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一人暮らし、最後、呼吸

「おかめさん、これは、遺書?」

訪問介護ヘルパーの竹中は掃除機を止めた。認知症のおかめさんはその「遺書」と書かれた封筒をじとっと眺めた。

「知らん。おかあのか、あのジジイのやつだよどうせ。」

その封筒にはご丁寧に切手が貼られていた、宛先は埼玉県までしか書かれていない。

「これ、お相手の住所?埼玉県まではわかるの?」

「遺書は送るもんなのかね、私はシラーん」

竹中はフムゥと、一呼吸をして、仕事に戻った。そしたら唾液が器官に入って咳き込んでしまった。ケホケホ。

「あんたとも最後なんでしょ?元気でね、若いうちはね、あったかくしとけば大丈夫」

おかめさんはいつもこれだ。私は里に帰るために最後にあいさつに来た設定である。毎週水曜日が私たちにとってはずっとお別れのあいさつなのだ。最初のころこそその「誤解」を「正そう」と試みていたし、医者でもないのにおかめさんを「治そう」と試みていた。私がおかめさんとオセロをしたのも最初は「治療行為」だという自負があった。繰り返される最後の別れが、私とおかめさんとの絆だと思い始めてから、オセロも楽しめるようになった(私が)。今日もいつものように「お別れ」をして、日誌を書こうかと思っていた時、ダイニングテーブルにぽつんと置かれた「遺書」を見つけたのだった。

「埼玉県ってご実家でしたっけ?」

「違うよ、私には縁もゆかりもないさ、埼玉県なんて」

「じゃあ息子さん?」

「あたしに息子はいない」

おかめさんには今年60になる息子さんがいる。なにより私がおかめさんのところに来ているのは息子夫婦が申し込んだからである。少しいじわるをしてしまったが、息子夫婦は最近埼玉県に引っ越したことを私は知っていた。

「なんで遺書書こうと思ったの」

「一人暮らしでしょ、だから」

「もう死んじゃうの」

「生きてるとね、つらぁいこと、あるでしょたくさん、たぁくさん」

「・・・そっかぁ」

「あんたはね、また来週来てくれるからね」

「そうね」

おかめさんはトリップしている。私にはできないことをしている。あっちに行ったりこっちに来たり。なんだっけ、ぶらんこのあれ、ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよーん。そんな感じ。きっとおかめさんは死んでもこのトリップを続けるのかしら。そいで、私とオセロをするのかしら。ふぅん、そしたら私も、死ぬまで、死んでからもおかめさんとオセロをする羽目になるの?

「何書いたか忘れたね、読んでみて」

「え、いいの?死んでからのがいいんじゃない?」

「無責任なこと書いてないか不安でね、時間いい?」

「うん、大丈夫」

そして竹中は遺書を手に取り、少し握ってできた穴から中身を確認した。三つ折りのA4用紙が一枚。竹中は「なんか筆ペンででっかく書いてるよ」と言いながらそれを取り出した。おかめさんは「いやね、いくつになっても自分が書いたものを見られるのは」とわざとらしく頬に手を当てた。

拝啓、みなさま。

私には資産というものがありません。あの世で遊ぶ金もありません。なので書くことがありません。今までありがとう。


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