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子育て支援員の涙

みなさまこんばんは。
ましこと言います。

わたしはパラレルワーカーで、地域子育て支援拠点の専任職員として子育ての初動に関わりながら、17年目を迎えるベビーマッサージ教室の運営という2つの顔を持ちます。そのほかには、居宅訪問保育(産後ケア・一般保育・送迎・病児)、子育て支援者の相談室 、子育てサロンの経営相談なども行っています。

今日のテーマは「子育て支援員の涙」です。

子育て支援員は、水平対等な関係で、利用者である保護者様に接します。そこには忖度も、配慮が必要な場合以外の特別扱いもありません。居心地の良い場を作り、人の関係が生まれる場を作り、お子様達や保護者様たちの支援ができる空間をプロデュースしていきます。

支援員は、保護者である親に対し、肯定的関心を持って話を聞き、接していきます。相手が自分の力に気づく働きかけをすることも重要で、例えば親の気づかない子どもの長所を言葉にすることで、子どもへの対応を変えたり、親の目線を変えたりするお手伝いなどもしています。

これらを実現していくためには、支援員自身の心身の健康管理が重要になっていきます。例えば仕事と私生活を区別すること、相談者の不安が増さないように、相手の話を感情的に対応してしまわず冷静に対応すること、そしていつも平常心を維持し、親子関係を支援したり、特別なニーズを持つ子どもや親も安心して利用できるように関係性を丁寧に構築していきます。

わたしは今の拠点に配属されもうすぐ2年になるのですが、当初は支援員が率先して子どもとずっと遊んでしまい、親に誤解を与え、拠点は専門家にお任せという育児の外注化と化していました。

また、特別なニーズを持つ家庭に対し、職員間で「要注意人物」という悲しい言葉でカテゴリ分けをし、見えない聞こえない場所ではありましたが、安易な判断や軽率な言動を繰り返していました。親のせい、そのような感情はどんなに取り繕っても表面に染み出てきて、更には十分な知識知識がないために、特別なニーズを持つ子どもに必要以上に過保護に扱ったり、排除したりという環境でした。学ぶことを怠ったことの罪は大きすぎました。

親のちょっとこぼしたい育児の小さな愚痴は、よくあることよと話をそらされていました。

当時の職員らの「私達は何もしなくていいと言われていたんです」「私達は何も教えてもらえなかったんです」という言い訳から始まりました。厳しい言葉になりますが、彼女らの教えてもらえなかったことの言い訳を聞き流しました。

出来ることから一つ一つ、丁寧に積み上げました。

環境設定から見直し、おもちゃの配置、量、事故予防に配慮した空間、まずは子ども達が安心して遊べる空間を作りました。

すると子どもたちの動きが変わりました。

次は利用者の主体性を尊重した場を作り、人と人の関係を生み出す場づくりに挑戦しました。

すると親は自分の子どもと遊ぶようになりました。

職員は公平に接し、対等な関係を意識し、ひろば全体に気を配るようにしました。「最近どうですか?」と全員に声をかけるようにしました。

すると親から気軽な相談が出てくるようになりました。

課題のある親子に気づくようになり、多様性を受け入れ、寛容な雰囲気の場を作るよう心がけました。

すると、他人の気持ちを想像し、共感的な対応を取る親が増えました。

いつの間にか子どもを真ん中に置き、親同士が悩み事相談室を始め、誰かの一つの問題をみんなで一緒に考えてくれるようになりました。今日ここにきて本当によかったと言ってくれる人が多くなりました。

過去の数字をコロナのせいする情けない言葉を打ち消すように、事実は塗り替えられ、利用者は右肩上がりで増え続け、沢山の親子が集う場所になりました。

支え合う利用者の皆様がいてくれるおかげで、わたしは専任職員の立場として、粘り強く支援をすることができました。行動の背景にある理由、個々の事情、問題を子どもの性格と決めつけず、自分を含め、わたしたちは未熟で弱い存在であり、母親も一緒に成長していく過程であるから、失敗があって当然よという思いで時には言葉にし、時には何も言わず温かく見守りました。


今、自身が置かれている状況は、活動の分析を行うことができない環境にあり、振り返りができずにいます。自分の使える余暇で実践のために学ぶことはできても、それを支援に生かすことはできても、偏らないように気を付けていても、やはりチームが機能していなければ、現実として届かないこともあります。

この2年で拠点に関する専門知識は数多く身につけました。実践援助も経験が増えました。

でも、一人だからできることもあれば、チームだからできることもあります。それを分かっているから、とてももどかしく、伸ばす手が二本しかないもどかしさと戦う毎日でした。

環境がそうさせたのか、支援員としての精度は一段階高くなってきた感覚があった一方で、今日の支援はどうだったかな、誰か何か言いたかったことは無かったかなと閉室後に考える日が続きました。届かないでいるかもしれないことに気づく、自身の成長がそう気づかせるようになったのだと思います。

そんな自分が、2度目の送り出しとなる年度末の3月を迎えました。最近は0歳または1歳で復職される方が多いので、来月から保育園に入園が決まっている人は今月で利用が一区切りになります。2年育休を取ってる人、そう、わたしが配属されてから変容を遂げてきた支援センターを見てきた時の番人のような方々も、いよいよ社会に戻るときがやってきました。

1年間でみんなと歌った手遊びや、わらべ歌、身体遊び、パネルシアター、絵本、パラバルーンなど、時間の許す限り思い切り思う存分演目を実施しました。

最後に、利用者の皆様に贈る言葉として、自分が伝えたかった言葉が詰め込まれている、鈴木守さんの「あなたがだいすき」という絵本を読みました。そして終盤で泣いてしまいました。

支援員が泣いてしまっては、利用者が泣けなくなる。それは十分承知しています。平常心を保つこと、トップコンディションで立つこと、わたしはこの2年、地域で一番の支援員を目指すと本気で思っていましたし、誰よりも子育て支援について学んだと思っていますし、支援員の在り方も十分承知しています。でもわたしのおかれた環境は、そのくらいだであると思ってくれたらとお察しいただけたら幸いです。


わたしはみんなのことが大好きで
だからこそわかることがあって
みんなが遠慮して聞いてほしいいということがあっても我慢して
おうちに帰っているのではないかと心配で

今は手が二本、目は二つしかないから
どうしても目も手も届かないことがあることも気づいていて
でもみんな優しいから
わたしが届かない場所を補完してくれるように
新しく来た人に「何か月ですか?」と声をかけてくれたり
わたしに気が付かれないようにそっとおもちゃを片付けてくれたり

ちゃんと気づいているんです
去年も今年もみなさまの送りだしという大切な時期にこんな状況ですが
みんなほんとうにありがとう

ほぼ原文です。

一緒に泣いてくれた人もいたり、育休中の保育士や幼稚園教諭の先生もいたのですが、まあみんなそこらへんはプロフェッショナルですから、ニヤニヤしながらどんまーい!とか、ないてるー!とか言って笑ってくれていました。みんな優しいんですよ、どこまで行ってもかなわない。

泣かないように前日に通し練習をしたのですが、ダメでしたね。
まあ、フルスロットルで装備万全な支援員として拠点に立つ者の、ちょっとした人間味のあるお話でした。


今回の件で更に自信が確信に変わり、実感しましたが、入職当初から掲げていた大きな目標であったピアサポートが生まれる本当にステキな支援センターになりました。

1年目は環境改善、講習会の充実、職員の意識改革、2年目は実践援助力の向上と目標を掲げていましたが、今できる最大出力で挑戦した結果、子ども立ち含め、全員総出で利用者であり当事者の保護者の皆様が作り上げた、市内で一番ステキな場所になったと思います。

みんなで作り上げた場所であるということから、自分の奢りにも気づき、反省点にも気づきました。でも、結果、当事者である保護者の皆様が自分たちの居場所の建て直しに一助下さり、そして新しい命を迎え入れ、人が循環していく素晴らしい空間が出来上がったのだと思います。


子育て支援に関わる学びは2年間でほぼ習得したので、今わたしは次の目標「個」を見る支援を目指し、仕事のお休みの合間に学びを進め、BS初任者&現任研修を経て、居宅訪問保育の勉強をしています。現地で1対1で保育をすることで、支援センターでの子ども達の見え方も大きく変わってきました。このお話は特に支援員の方で学びにお困りの方には、参考にして頂けると思うので、またぜひこの場でお話させてください。

まだまだ大きな課題はありますし、自己成長もまだまだこれからが本番なので、もっともっと太く大きな木になって、みんなの止まり木であり、巣立ちの場となれるよう、全力で頑張ります。

お子様達とその保護者様の仕事に就いて16年
初めて保護者様の前で泣きました。
プロフェッショナルの道は遠いな~。

ましこ







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