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【うつヌケ体験①/5】プチ不調、イライラ、社内トラブル…全ては”サイン”だった

2015年、私は「うつ状態」に陥りました。幸い出会いに恵まれ、”最短”で抜けることができました。

「うつ」とは、現代人の場合、そのほとんどは「疲労」のことだそうです。

コロナ禍を経た今、この時の私と似た症状で悩んでいる方も、少なからずいらっしゃるだろうと想像します。
今ひそかにしんどい思いをしている方々。その中の一人だけでも、
「もしかしたら、自分は疲労しているのかも」
と気づけるかもしれない。その願いを持って、この体験談を綴ります(全5回)。

なお、この体験談は、2016年から別のサイトのブログで投稿していた内容です。ブログはクローズし、現在のことなどを追記してnoteで公開します。


1、始まりは「耳がつまった感じ」から

ことの始まりは、2015年、8月初旬のとある土曜日。久しぶりに学生時代の仲間たちとの飲み会がありました。

当時、私の仕事は広告記事を中心とした情報紙の編集。2度の転職を経てたどりついた、私なりの天職は、常日ごろ“忙しい”のが当たり前。忙しい日々のなか、気楽な仲間たちと会って話すのは、貴重なストレス解消の時間です。勤務して15年目にあたる、この夏は特に忙しくて、なんだか体の芯が重い日々。それを振り切るようにして、飲み会に参加したのでした。

飲み会はいつもどおり楽しかったのですが、私はあることに気付きました。ときどき、みんなの話が聞こえづらいのです。

「え? 今、何て言った?」
何度か私は聞き返していました。

1軒目はにぎやかなトルコ料理店だったのですが、2軒目の静かなバーでも同じこと。
なんか耳の聞こえが悪いかも…。今思えば、それが「サイン」の一つでした。

なんだか耳がつまった感じ。そう思いながら、そのあとも、私は医者には行かず、出勤を続けていました。もともと医者や病院が苦手なタイプ。行かなくていい理由があるなら、行かずに済ませたいほうです。

「今、忙しいし」
「夏休み中の編集部員がいるから、その替わりをしなくては」

特に所属する編集部は、一人、人が減ったばかり。私も周囲も、業務のバランスが変化していました。人員の補充をしてほしいと上司に訴えつつ、その手前もあり、「今はいつも以上に忙しい時なのよ! 休んだり病院に行くヒマなんて、あるわけがないじゃない」
と、プリプリ考えていました。

今思えば、これもサインの2つ目。もちろん、当時の私はそんなことを知る由もありません。

日を追うごとに、次第にひどくなる耳のつまり。ついに、さすがの私も我慢しきれなくなり、近所の耳鼻科を受診しました。8月末のことです。

このクリニックは、娘も保育園のころからお世話になっているところ。女医の先生はてきぱきと診察をし、聴力調査をしてくれました。

「先生、もしかして私、耳あかでもつまっているんですかね?」
「いや、特につまっていないですね」
「でも、なんかつまっているんです。聞こえが悪いみたいなんです」
「聴力結果を見ると、たしかに正常より落ちているわね。特に低音が落ちている」先生はふと私を見つめて、
「お仕事は忙しいですか? 眠れている?」
「え? 仕事?」
「そう、仕事」
「ちょうど1人減ったところで、すごく忙しいですけど…」
「耳の不調は、おそらく仕事のストレスでしょう。疲労が出ているんです。お薬も処方しますから、なるべく静かなところで休んでね」

静かなところで休む? そんなことが出来るわけがない…。

心のうちで思いながら、「仕事のストレス」「疲労」という世間的にはよく聞く言葉を、初めて自分のこととしてインプットしました。

このとき、初めて「導眠剤」も処方されました。なんといっても病院が嫌いなので薬もなるべく飲まないでいたいほうです。ものすごく抵抗感がありましたが、「依存性はない」という説明を受けて、おそるおそる就寝前に飲んでみました。

すると、朝までぐっすり眠れたのです。
「そうか。最近、私は眠れていなかったんだ」
そのことに、初めて気づきました。

ふと思い当たることがあります。このところ、横で寝る夫のいびきで、夜中にたびたび起きていました。
「パパのいびきがひどくなったから、眠れないんだけど!」
と、文句をよく言っていたのです。

「夫のいびきがひどくなって眠れない」、それは夫ではなく、私のサインだったのです。余談ですが、いびきがうるさくて、よく枕で夫の顔をたたいていました。そのたびにハッといびきを止める夫。夫もふんだりけったりでした。

2、トイレで号泣事件「私、どうしちゃったの?」


耳鼻科受診を続けつつ、耳のつまりは一進一退で、状況はどんどん悪くなっていく一方でした。

毎朝、なんとなく重い体を起こす。朝ごはんを食べて、会社に行く。

会社では、原稿のチェック、打ち合わせ、連絡と調整、人の手配が山積み。サクサクとこなしていきたいのに、持ち込まれるのは、工程に余裕のない、ギリギリのスケジュールの案件ばかり(と、当時感じていました)。

「このスケジュールで、どう進めようと思っているの」
「早く資料を出して」
「もう校了時間過ぎているよ。確認の返事はいつなの!」

私は、常にイライラしていました。眉間にしわが寄ったまま、午前中が、午後が、夕方が、夜があっという間に過ぎていきます。

ある日、事件が起きました。

私が原稿チェックを担当した広告記事に、表現上のミスが見つかったのです。担当したライターも、チェック係である私も、クライアントも、その窓口である営業担当のAさんも見逃していましたが、送稿前に最終チェック担当者が見つけたのです。急いで直して、もう一度クライアントに確認すれば間に合うタイミングではありました。

ほかのギリギリ案件で頭がいっぱいだった私は、営業のAさんの席に行って話し、直して確認して、さっさとコトを済ませたいと考えました。そこで、Aさんに、謝ることもそこそこに「どうする?」と聞いたのです。

その態度に、Aさんはキレてしまいました。
「どうするって、そもそもそっちのミスですよね?」
「まあ、そうだけど…」
「どうしてくれるんですか」
「…」
「まあ、そもそも期待していませんから」
Aさんは吐き捨てるようにいいました。

私は、ぐっさり、ナイフで刺された気がしました。だまって席に戻ります。座ったとたん、くやしさが、怒りが、悲しさが、涙とともにどっとあふれてきました。

私はあわててトイレに走りました。個室にかけこみ、便器に伏せて、こみ上げるまま嗚咽しました。

一生懸命やっているのに! 一生懸命やっているのに!

「一生懸命やっているのに」、そのあとの言葉はいろいろです。周囲の人は協力してくれない。わかってくれない。仕事が終わらない。疲れてばかり。調子が悪い。休めない。苦しい。

感情に身を明け渡して、私はしばらく、嗚咽をほとばしるままにしました。

しばらくすると、どこかで冷静な自分がささやきました。
「私、どうしちゃったの? 別の人になっちゃったみたい。なんかおかしい…」

誤解のないように、補足します。たしかに所属していた部は、社内でも仕事の種類も多く、忙しい部署ではありました。けれども「ギリギリ案件ばかり」とは、実は当時の私の感じ方。ちゃんとスケジュール的に余裕がある仕事も多数ありました。

またAさんとのやりとりのようなことも、程度の差こそあれ、これまでにも少なからずあったこと。長く働いていれば、どんな職場でも、いさかいは全くないわけではないでしょう。少なくとも以前の私なら、その場で怒ったり、悪いと思えば謝ったり、上司に仲裁してもらったり、決してクールではないにせよ、それなりに対処して済んでいたと思います。

でも、このときの私は明らかに反応が過剰でした。

そう、これは典型的なうつのサイン。

うつに陥ると、「別人格化」という現象が現れます。それは、疲れ切った自分を守る仕組みなのだとか。ただし、当時の私はわけもわからず、ただ自分がおかしいことに不安になりました。

「会社を辞めたいです…」
この事件のあと、私は上司に、そうもらしました。

少し唐突に聞こえるかもしれませんが、もともと、いつかは会社を辞めて、フリーでやっていきたいとは、漠然と考えていました。けれども、このときの「辞めたい」は、夢やビジョンではありません。
「もう疲れた。何も考えたくない」
というネガティブな意味合いでした。

3、大人1人を背負っているようなダルさ


「会社を辞めたい」
そう話す私に、上司は一週間のお休みをすすめてくれました。

ところが「辞めたい」と言いながら、一方で「今は会社を休むわけにはいかない」という思いが、かたくなに頭を離れません。

同僚のBさんも「ちょうど大きい仕事が終わって、私も落ち着いたから、ぜひ休んで。大丈夫だよ」と言ってくれたのですが、
「Bさんは私に気を遣って、本当は困るのに、わざとそう言ってくれている」
と思っていました。

「今一週間も休んだら、ほかの人にしわ寄せがいってしまいます。3日でいいです」
なかなか気が進みませんでしたが、そう言って、まず3日休みました。その後、すぐに9月のシルバーウイークがあったので、さらに5日連続で休みました。

この休みはほとんど寝て過ごしました。朝ごはんを食べて、疲れを感じて寝る。昼に起きてランチを食べて、また体がだるくて寝る。夕方起きて、夕飯を用意し、また夜寝る。いくら寝ても寝ても「疲れた感じ」がとれません。

しかも目覚めても、すぐに動けない。布団から起き上がれない。夫も娘も心配そうに、冬眠の熊のような私を見守っていました。

10月に入ると、耳のつまり、倦怠感に加えて、今度は手足、背中が重たくなってきました。それは、もう1人、大人を背負っているのかのような重たさ。席に座っていても、自分の体を支えているイメージでした。

「さすがにおかしい。深刻な病気かもしれない」

不安にかられた私は内科や神経内科にもかかりました。が、血液検査もCTスキャンも異常なし。医者は首をかしげるばかりでした。

*つづく

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