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「本と食と私」今月のテーマ:動物―返ってきた空想

ライターの田中佳祐さんと双子のライオン堂書店の店主・竹田信弥さん2人による連載「本と食と私」。毎回テーマを決め、そのテーマに沿ったエッセイを、それぞれに書いていただく企画です。今月のテーマは、「動物」です。

返ってきた空想


文:田中 佳祐

 『ノーダリニッチ島 K・スギャーマ博士の動物図鑑』は、著者のK・スギャーマ博士が「魂の冒険」に出かけて見つけた奇妙な動物たちを記録した絵本だ。
 ノーダリニッチ島は世界のどこにあるのかも分からないが、この本を読む人々の心の中ではまるで思い出の地のように、その地の気候や漂う匂いすらもイメージできるだろう。また、どの動物たちもこれからの人生の中で、どこかで出会えるのではないかと思わせる魅力がある。
 私が好きなのはニコラス(Nicholas)というトナカイのような生物だ。スギャーマ博士はこのような説明をしている。

森の北部に棲息している。
体長は1.5mほど。
全身が赤く、その毛はビロードのようである。
まっ白いたてがみが、まるでひげのように生えている。
尾は長く金色で、手ざわりは絹のようである。
頭の角のようなものは季節によって変化し、チェリーの実をつけたり、ミントに似たような香りを発したりする。
また、雪の最も深くなる季節には金色の実をつける。
歩くと足音が澄んだ鈴の音のようで、なんとも耳に心地よい。

『ノーダリニッチ島 K・スギャーマ博士の動物図鑑』
絵/文 K・スギャーマ 絵本館 1991年

 図鑑の絵ではいかにも温厚そうな顔をしており、もっと具体的にいえばクリスマスに活躍しそうな雰囲気をまとっている。
 「この動物たちは本当にいるの?」というのは本書を読んだ子どもがするお決まりの質問だが、大人であっても信じたくなるような淡い現実感をまとった本なのだ。

 この本に出会ったのは小学生の頃で、親戚のおじさんにプレゼントされて読んだ。動物図鑑の後、続編の植物図鑑に手をつけて夢中になった。なぜならば、美味しそうな植物たちも出てくるからだ。動物図鑑のニコラスが好きなのも、角になった実を食べさせてもらえそうな気がしたからだ。
 
 空想の世界というのはどんどん広がり憧れに変わっていくもので、その当時、私の心を捉えていたのはノーダリニッチ島の動植物たちと、同時に読んでいた小説に出てきたワインだった。
 子どもの私にとってワインは、未知の魅力をもった飲み物だった。大人になったら出会うことのできる特別な存在として、楽しみにしていたのだ。
 
 夏休みが終わった頃、コンビニで「ワイン味のジュース」という商品を見つけた。こんな商品があるのかと衝撃を受けて、その日は家に帰った。
 後日、両親が出かける日に例のジュースを買いに行った。何も悪いことをしているわけじゃないけれど、誰にも見られてはいけないような気がした。 
そして、一口目を飲んだ。絵の具みたいな味がした。どうやらその商品は本気で辛口ワインの味の再現を目指していたようで、その味にまったく手加減が無かったのだ。
 当時の私は絶望した。こんなにマズイ飲み物がこの世の中にあるのかと。コーヒーの方がましじゃないかと。その日、私はワインの現実を知ったのだった。甘い空想は消え去り、渋味だけが口の中に残った。
 小学校を卒業する頃、私は色々なことを理解してしまった。ノーダリニッチ島はこの世界には存在しない空想の島だし、ワインは夢のような飲み物ではない。
 
 そんな私も大人になり、もう少し正直にいうならば、おっさんになった。
すると、ワインは極めて美味しく感じるようになっていて、できることならば毎晩の食事のお供にしたい。そして、ドイツワインのような甘口で飲みやすく、子どもの頃にイメージしたようなワインもあることを知った。
 そして、おっさんになった特権として、クリスマスに息子へプレゼントを贈っている。ニコラスを見つけることはできなかったけれど、自分がニコラスみたいになったようだ。
 
 子どもの頃の幻想は一度崩れ去ったが、この頃になって再建をし始めた。
 空想は私の心を時に励まし、時に裏切る。しかし、それらはいつか返ってくるのだと知った。


著者プロフィール:
田中 佳祐(たなか・ けいすけ)

東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。NPO職員。たくさんの本を読むために、2013年から書店等で読書会を企画。編集に文芸誌『しししし』(双子のライオン堂)、著書に『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)がある。出版社「クオン」のWEBページにて、竹田信弥と共に「韓国文学の読書トーク」を連載。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。好きなボードゲームは、アグリコラ。

竹田 信弥(たけだ・しんや)
東京生まれ。双子のライオン堂の店主。文芸誌『しししし』編集長。NPO法人ハッピーブックプロジェクト代表理事。著書に『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著に『これからの本屋』(書肆汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)、『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)など。最新刊は、田中さんとの共著『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』(晶文社)。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J.D.サリンジャー。

『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』
(竹田信弥、田中佳祐 共著 晶文社 2021年)

双子のライオン堂
2003年にインターネット書店として誕生。『ほんとの出合い』『100年残る本と本屋』をモットーに2013年4月、東京都文京区白山にて実店舗をオープン。2015年10月に現在の住所、東京都港区赤坂に移転。小説家をはじめ多彩な専門家による選書や出版業、ラジオ番組の配信など、さまざまな試みを続けている。

店舗住所 〒107-0052 東京都港区赤坂6-5-21
営業時間 水・木・金・土:15:00~20:00 /日・不定期
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