時を越えてわかったこと。

先日Eテレで放送された「100分de萩尾望都」にて。

萩尾望都さんの
「日本の教育的文化背景の中ではねやっぱりねあの‥失敗したりダメだったりする子に心があると思っていないんですよ。だから何を言ってもいいしどんなに教育してもいいし。それは許されるんです。バカだとかダメだとか死んじまえとか言っても。でも、言われる子はつらいですよね。あの‥やっぱり心があるんだから。だからそういう立場の人としてちょっと(ポーの一族の)エドガーを描きました」

という言葉で、ずっと気になっていた謎が解けました。

私は幼稚園から小学校高学年まで勉強がとにかく出来ませんでした。
中学年の時には小太りのチビに成長。
しかも多弁で凶暴。
その頃、よく大人を含む年上にアホだバカだとか言われたり、体型をいじられたりしました。
子供相手なら口喧嘩と足(キック)で対抗できましたが、大人はなかなか。
風邪が流行ったある日、塾の先生が「アホは風邪ひかへん言うよなあ、○○(旧姓)」と私に言ってきました。
楽しそうに。
絶句しました。
今なら「あんたも風邪ひかへんやろな」と言い返すのですが。
なぜ塾の先生があんなことを公衆の面前で私に言ったのかわからずたまに思い出してはモヤモヤしていました。
もっと勉強がんばれということなのかと思っていましたが、その頃先生は私のことは色々諦めていましたし‥。
今回、萩尾望都さんの言葉を聞いて納得しました。
勉強が出来ないうえに見た目の良くない子には何を言ってもいいと思っていたんですね。
ちなみにその塾の先生は、私が高校受験でそこそこの進学校へ合格を決めた時にわざわざお祝いの電話をかけてきてくれました。
小学校時代に優等生だった子たちの一部より良い学校へ進学を決めた私のことをが不思議だったよう。
賢いのにわからへんことあるんやね。
今なら言える。
痩せていっそう勝ち気になったとはいえまだ中学3年生の私は電話をしながら複雑な気持ちになっていました。

私も塾の先生と同じことをしないように気をつけなければ。
何でも話せる相手は、何でも言っていい人じゃない。
「自分以外皆師匠」の気持ちを忘れずに。

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