICカードを彼らは息をするように使う。都会で生きていることを感じる瞬間である。
田舎者にとって、電車通学はちょっとした憧れだ。私も電車通学のために街の高校を志望していたが、中学生の後半にあらゆることにつまずき、当然のごとく勉強にもつまずき、電車通学は夢と散った。私の園児、児童、生徒、学生の生活はすべて町内で完結した。

高校時代、私は冴えないという面において、どこに出しても恥ずかしくない学生だった。かつてはリーダーシップを取ったりもしていたが、中学時代につまずいたことをきっかけに快活な私は死んだ。卒業式の後、誰とも写真を撮ることなく、母に気を遣われながらまっすぐ家に帰る。そんな高校生だった。

そんな私にも、うっすらとではあるがスポットライトが当たる瞬間があった。体育祭である。ささやかではあるが運動神経に恵まれたおかげで、リレーや短距離走では重宝された。
我が校では、高校三年生になると希望者で応援団を作り、ダンスパフォーマンスを競うのが通例だった。私はそのダンスリーダーを担うことになった。人望があったわけでも、ここにきて性格が一変したわけでもなく、長年ダンスを習っていることを買われたのだった。健やかで協力的な人々のおかげで、うだつの上がらない私もなんとかリーダーとしてやれていたのではないかと思う。

体育祭が目前に迫り、団結の強まる中のことだ。高校生活で初めて青春を感じ始めていたある日、世界史の教師から忘れられない言葉をもらった。「体育祭は唯一〇〇さんが輝ける時やね」と彼は言った。〇〇さんとは私の事である。体育教官室に向かう道すがら、暑さにじんわり背中に汗を滲ませながらその言葉を聞いた。私は「そうなんですよ」みたいなことを言ったと思う。衝撃のあまり記憶がない。驚きだった。嫌味というよりも事実だった。けれど、後々になって母や友人にこの話をすると誰もが怒ってくれたので、それはとてもありがたかった。
卒業後、その教師は私の同級生と結婚したと風の噂で聞いた。それぞれにうっすらと煙たがられていた二人は、結婚を機に地元を離れたらしかった。

その後、彼とは思わぬ再会を果たすこととなる。成人式の会場でその姿を見た時、当時は感じることのなかった怒りが数年越しにふつふつと湧き上がった。瞬間湯沸かし器のごとく、一瞬にして内側から怒りが染み出して、自らの振袖を真っ赤に染めてしまうんじゃないかと思った。真っ赤の振袖にしていて本当によかった。
嫌なことは続く。帰り際、看板の前で家族写真を撮るために誰かに頼もうと周りを見回していると「よかったら撮りましょうか」と涼やかな声が聞こえた。出た、と思った。本当に申し訳ないが、心から思った。目の前に突如として現れたのは、あの教員の妻となった同級生だった。とはいえ彼女には何の恨みもないので素直にお願いしようと顔を向けると、さらに、出た。そこには気まずそうに顔を逸らす彼がいた。
過去の自分を救う瞬間は突然現れる。今しかないと思った。あからさまに私を避ける彼に、私は「お久しぶりです」と声をかけた。
言えた。たった一言だったけれど、あの夏の日の出来事を成仏させるには十分すぎる一言だった。

その時に撮ってもらった写真に写る私は、少しだけ晴れやかな顔をしていた。罪を憎んで人も憎んだ私の、二年越しのお礼参りが終わった瞬間である。

#エッセイ #暮らし #学校


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