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書を持て、野山へ出よう

 これはさる公募にて落選したエッセイに少しだけ手を加えたものです。ちょうど盆なので気まぐれにここで供養してみることにした。稚拙さや媚びが目立ってどうも居心地の悪い文章だなと思う。テーマにも半端に逆らっていたな、そういうところが私の悪い癖だ。
 しかし当分何か書けそうにないので、お茶濁しに投稿することにした。暇つぶしの投稿ですが、暇つぶしにでも使ってくれれば幸いです。


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 「ここには何もない」
 この地域の人々は、皆口を揃えてそう言う。確かに映画館がない。お洒落なアパレルショップやインスタ映えスポットもない。流行はいつも遅れて、いや、やって来ないことの方が多い。暮らせないほど不便ではないが、ミーハーには過酷な地域だ。

 最近、市の人口は遂に十万人を下回った。合併を繰り返して何とかこれまで維持していたが、人口密度は下がり続けた。公共交通機関も辛うじて機能しているが、やはり利便性は低い。
 車を走らせれば山、山。脊梁山地の合間に狭い平地が点在し、そこに小さな集落がぽつぽつとある。空き家や耕作放棄された荒れ地ばかりが目立つ集落群を、それらの生活の基盤となる小規模な町が繋ぎ、商業施設はそこへ集中する。だが、地域で最大の商業地域でさえ、日中から人は多くない。
 このままでは地域全体が限界集落になってしまう日が来る。人々は押し寄せる高齢化と過疎化の波に憔悴し、どこか諦観していた。


 そんなこの地域に、数年前私は移住してきた。生まれ育った都会から、自ら望んで単身移住してきたのだ。
 ここには何もない、それなのにあなたはどうして来たのかと何度問われただろう。里山のある風景が好きだから、都会の喧騒が苦手だったから。どんな答えを返しても納得されない。都会の人がこんなところじゃ退屈するだろう、と老若男女問わず言う。

 だが私はそうは思わない。私が愛してきた本の世界は、こうした場所を舞台にすることが多かったからだ。
 高層ビルに切り取られることのない、どこまでも高く広い空。四季毎に様々な表情を見せる野山。そこかしこに佇む塞ノ神や地蔵たちは、一体どれほどの物語を見守ってきたのだろう。これまで読んできた様々なものによって培われた想像力がこの景色を美しく彩って、まるで退屈させてくれない。


 「忘れられた日本人」という本がある。著者の宮本常一は民俗学者で、日本各地を実際に歩いて現地で話を聞き、そこでの暮らしや想いを山ほど記録した人だ。その功績は、あの柳田国男に並ぶものだった。
 この作品は彼の代表作と呼ばれており、彼が旅先で聞いた様々な話を集めている。大体戦前から戦後にかけての記録をまとめていて、まだ歴史と呼んでしまうほど古い時代のことではない。だが、そこで描かれている人々の暮らしは、もう現在の我々の暮らしとはまるで違っている。

 私はこの本を読んでから、付近の農村を訪れ、里山を歩くようになった。彼の教えてくれた、私たちの忘れているものを探してみたくなったのだ。
 例えば、田舎道を走っているとよく記念碑を見かける。地域の土地改良や新道の開通についての碑文だ。そのくらいのことをわざわざ碑にするなんて大げさな、とかつては思っていた。だが、貧しい山間の村が新しく出来た道によって豊かになっていく様子を知ってからは、この何の変哲もない石碑に込められた想いが見えるように思えた。

 夜、私は時々近くのため池へ散歩に行く。それは外灯の一本もない里山の中腹にあり、その畔を、明かりを消して歩いてみる。
 闇というものは音を増幅させる。頭上まで大きく迫り出した枝葉が風に揺れる音、竹林を吹き渡る風のたてる、歪んだ笛のような不気味な音。足元で折れる枝の音はなぜか耳元で鳴るようだし、世界はこんなにも音で満ちていたのかと驚嘆してしまう。

 かつて、木挽きたちはこれとは比較にならないほど深い山の中で夜を明かしたという。彼らの間に伝わる天狗や魑魅魍魎の話。こうして夜闇を歩いてみると、現代でも、まだこの闇の中でそれらが生きているような気がしてくる。
 月の届かぬ林の中の道は、闇が質量を持った黒い壁のように思えるほど暗い。時々、携帯のライトで足元を照らさねばとても歩けない。舗装さえない時代、夜はもっと、ずっと暗かったのだろうなと思いを馳せる。
 そうやって闇を味わった後、林を抜けて再び月の下に出てくる。そこには段々になった桑畑が広がっていて、その周囲には家々がある。月光が作り出す陰影を暖かな窓明かりが囲んでいて、それはそれは美しい。特に満月の夜などは格別だ。この美しさは、一晩中明るい都会では味わえなかった。


 私は、ここに挙げた発見、驚き、美しさを得るのに特別なことはしていない。ただ、一冊の本を読んだことによって、元々ある価値が見えるようになったのだ。石碑の意味を、夜の恐ろしさを、明かりの美しさを、そして現代の生活のありがたさを。忘れていた大切なものを、思い出しただけなのだ。

 ここには何もないと人は言う。そんなことはない。見ようとすれば、どんなところにでも魅力を見つけられる。本は、そういうことを教えてくれる。だから私はこう言いたい。「書を持て、野山へ出よう」と。

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