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家族について③長兄

・長兄について。
兄は2人居るが、長兄とは12歳離れている。
次兄は2歳。

ちなみにひとまわり離れてると
小1の自分、彼は18歳、、

親代わりのような存在だったように思う。
親ほど鬱陶しくはない
時々叱られる
他はふざける
遊ぶ

まさにわたしが想像する「お兄ちゃん」
だった。
私にとって今も憧れの人かも。
スーパーマンみたいなヒーローみたいな
優しく頭が良く面白いスポーツマン。

兄はミスチルや槙原敬之のCDを持ってて
MDに入れさせてもらった記憶がある。
私が高校、浪人生をしてるときは
常に音楽に救いを求めていて
ミスチルは心に刺さる言葉が多かった。
「さようなら 会えなくなるけどさみしくなんかないよ そのうちきっと大きな声で笑える日が来るから 動き出した僕の夢 高い山超えて
虹になれたらいいな」
「長く助走を取ったほうがより
遠くに飛べるって聞いた」

昔の自分は自己肯定感が低いせいか親の影響もあってか
高みにいなくてはいけないって思ってたから
そのレース中は辛かったけど。

レースをもう降りてっからのほうが
私には良い時間だったように思う。

長兄は31くらいのときに、実家、父、母、次兄と縁切りした。私はその時蚊帳の外だったから長兄には会えなかったけど。
その時は悲しさみたいのがあったけど
命に関わるレベルで辛いなら逃げてくれて本当に良かったって思う。

お兄ちゃんが死んじゃうより全然良かったよって思える。
幸い兄には頼れる人たちが周りに居たからありがたかった。
父も母も次兄も良くわからんことばかり粗探ししたり、「人殺しって言われた」だの「鍋の具が」
だの
全く反省も共感も真実すら見つける気がなくて
自分本位でただ否定されたことに怒り狂ってた。
無事で良かったとか言ってなかった
幼稚だよね。

だから、本当に彼は神様に、周りに愛される人なんだよね。善い人、優しい人なんだなと思う。
あの家族の中では異端。

私も異端だと思ってるけどw

「愛するということ /エーリッヒ・フロム」

愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。

 愛は自分自身の愛する能力にもとづいて、愛する人の成長と幸福を積極的に求めることである。


「愛するということ」読んだとき衝撃を受けてずっと親に違和感を感じてたことを
言語化してくれたと思った。
条件付きの愛は本当の愛ではないと。
わぁわぁ悔しくて泣いたよ。
ちくしょうって泣き喚いた。
親の愛は愛なんかじゃなかったって。
やっぱりそうかって。世界に1人ぽっちと感じてまた泣いた。

だから自分は自分を愛してやろうって決めた。


長兄は、大人として正しいことをしたと思うし
私にとってはまだ全然兄だし
会えなくても繋がってる感覚がある。

会ってるけど繋がりの感覚ないのが次兄ね😆
愛の質の差というか。
うん、愛かも。与え方、伝え方が常に上から目線なんだろうww
奴のはうぜーって感じる。😇

長兄は人を慮る人だから、気持ちが伝わるんだよね。

その感覚だけで幸せになれるから、
出会えて良かった人だと思う。
(次兄との差はなんなんだろう
挫折経験、自己研鑽の量と質、性格、承認欲求の差かな)

私が唯一
幸せをずっとずっと願っている人です。
これからも幸せでいて欲しいです。


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