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【うつヌケ体験③/5】”調子の波”のサーフィンが始まる

元・自衛隊メンタル教官の下園壮太先生と、そのお弟子さんであるSさんに伴走していただきながら、心身のリハビリが本格的に始まりました。
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8、うつを避けられなかったのか?


私が疲労をため込み、いつのまにか「うつ状態」に陥ってしまった5年間。

けれども、よく考えると、長い通勤時間も人事異動も、多くの人が経験すること。また震災時のストレスも、直接の被災者の方々に比べれば、例えようもないくらい小さかったはずです。

なのに、なぜ私はうつになってしまったのでしょうか。途中で避けられなかったのでしょうか。

下園先生によると、2つのポイントがありました。

1つは「年齢」。

私は38歳から43歳になっていました。その年齢が疲労回復のスピードを、次第に遅らせていたのです。当然のことながら(?!)、本人は年齢のことは過少評価。”いつまでも若いつもり”です(ううう、こう書いててへこみますケド!)。ときにそれはステキなことですが、こと疲労に関しては「適正評価」をしなくてはいけなかったようです。

2つ目のポイントは「休み方」。

ある年齢を過ぎたら、休みは旅行やテーマパーク、飲み会といったハシャギ系ではなく、静かな趣味や過ごし方を心がけること。なぜかというと、ハシャギ系は楽しくても、エネルギーを消耗するから。エネルギーを充電できる過ごし方でしっかり疲れをとる必要があったのです。なのに、私は週末もイベントの立ち上げで、動き回っていました。

そういえば、女性の先輩で、こんな人がいました。
「休みの日は顔を絶対洗わない。怠惰を自分に許すことでストレス解消にしているの」
いつも有能で美しい先輩なので、そのギャップに笑ってしまいましたが、理にかなっていたんだな、と思います。

なるほどと思ったのは、休日は最初から生活に組み入れなくてはいけない、ということ。

自衛隊員は元気なうちに、休みを設定しておくシステムになっているそうです。疲れてくると「休みをとる」という判断が出来なくなるというのがその理由。「疲れたら休む」ではなく「疲れる前に休む」べきでした。

さらに、下園先生によると、「人事異動」直後も要注意ポイントでした。

異動は環境の変化であり、エネルギーが動くこと。栄転であれ左遷であれ、異動の前後は慎重に休養をとるべきだそうです。

私にとって、本社への異動は通勤時間の短縮を意味していました。身軽になったからと、つい地元イベント立ち上げなどに動き、それは楽しいことでもあったのですが、一方で疲労の要因になっていたのです。

ただし、休日や休養が有効なのは「疲労の第2段階」まで。

疲労の第2段階までに、一週間くらい何もせずに徹底的に休養し、心と体のエネルギーを回復させる。それが出来れば、第3段階の「うつ状態」に陥ることを避けられた可能性は高かった。

でも当時の私はもちろん、そんな知識も、自分が疲れている認識もまったくなく、ただただ疲労を積み重ねていました。

振り返ると、”アドレナリン”が効いて、疲労を感知するシステムが麻痺していた、とも感じます。

カウンセリングの中で、印象的だった下園先生の言葉がありました。

「何か出来事があるから、うつ状態になるのではないんですよ。うつだから、同じ出来事もつらく感じる。うつ状態でなかったら、何でもない出来事も多いんです」

世の中には思いがけないショックな出来事をきっかけに、うつになる人もいます。

でも、うつになるのは、実は出来事そのものが原因なのではなくて、その出来事も含めてエネルギーが低下し、回復し切らないまま消耗を重ねてしまうケースが圧倒的なのだそう。

何があったか、ではなく、エネルギー状態はどうなのか。

私の場合も、通勤や震災、体制の変化、日々の仕事は、うつの直接的な原因そのものではなかったのです。それらによって疲弊して、エネルギーが低下していたこと。それが原因でした。

9、薬ギライの服薬問題

11月、下園先生とSさんのカウンセリングとは別に、心療内科にも行きました。

「エネルギーを回復させるためには、医療の力を借りたほうが断然治りが早いですよ」
という、下園先生のアドバイスに従ったのです。休職のために、会社に診断書の提出も必要でした。

結果的に私の場合は、投薬による治療はなしとなりました。

初回に処方された抗うつ剤が合わず、吐き気の副作用が出たのです。次は自分に合った種類を探して、また別の薬を試すのが通常の段取りだと聞いたのですが、副作用に耐える自信がありませんでした。

第1回カウンセリングのときに、そのことを下園先生に訴えたところ、
「あなたの今の状態ならば、抗うつ剤はなくてもいけるかもしれない。副作用を心配するのは気が重いと、正直にお医者さんに相談してみるといいと思うよ」
との回答でした。

幸い、心療内科で受けたうつ状態の度合いを測る診断テストでも、私は「うつ病の入り口レベル」という結果が出ました。
クリニックの先生に
「薬をどうしても飲みたくないのですが…」
と話すと、
「では、あなたの場合は薬はなくてもいいでしょう。休職ということですから、ゆっくり休みながら治療できるしね。導眠剤と頓服の抗不安剤だけは、念のため処方してあげましょう」
とあっさり、投薬なしをOKしてくれました。

私はクリニックの先生に、
「十分つらかったのに、これでも、まだ入り口なんですね」
と、思わずぼやきました。すると、
「そうだね。初診でワッと泣き出す人も多いですよ」
と、先生。図らずも早期休職、早期受診となった流れを、本当にありがたいことだったのだと感じました。

ただこの投薬に関しては、私自身の、今回におけるケースの判断であったことを改めて、ここで強調させてください。

服薬については、色々な考え方があります。私の場合はもともと薬が苦手なタイプで、うつの度合いも軽い段階での受診。積極的に投薬なしの道を行くことが許されました。

ですが下園先生も、のちにお世話になる鍼灸の先生も、「決して投薬治療を否定すべきではない」という考え方をされています。私自身ももっとつらい状態だったり、副作用の少ないものが見つかったりできれば、おそらく薬の力を借りたと思います。

うつ状態とは心身のエネルギーの枯渇。一時的に薬で体力気力を補強することは、かなり有効と思われます。

とはいえ、うつ状態で副作用が出てしまったら、本当につらい。その場合は、かかりつけの医師や薬剤師とタグをがっちり組んで、相談しながら頼りながら、自分に合う薬選びを進めていくようにしたらいいと思います。

いずれにしても、最初は”緊急事態”。不安や疑念を強く感じやすい時期でもありますが、本人が「納得できる」「助かる」と思える方法を、納得して選べること。周囲の方々も、ぜひその点に留意してサポートしてあげてほしいと切に思います。

10、暗幕の百枚斬り


「この1カ月は、自分は入院したと思って過ごして」
下園先生のアドバイスに従って、この休職期間を過ごしました。

基本的には寝る。そのほかは少し家事をしたり、テレビを見たり、読書や散歩をしたり…。ときにごく親しい友人とランチやお茶に出ることもありましたが、最初のころは、どれもすぐ疲れて、中断して横になることも多い日々でした。

それでも、日を重ねるごとに、復調の兆しが増えていきました。

お昼寝をしないですむ。
本を一冊、読み切れる。
公園の入り口で終わっていた散歩が、公園の奥まで延びる。
自分にしかわからない、ゆっくりスピードでしたが、1カ月が経つころにはかなり元気になっていたのです。

2回目のカウンセリング。私は休養すべき時期を順調に過ぎ、「リハビリ期」に入ったことを告げられました。

「前も説明したけど、ここからが、なかなか本人にとってはつらい時期なんです」
と、下園先生。

「体力は回復したけれども、気持ちは相変わらずアップダウンを繰り返す。ときにダウン時のレベルが最悪のときまで落ちることがある。そのときにまた “うつ状態に戻った”と本人が感じてしまう。でもそれは逆戻りしたのではなく、あくまでも軽快する過程。そのことを、カウンセラーである僕らは何度でも説明します」

たしかに、体力回復の半面、気持ちの整理はなかなかつけられない状態。たまに不意打ちのように「このまま治らなかったらどうしよう」という不安や焦り、「どうして私がこんな目に」という悲しさやイライラが出てきて、よく葛藤していました。

「”暗幕の百枚斬り”って、僕は呼んでいるんだけど」
と、下園先生。

「うつのリハビリ期は斬っても斬っても、ネガティブな感情が出てくる。でも斬って斬って斬りまくっていると、やがて終わるんですよ」
とニッコリ。

「はあ…」
時代劇みたいなんですけど…と、そっと心のなかでツッコミつつ、百枚も斬らなくてはいけないのか、先は長いな、とため息が出ました。

カウンセリングの最後に、休職後の身の振り方についても話し合いました。

私の胸のうちは「退社」に、ほぼ傾いていました。
復職すると、どうしても予想されるのがさまざまな要素の発生。少しでも”最短”で回復することを、何よりも優先したかったのです。

「では、退社でいきましょう」
と、下園先生は即答。

もう少し、決断に時間をかけてもいいような気もしましたが、迷いはありません。それにもう返事の期限も迫っています。ホッとする気持ちもありました。

11、魔のお正月

12月、会社側との最終的な話し合いを経て、退社が正式決定。休職に入る前にほとんどの引き継ぎが終わっていたので、12月25日に荷物をとりにいって約15年の勤務は終わりました。

久しぶりに会う大勢の人たちとの挨拶、メール。
一読ではわかりにくい事務手続き。
胸によぎる退社の寂しさ。

怒涛の数日が過ぎて年の瀬が迫るころ、私はすっかり疲れ果ててしまいました。体が、しばらく忘れていた、あのイヤな重苦しい感じを訴えてきました。こたつに入ったまま、どうしても動けません。

「大好きな職場だったのに、どうして私が、こんな形で辞めなければいけなかったの」
突然、どうにもならない怒りがこみ上げてきました。
ヒントを求めて、下園先生の書籍を開きます。
が、がまんできなくなってバタン、と閉じました。

「うつ」という言葉を見るのもイヤ。
「うつである」というこの状態もイヤ。
何もかもがイヤ! 
でも逃れられない…

悲しくなってきて、涙がこぼれてきました。私は、初めて下園先生にメールをしました。
何かあったらいつでもメールしてきてもいいですよ、といわれていたのです。その何かは、まさに、このときだと思いました。

<以下、メールのやりとり>

私/
先日はカウンセリングをありがとうございました。最終話し合いがあり、12月31日付の退社が正式に決定、25日に荷物を取りに行き、挨拶に回って退社しました。ドッといろいろな手続きが発生し(あまりに急だったため、年明けかなり持ち越しに…)、久しぶりに多くの人に会い、正直、大変疲れました。3日ほど体が動かない、あの「イヤな感じ」が戻ってきてしまい、暗たんたる思いに。昨日は8時過ぎに早々に寝て、今日からは少し抜けた感じです。下園先生やSさんなら何ておっしゃるかな? きっと「これがリハビリ期だよ」「本人がまた落ちたと思っても、段階は治っているから大丈夫」っておっしゃるだろうな…と必死に考えて、今やり過ごしております。本当に早く治りたいです…。

下園先生/
それは大変でしたね。リハビリ期の人が人に会うのは本当に大変なエネルギーを使うのです。向山さんの充電度は、おそらくまだ70~80パーセントです。それで、退職の様々な手続きや挨拶をこなしたのだから、よく頑張りました。避けて通れないことですものね。

通常、そのような「運命の波」でエネルギーを使うと、2倍モードで疲労が蓄積します。おそらく1週間ぐらいは、調子が悪くても仕方ないと思ってください。この間、お正月でいろいろペースが乱れるかもしれませんが、できるだけ今年の年末年始は、穏やかに過ごすといいと思います。そうすれば、また安心した生活に戻れますよ。

リハビリ期でも、上手にコントロールして過剰刺激が少ない生活では、今回のような「落ち込み」を経験することがないので、案外、自分は治ってしまったのか…と誤解して、早めに仕事を再開して失敗することがあります。ですから時々、今回のようにプチ落ち込みをするのは、あと数か月、しっかりリハビリ生活を続けるためには、必要なことかもしれません。いずれにしても、そんなに心配する出来事ではありませんよ。きっと、よい年を迎えられます。

私/
メールをお守りのように何度も読み返しました。少し泣き言めいたことになってしまいますが…、ときどき「うつ」であることに飽きてしまうんです。嫌気がさす、という言葉がぴったりなのですが、でも体が動かないので、無性に悲しくなってしまいます。また、あとこの状態が数カ月続くことに(一年ではなく数カ月であることにしみじみと感謝を持てるときもあるのですが)、「なんで私だけこんな目に」「私も働きたいのに」とやり場のない怒りを感じてしまうのです。そんなときは寝たり呼吸法を試したり、働いていない自分を自分で認めて受け入れる練習なのかも…と考え直したりしています。今はそんな日々です。気持ちを吐き出したくなり、長くなって大変失礼いたしました(気持ちのプチ大掃除です)。

下園先生/
うつの回復には、自分にはわからない段階があります。段階は進んでいるのですが、本人にとっては単なる苦しさの変化にしか感じられません。向山さんの考察のとおり、今の苦しみは、着実に回復している方向の「質」の変化です。通常回復は、不安や恐怖にブレーキをかける機能が回復してきます。セロトニンの活性化です。これで大きな不安や恐怖を感じることが少なくなります。

次に、不安や恐怖そのものが小さくなってきます。ノルアドレナリンの低下です。通常不眠も回復する時期です。この時期に、外界に対して「戦えるぞ」という無意識の気力も回復するので、怒りが強くなるのです。いま、向山さんはここです。

その後、これが少し長くかかるのですが、生きる喜びや興味が回復してきます。つまり、前向きに活動していいという体からのサインです。これはドーパミン系。うつであることに嫌気がさすというのは、なかなか思い通りにならない自分への「悲しさ」「怒り」でしょう。そんな思いとはしばらくお付き合いいただくことになるかもしれません。生きていることの意味をしっかり感じられるようになるのは、来年の初夏でしょう。ただ、もちろんそれまで何もしないほうが良いかというとそうではなく、少しずつ社会復帰のリハビリはしていきます。疲労度をコントロールしながら。

うつの回復は長い道のりですが、向山さんの今の段階は、骨折で例えれば、骨が付き始めた時期です。レントゲンで見たら、着実に良くなっています、というところです。もう少ししたら、ギブスが取れて、軽やかになります。お正月を無事に過ごせれば、2月の末には、そんな状態になれますよ。


以上が、このときにやりとりさせていただいた、実際のメールです。

このおかげで、私はようやく落ち着くことができました。体調は決して良いとはいえませんでしたが、お正月には旅行へ。家族だけスキーをしてもらって、私は部屋のなかでのんびり過ごすことにしました。
また、いくつかの用事は、家族にも協力してもらって調整。うつ状態の人にとって”魔の時期”といわれるお正月を何とか乗り切りました(なぜ”魔”なのかというと、年末年始は人に会う機会も多く、ペースが乱されがちだから、だそうです)。

「うつのリハビリ期は暗幕の百枚斬り。何度も落ち込みを体験します」
と、説明を受けて、自分でも分かったつもりでいました。
でもいざとなると、頭ではわかっていても、気持ちが落ちてしまい不安が大きくなるのを止められませんでした。

結局救われたのは、「大丈夫。回復の過程にある」というメール。
「カウンセラーである僕らは、何度でも説明します」
という、下園先生の言葉が反すうされました。

*次へ続きます

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