うつ病の父を持って

私の父はうつ病です。
この事は自分の中でとても恥ずかしく、
誰にも言ってはいけない事だと思っていました。

父は自分の病気を認めず、診断せずに亡くなったので、
病名は「うつ」としか分かっていませんでしたが、
精神疾患を学んでいる今は父の病名は
私の中では「双極性障害」ではないかと思います。
1型は波が激しいもの、2型は波が少し緩やかなもの。
両方とも躁状態と抑うつ状態を繰り返します。

父はどっちだったのかしら?2型なのかな?
そうだったとしても、とても苦労をさせられました。

金遣いは荒く、周りに頼めばお金を出してもらえると思い
プライドは高く、学歴主義 国立大学を出ていましたが、
自分より上の大学じゃなければ人を認めません。
ギャンブルが大好き、自殺未遂を何度もする。
私の名義で借金をする、他人を厳しく否定して罵倒する、
友人はいなく家族だけが生きがい…
その所為で常に監視下に置かれ、門限はいくつになっても早かったです。
まだまだあります。

幼い頃の私は(うちは普通ではない)と思いながらも
そんな家庭を受け入れてました。
生きる術は受け入れるしかありませんでした。

年頃になり彼が出来ても、身内が恥ずかしく
父がいる限り結婚なんてできない…
と、常に悩んでいました。

家族=私と思って切り離せなかったからです。

母は離婚を考えた事もありましたが、
辛い時自分を支えてもらったから、
見捨てる事は絶対しないと固く誓っていました。

父は一流企業に勤めていましたが、50を過ぎ
社内で上司と大喧嘩。
早期退職を余儀なくされました。
そこからは、ずっと家に居て主夫になっていました。
我が家のご飯は父の味です。

母の稼ぎだけでは厳しい為、
何度も働きに出てほしいと言われ面接を受けた父でしたが、
警備員のバイトを見つけ朝家を出たら昼過ぎには帰ってきていました。
「俺にあの制服は似合わない」
プライドが許さなかった為、途中で切り上げ帰ってきてしまいました。

なんて酷い人、そしてふざけてると思いながらも
私にその言葉を発する権限はありません。

そして、家庭を支える為に週7で働きすぎた母は
ストレスと過労で病気になってしまいました。

当時学生だった私は夢を叶えるための専門学校を諦め、
父の縁故で知り合いの会社に無理矢理入社させられました。
一人暮らしをしたいと言ったら縁を切ると言われ、
何もかも自由が無くなりました。

誰のための人生なのか、
また私には向いていない仕事で、
自分には選択肢のない未来に涙をしていたら
私もうつ病になってしまいました。

全てを塞ぎ込み、仕事終わりに毎日バイクで海まで行き
テトラポットでポテチを食べながら「自分を好きになる本」
を読んだのを覚えています。

周りの友人にも辛く当たりたくさん傷つけて、
母にも心配を掛けました。


治療の方法は沢山あると思います。
薬やカウンセリング、またはメンターになる人との出会い。

何をするにも、自分の心が疲れている、
心が風邪をひいていると分かってあげないと
どうしようも出来ません。

風邪がひいたら内科に行きます。
骨が折れたら外科に行きます。
心が病んだら心療内科、カウンセリングに行きます。

自分の病気は自分で理解して
治す為にはどうしたら良いかを見つける。
とても当たり前のことです。

昔だった事もあり、父は心療内科に行くことに
抵抗があったようですが、無理に引っ張ってでも
連れて行けばよかったな、と今になると思います。

もし、そこで父の根本を治せていたら
きっと家族の関係性も変わっていたと思います。

父は心の病気だった、
そう思うと、恥ずかしいことではなく
仕方のない事だった。
自分を見ないふりをして逃げてしまい
どんどんと悪化してしまっただけ。

心の病は家族への負担がとてもあります。
支えなくてはいけない事もたくさんです。
今が辛いなら、どこかに頼って根本の解決をすることが必要なのだと思います。

病気は恥ずかしくありません。
専門の人に頼るのは当たり前のことです。
一歩の勇気で、全てが変わるかもしれません。

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