キャベツ と リンゴ
新大陸からもたらされ16世紀以降ドイツやヨーロッパに定着したジャガイモとコーヒー。に対して、ヨーロッパで古くから根付いている食べ物といえば、キャベツとリンゴではないでしょうか。
ザウアークラウト、ロートコール、アプフェルクーヘン、アプフェルムース、アプフェルヴァイン、アプフェルショーレ...ドイツで探すだけでももっとあるでしょうし、勿論、ヨーロッパ各国となれば、さらに色々な名物料理がある筈です。
キャベツの原産地は北アフリカと言われていますが、増え広がっていったのは地中海東部沿岸。そこで新しい品種が生まれ、やがて、ギリシア、ローマで栽培が始まると、古代のローマ軍進軍と共にヨーロッパ全土へと広まっていきます。ヨーロッパではキャベツの語源はほぼギリシア・ローマと言われ、語で槍の柄、茎を意味するカウリス(caulis)がドイツ語のコール(Kohl)へ、中世になるとラテン語で頭を表すカプト(caput)がキャベツを表すようになり、こちらが英語のキャベツ(cabbage)へと派生していきました。
一口にキャベツと言っても、緑や赤、表面がなめらかなものやちりめん状のもの、結球が固いものゆるいものなど様々な種類があります。メキャベツ、サボイキャベツ(チリメンキャベツ)、ブロッコリー、カリフラワー、チンゲンサイ、白菜、コマツナ、ノザワナ、カラシナ、カブ、ダイコン... これら全部がキャベツと同じ先祖をもつ、アブラナ科アブラナ属の野菜なのだそうです。冷涼な気候に適しているうえ、育てやすくて栄養豊富なのですが...かつてのヨーロッパでは、キャベツは貧者の野菜とされ、その地位は低いものでした。
一方、リンゴは中央アジア、カザフスタンのアルマトイが原産と言われています。アルマトイとはリンゴの父という意味で、今日では、すべてのリンゴはカザフスタンの野生のリンゴの子孫と考えられています。
アルマトイが中国とヨーロッパを結ぶシルクロードの交易都市になると、リンゴは中央アジアの山岳地帯を越え、西へ東へ広まっていきます。人や動物の移動とともに種が運ばれ、落ちたところで若木が育ち、無数のめずらしいリンゴがアジアやヨーロッパで誕生。後に接ぎ木法が発見されることにより、栽培種である大きくて甘いリンゴが生まれます。
ヨーロッパではローマ帝国の繁栄と共にリンゴは浸透していきました。ローマ帝国では甘いリンゴは高級果実の贅沢品であったため、栽培品種を食べる人たちと野生品種を採集する人々の間を階級差を示すものとなり、苦い野生リンゴは貧者の食べ物とされたのです。
やがて、ローマ帝国の滅亡とともに多くの品種や園芸技術も失われそうになるのですが、自給自足の暮らしを行う修道院で果樹栽培は受け継がれていきます。
そして、15-17世紀の大航海時代がやってきます。
植民地を求めて世界の大陸を巡ったヨーロッパ人は、長い航海中にビタミンC不足で起こる壊血病に苦しめられることになるのですが、これを救ったのがキャベツやリンゴ。18世紀の英国海軍士官、ジェームズ・クックは乗組員用にザウアークラウトやリンゴを積み込み、水夫たちを壊血病から守ったそうです。
16-17世紀にかけてヨーロッパから新大陸アメリカへ移住する人々が増えていくと、ジャガイモやコーヒーとは反対に、開拓地にキャベツやリンゴが持ち込まれました。
ヨーロッパの人々が新大陸に上陸したとき、アメリカには小さくて苦い実をつける原始的なリンゴの野生種がありました。入植者が旧世界から持ち込んだのは、ヨーロッパで何世紀にもわたって接ぎ木が続けられたリンゴの木。新世界の異なる環境ではうまく育たなかったのですが、種子をまいてみると、ヨーロッパの祖先とはまったく異なるリンゴの木に成長し、ついにはアメリカの新たな固有品種として栽培されていくようになります。
キャベツもリンゴも共に長く貧しい人々の食べ物とされ、大航海時代には船乗りの命を救い、移民によって新大陸に持ち込まれ広まった結果、コールスローやアップルパイのようにアメリカを代表するような料理にまでなってしまいました…
食文化って奥深いですね。
参考文献:
キャベツと白菜の歴史
メグ・マッケンハウプト 著
リンゴの歴史
エリカ・ジャニク 著
リンゴの文化誌
マーシャ・ライス 著
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