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熊本じゃなければどこでもよかった

21歳の時に、せっかく入った大学も生まれ育った熊本も全部、ほっぽり出してきた沖縄。
いまだになんで沖縄に行ったの?来たの?
と、問われてもなぜだか理由がわからない。

ただいくつかハッキリしていることはある。
2001年時の有効求人倍率が0.59。
コロナ禍でも、震災の年でもないのに。である。

2004年には、自己責任。という言葉が流行語になっている。
つまりは僕の20代前半頃は
これまで通りな日本が表向きは続いていて
その裏では、何かが大きく崩れていた。

沖縄に強く憧れていたわけではない。
熊本じゃなければどこでもよかった。とにかく1度、熊本を出ないとダメになる。そう感じた”何か”は今でも言語化できない。

父は東京の下町、スカイツリーの足のどれか1本が建っているところあたりに生家があったらしい。
祖父は大工の棟梁で、祖母は和菓子屋さんの娘さんだった。
そもそも小宮って関東あたりに多い苗字。
僕の半分は東京下町の江戸っ子職人。

母の旧姓はいかにも御公家のような姓なのだけど調べてみると、
菅原道真が太宰府に流されたときに朝廷側のお目付け役できて、そのまま土着した一族のようだ。
実際、母の曽祖父あたりまでは福岡にいたらしい。

僕の遺伝子の長い長い歴史の中で、熊本ってつい最近たどり着いた土地。あんまりHomeってわけでもなかったのかもしれない。

いずれにせよ、大人しくサラリーマンできる仕様にはなっていない。それだけはたしかだ。

僕の遺伝子はさらに南下して、沖縄へ。
昨日、那覇空港に着いてすぐに感じる、特有の湿気に包まれたときに、なぜかホッとした。

僕は沖縄が大好きなわけではない。
視野が狭くて、自信がなくて、いじけたヤツが多いし
女子に優しくないし、言葉数少なくて、自己アピールが下手だ。

でもねぇ。それは熊本も一緒。
東京にだってそんな奴はいっぱいいるし、もっとひどいかもしれない。

くだらない人間関係の中で
せめて、自分の身の回りだけは、素敵なやつらを
励ましたり、思い合ったり、手を貸したり、酒を飲んだりして
生きていきたいな、と思っている。
求められるならどこでも行く。

幸い息子たちもの送迎もなくなったし(笑)

ZoomやLINEもあるけれど
飛行機乗れば、みんな近いから。なるべく会いに行くからね。
みんなも沖縄おいでねー。楽しい、酒をまた飲もう。

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