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飯テロに悶える喜び

「飯テロ」でググると楽しい

寝付けない深夜2時、
ちょっと小腹が空いたなあ…
みたいなときに、「飯テロ」で画像検索をするのが好きだ。食っちゃいけない時間帯に食欲と戦うのって何か無駄に楽しい。
特に、2ちゃんねるまとめの飯テロ画像はなかなかレベルが高い。一時期テレビで流行った料理番組…「料理の鉄人」とか「どっちの料理ショー」とかを思い出してお腹が空いてくる。最近こういう番組あるのかな?
SNSの料理写真はオシャレだけどそんなに旨そうではないのよね、不思議。
ちなみに本当に食欲を抑えたいときは「アメリカのケーキ」でググるといい。

食べ物が美味しそうな作品は面白いの法則

映画評論か何かで知った言葉「食べ物が旨そうな作品は面白い」。真理だと思う。
映画に限らず、小説、漫画、ドラマ全部そうじゃないかな。「旨そう感」というのは、表現のとても重要な部分を象徴しているのかもしれない。

たいしたことないのに超旨そう

飯テロなんて言葉が出来る前から「料理が旨そう」と名高いのが池波正太郎作品。

一話目で主人公の秋山大治郎が食べる「麦飯と根深汁」が印象深い。

根深汁で飯を食べ始めた彼の両眼は童児のごとく無邪気なものであって、ふとやかな鼻はたのしげに汁のにおいを嗅ぎ、厚い唇はたきあがったばかりの麦飯をうけいれることに専念しきっているかのようだ。

麦ご飯と、ネギしか入ってない味噌汁という貧乏メシなのにめちゃくちゃ旨そう。

また、大治郎が剣客少女・佐々木三冬(これがまたとんでもない萌えキャラである)と結婚した直後の食卓もすごくいい。

三冬が脂汗をかきながら懸命に飯を炊いている傍で、大治郎は、父の小兵衛がおはるにもたせてよこした鴨の肉へ塩を振り、鉄鍋で炒りつけてから、これを薄く小さく切り分けている(中略)鉢に生卵を五つほど割り入れ、醤油と塩を少々ふりこみ、中へ煎り鴨の肉を入れてかきまぜておき、これを熱い飯の上から、たっぷりとかけまわして食べる。

米の炊き方を知らなかったお嬢様の三冬と、男一人暮らしに慣れきった大治郎の料理シーンだ。
この、若夫婦の新婚メシな感じ!ようは鴨肉の手抜き親子丼風なのだが、何かすごく羨ましい!
その後いそいそと夜の夫婦関係にコトが進むのも、非常に微笑ましい初々しさである(BBA目線ですみません)。

未知の味を探しまわった本

共産圏国家の崩壊にロシア語同時通訳としてリアルタイムで立ち会った才媛、米原万里さんの食エッセイの破壊力はすさまじい。

本文中にある「ハルヴァ」は美味しそうすぎて、食べたすぎて、輸入食品スーパーをはしごして探しまわった(あまりにも美味しそうなので引用は自粛する)。
今は冷蔵庫に常備しており、息子が寝た後のこっそりお茶タイムの楽しみである。

「冷凍白身魚の鉋屑」は、人類最寒の地ヤクートが舞台。マイナス50℃のなか素手で釣りをするロックなおじさんが獲ってくれた、北海道の「ルイベ」に似た食べ物。
釣り上げた瞬間に生きたまま凍ってしまった白身魚(マイナス50℃だからね)をカンナにかけて、その薄いカンナくず状の身を塩コショウで食べる。
これを読んでから、私はお寿司屋さんに入るたびにルイベの有無を確認し、あれば必ず注文して、食べながら
「でも米原万里さんの食べた鉋屑には絶対かなわないんだ…」
と歯噛みしている。

上げ始めるとキリが無いが、食べている情景そのものがとても幸せそうで大好きなのが「ゆで卵」のこの部分。幼い日に父に連れて行ってもらった、遊園地での光景だ。

父がゆで卵を剝いてくれている。私が一つ平らげると、またもう一つ剝いてくれる。なんて幸せなんだろう。その卵もあっという間に食べてしまう

2歳から3歳頃の記憶らしい。その後筆者は卵の食べ過ぎで一時期ひどい動物性たんぱく質のアレルギーを起こす(当たり前だ)。が、その後鍼灸師に処方された漢方で完治する。子供の食物アレルギーが完治なんて、怪しい民間療法以外で聞いた事ないよ…
この部分をもっと詳しく知りたいが、残念ながら筆者自身よく覚えていないようだ。

また、本のタイトルにもなっている「旅行者の朝食」は、ソビエト時代、(政府主導の)大衆文化の象徴のような「非常にまずいので有名な缶詰」。これについての記述もふるっている。

肉や豆や野菜と一緒に煮込んで固めたような形状をしている。ペースト状ほどには潰れていない。そう、ちょうど犬用の缶詰、あれと良く似ている。

この缶詰は旅行者にも定住者にも「まずい」と散々に言われ、ソビエト崩壊時の深刻なモノ不足のなかでも山積みで売れ残っていたのだそうだ。それでも生産が終わらなかった「旅行者の朝食」が象徴しているのは、

生産を神聖視し、商業とくに販売促進努力を罪悪視する、禁欲的な社会主義的美意識

なのだそうだ。解るような解らないような。この感覚は一種独特なロシアンジョークの基本スタンスにもなっているらしい(よくわからない)
そんなにまずいなら一度はお目にかかってみたいな、と思わせてくれるが、残念ながら現在は(さすがに)生産中止だそうで。

そして、漫画「テラフォーマーズ」のスピンオフ作品内でちらっとこの缶詰が出てきている。私は大笑いしたのだが読者層に米原クラスタがいないらしく全く話題にならなかった。

架空の料理なのに旨そう

NHKで綾瀬はるか主演のドラマ放送が始まったファンタジー大河「精霊の守り人」、ファンタジー作品なのに出てくる料理がこれまた妙に旨そうでたまらない。

わりと序盤に出てくる、下町の弁当屋「ノギ屋」のテイクアウト弁当で、根強いファンを持つのが「鳥飯」だ。

トーヤたちが買ってきてくれたのは、鳥飯だった。ジャイという辛い実の粉とナライという果実の甘い果肉をまぶしてつけこんだ鳥肉を、こんがりと焼き、ぶつ切りにして飯にまぶしたもので、これもじつにおいしかった。

これは、自宅で再現してみた。中華スパイスの「五香粉」をまぶした鶏モモ肉をすりおろしたリンゴで漬け込んで、醤油とみりんで照り焼きにしてみた。家族の評判は上々だった。
でも私が惹かれたのは魚飯のほう。

白木の薄板をまげてつくられている弁当箱の蓋をとると、いいにおいが立ちのぼった。米と麦を半々にまぜた炊きたての飯に、このあたりでゴシャと呼ぶ白身魚に甘辛いタレをぬって香ばしく焼いたものがのっかり、ちょっとピリっとする香辛料をかけてある。

もう肉より魚なんです…中年なので…
魚飯は先日放送したドラマ版でも登場。めちゃくちゃ美味しそうだった…

いまや珍しくもないのが若干のノスタルジー

「わたしのマトカ」は、映画「かもめ食堂(これも食べ物美味しそうだった!)」のフィンランドロケの思い出を中心に語られる、片桐はいりのエッセイ。

ここで語られる食のカルチャーショックに、肉にジャムをつけて食べる習慣についての記述がある。
野趣あふれるトナカイ肉に酸味の強いベリーのジャムをつける。外国人が「肉にジャム!?」とたじろぐ姿に、フィンランド人たちは「国の威信をかけて」肉に沿えるベリージャムの有効性を力説する。ソレを見てついさっきまでたじろいでいたほうの著者はこう思い返す。

わたしももし、スキヤキの時に生卵を食べるのを恐れる外国人がいたら、絶対おなじようにしてすすめるだろう

ちょっと解るなあ。私も中国人にスイカに塩をかけて食べる旨さを力説したことがあるので(全く理解してもらえなかった)
このエッセイの発売は2006年、北欧家具ブランドのIKEAが日本に初上陸したのとほぼ同時期だ。IKEAレストランでこの習慣を知ってしまった私は、もうフィンランドに行ってもカルチャーショックを受けないのだろうと思うと、ちょっと寂しい。

食の文章が伝える喜び

食べ物を美味しそうに伝えるのには、食材や調理方法、料理の内容を文章でそのまま記載する方法と、食べているときの満足感や食卓の幸福感を描く方法の2種類があるようだ。

別枠では、ひたすら中年男がランチを食べるだけの「孤独のグルメ」や、大した料理でもないのについ作ってしまう(そして、作って食べてからまた作品を読んでしまう)「深夜食堂」の、寂しさと美味しさを両立させてくれる味わいもある。それぞれが楽しく、「食の喜び」は味覚に付随するその他色々な快感も呼び起こしてくれるようだ。

五感のイメージが他の感覚器に影響する共感覚という言葉があるが、
「絵画を見て音楽のイメージがわく」みたいなアーティスティックなものではなくて、
深夜の飯テロに身悶えするのだって共感覚の一種なのではないかな。

飯テロを受けることができるのは、食の楽しみを知っているという幸福の証明なのかもしれない。


投稿日 2016.03.25
ブックレビューサイトシミルボン(2023年10月に閉鎖)に投稿したレビューの転載です

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