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こころのかくれんぼ 11     【入院徒然日記 ~術後HCU~】

「こうのさん こうのさん わかりますか」
頭の上の方で、名前を呼ばれている気配がする。
私・・・?と、目をあけようとするが、うまく開かない。
自分の瞼の形で縁取られた紡錘形の視界の中に、何人かの人が見下ろしている様子がぼんやりと見える。
手術、終わったのか。
返事を返したいけど、声がうまく出ない。
少しだけ首を縦に振って答えた。

睡眠からの目覚めとは違う、強烈な違和感に少し混乱する。
意識が強制的にシャットダウンされて、また強制的に引き戻された…と言えば伝わるだろうか。1秒前の自分はどこに行った?時間の感覚も自分のいる場所も、体の感覚も掴めない、そして動けない。
そのうちに、身体が運ばれる感覚がした。ストレッチャーに移動して、手術室から出ているのだろう。両脇で誰かが喋っているようだが、聞き取れない。
すぐ眠りに落ちてしまって意識が持続しないのだ。目を閉じていても、まぶた越しに天井の光を感じる。
あぁ眩しいなぁと感じた瞬間、自分の身体中が不意にガクガクと震えだすのを感じた。身体の奥深くから地震が起きているようで止まらない。
「あぁ・・・これ、シバリングだ・・・」と思った矢先に「あ。シバリング」と話している誰かの声が届く。

シバリング
体温が下がった時に脳の視床下部から骨格筋に指令が行き、筋肉を動かすことで熱を発生させ、体温を保とうとする生理現象。 体が震えたり、口ががたがた震えたりする。 主に術後、全身麻酔からの覚醒後に起こる。




確か、術時間は6時間くらいと言っていた。手術室は温度管理されているとはいえ、暖房が効いているわけではない。全裸でその時間を過ごしていたらやはり体温も下がるだろう。
「自分の体温を戻すための熱生産中。頑張って骨格筋。運動して筋肉つけておけばよかった。インフルエンザの比較にならない震えだな。すごいな、これ。身体ってこんなに動くんだ」と、ガクガクしながら取り留めもなく考えていたら、右わき腹に焼けるように強烈な痛みを感じた。あぁ、ここ。腫瘍の数が集中して多かったところだ。


前回の術後には鎮痛剤の副作用の吐き気がキツすぎて、今回は麻酔科医と相談して持続投与をやめてもらったのだ。傷が動かないように安静にしたくても、身体が勝手に震えて動いてしまうから、引き連れる痛みも治まらない。
だめだ。部屋についたら、一度お薬を使ってもらわないと。頭の中で状況を冷静に客観視している自分がいた。

こんな時、何も知らなければ「なんでこんなに震えてるの!止まらない!どうなるの!凄く痛い!怖い!」とパニックになってもおかしくない。
実際に術後覚醒時に様々な理由で暴れてしまう方も、少なくはなかった。
自分の身に何が起きているのか、どうすれば治まるのかを理解している事は、心身を落ち着かせる方略の一つになるのだと改めて感じた場面だった。


震えながらHCUに到着する。
身体の下に板状のマットが挟み込まれ、スライダーのようにベッドに滑り落ちる。段差の衝撃も少ない。皆さん、さすがにお上手だった。
担当の看護師さんが少し腰を落とした姿勢で、やや低い静かなトーンのゆっくりした口調で自己紹介をしてくれた。それだけでほっとする。
大きくて高い声や早口は、地味に耳にダメージが大きいのだ。
そして、尋ねなくても今の時刻を伝えてくれたことが嬉しかった。
室内には時計がない。目覚めたばかりで感覚が曖昧な私には有難かった。
時間が異常にゆっくりと流れているようで、ふと眠るとあっという間に何時間も過ぎているような・・・とにかく感覚がおかしいのだ。
時間・場所・人物の把握。それらが分からずに落ち着かず、不穏になってしまうご高齢者の気持ちに少し触れられた気がした。


自分が低体温だったこともあり、足元から胸まで掛けられた布団の少しの重みと電気毛布のぬくもりが嬉しかった。何よりも、血圧計を巻く時に私の腕に触れる看護師さんの手の暖かさに、ほっとした。自分自身、患者さんに触れる時には手が冷たくないように配慮してはいた。「わぁ、あったかい」と細く冷えた手で私の手を握って下さった方もいた。
自分が暖かい手で触れられて、その時の患者さんたちの心境が重なっていく。

検温が終わり「寒さのほかに何がつらいですか?」と尋ねられた。
腹部全体の傷口が痛いと答え、可能であれば…と痛み止めの希望を伝えた。今回薬の持続投与をされていない経緯も、既に記録で伝わっているようだ。有り難い。
すると「人生の中で最も痛い経験を10とすると、今は幾つですか?」と言う問いを受けた。
これはNRS(Numerical Rating Scale)評価。痛みを0から10までの11段階で表す疼痛スケールだ。
痛みを数値化することで処置の前後の客観的評価がしやすいという理由もあり、多くの病院が取り入れている。
私の勤めていた病院・施設でも行っていたが、これは聞かれると結構難しい。最も痛かった時の記憶を想起して、現状と比較するのは何とも曖昧なものだ。
「今は5~6ですが、もっと強くなる気がします。ズキズキ鋭くて熱く焼けるような痛み。お腹全体に広がっています」と、まだ眠気が残りながらも答えた。痛みの部位、程度、種類を具体的に答えてしまったのはいつもの癖だった。しまった。専業主婦を装ってきたのに。
どうしよう。

点滴を用意してくれた際に「30分程で効いてきます。その頃にまた様子を見に来ます。でもその前につらければ、いつでも呼んで下さい」と、手から落ちないようにナースコールを握らせてくれた。
うん、ありがとう、ありがとう。
その対応だけで安心して、痛みが和らぐ気がする。
「ナースコールをお守り代わりに握っていたい」と言っていた方の気持ち、今ではわかる。こんなにも安心の材料になるのね。

私は「ぬくもり」とか「あたたかい」という言葉が、もともと好きだ。
こうして冷えて痛みを抱えている身で感じるぬくもりは、また違う意味を持つことに気付いた。ぬくもりもあたたかさも「生きている」事そのものなのだ、と。
冷たさや不安は痛みを強め、あたたかさや安心は痛みを和らげる。
鎮痛剤や鎮静剤の力は強いけれど、決してそれが100%の効果ではない。
薬の力で押さえつけているだけの事も、多々あるのだと感じている。
心の芯から不安と苦痛を和らげるには、人から感じる心遣いや安心して身を委ねられる環境の力が必要なのだろう。
本当に、心と体はひとつなのだ。
少しずつ腹部の痛みが落ち着いて、震えが静まる体を感じながら、すとんと眠りに落ちていった。


つづく

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