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江戸時代の男子教育の内容とは?人間関係で注意すべきこと編。古文書『前訓』を訳してみた

理想的な人間になるための教えをまとめた『前訓』。日本版コーランのようなものといったらよいでしょうか。現代の私たちからみると、全部は受け入れがたい内容ではありますが、昔の日本人の教育内容を知る意味では、とても貴重なものではないかと思います。今回は対人においての注意点が中心になります。

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口教3

1.総じて、悪い場所に行ってはいけません。
  また、悪い人に関わってもいけません。

  人は善悪の友に影響すると言われます。
  古人の教えは少しも間違っていないのです。

  すぐに火のそばに寄れば温まりますが、
  水のそばに寄れば濡れるでしょう。

  泥の池にはまれば身体は汚れ、風呂に入れば
  垢が落ちてきれいになるようなものです。

  だから、善に交じり、善に立ち寄れば、
  力を入れずとも善人となること
  疑いなしとわきまえましょう。

2.身体の不自由な人を見て
  笑ってはいけません。

  また、外から人が来た時や帰るときなど、
  物陰から笑ってはいけません。

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  昔、日本でも中国でも、人の見た目が
  良くないのを笑ったり、足を引きずって
  いる人や身体障害のある人を笑い、
  その笑われた人が怒って、笑った人を
  殺したり、そればかりか家や国までも
  滅ぼしてしまった例は多いのです。

  最近でも、私の知っている人に梅毒で
  鼻が落ち、他人が自分を見て笑うのを
  とても悔しく思い、根深く恨みに
  思っていた人がいます。

  これは非常に恐ろしいことです。

  また、人の立ち居振る舞いを見て笑い、
  恨みを持たれて災難に遭った人もいます。

  これは特に女中に多くあることです。

  固く慎しみ、必ずそうした時は
  笑ってはいけません。

3.女性たちや奉公人、すべての使用人たち
  を無下にしたり、差別して打ち叩くなど
  決してしてはいけません。

  自分の身を抑え、人の痛みを知りましょう。
  彼らは身近なお手本です。
  
  使用人たちも皆人の子ですから、自分が
  親から可愛がられているのと同じように、
  その使用人の親たちは彼らを可愛く
  思っているのです。

  ですから、とても情け深く労わって
  接しましょう。そして、人を打ち叩くなど
  断じてしてはいけません。

  その訳に、こんな話を聞いたことが
  あるのです。

  昔、ある田舎の大きな屋敷で、
  手代が丁稚を叱り、何の意図もなく叩いた
  ところ、打ちどころ悪くその丁稚がその場で
  亡くなってしまい、それを病気で亡くなった
  のだと嘘をつきました。

  隠し通していたのですが、

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  後に嘘がばれてしまい、殺した手代は
  死罪となりました。そして、主人の家は
  地域から追放になったそうです。

  たとえ急所を打たずとも、たまたま
  その人の死ぬ時分に、打ち叩いたことが
  重なったのかもしれません。

  これは人の命に関わり、誤れば両方とも
  命を失うようにもなることですから、
  しっかり恐れ慎しみ、仮にも人を打ち叩く
  ことは厳しく抑え、してはいけないと
  心得ましょう。

4.衣服や食べ物に好き嫌いを言わない
  ようにしましょう。 

  たいていは大人になると、悪いことに
  お金を使い、いろいろ身のまわりの
  贅沢や気ままをしたがるようになります。

  ついには先祖の家までも売って、
  非人や乞食となって飢えたり凍えたりし、
  野垂れ死にもしかねません。

  ひとえにそのはじめは、子どものときの
  飲み食いや着物の好き嫌いを言うことが
  習慣になっていたことにあります。
  
  その癖がしっかりついて、徐々に
  激しくなっていった結果なのです。

  ですから、子どものときから将来
  取り返しのつかないことを知らぬ者を
  「あほう」というのです。

  たとえうわべは賢く見えても、年を取って
  後に困難に遭遇することを知らないのは、
  心の底が「あほう」だからです。  

  この「あほう」にならぬように
  慎むことが大事なのです。

5.人から物を貰ったら、まず持ち帰って
  お父様・お母様へ差し上げましょう。

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  また、人から何でも、物を貸すにも
  借りるにも差し上げるにも貰うにも、
  皆その度々にご両親様へお尋ねに
  なりましょう。そして、お許しを
  受けてから、やり取りしましょう。

  これは聖人の教えですが、
  孝行な子どもは自分の宝だと言う
  ものはいません。皆、ご両親のものだと
  いうことを知りなさいと言います。

  その理由を理解しましょう。

  元来、人の子たるもの、
  自分の身といってもご両親のものであり、
  自分のものではありません。ですから、
  宝というのは言うまでもないことを
  わきまえましょう。
 

  以上の通り、しっかり熟読しましょう。
  そして飲み込んで覚え、努力しましょう。

  

【たまむしのあとがき】

どうも最後の言葉が分かりにくいですね。

何度も読み返してみましたが、簡単にいうなら、「子は親の所有物であるから、孝行な子が宝というのはあたり前で、宝という言い方をわざわざする必要はない」という趣旨ではないかと思います。

言い換えると、「孝行するのは子として当然で、親としても孝行する子を所有するのは当然」という意味ではないでしょうか。

ひどい言いぐさですが、これが「孝」という教えなのですね。

それが昔の日本には厳格に根付いていたことが、この部分からよくわかるのですが、今の日本人の感覚からすると、理解しがたいものがあります。

親を尊敬しなさいというのはわかりますが、子どもの意見や考えは尊重されないのですよ。

日本の古いものには良い点がたくさんある中で、「孝」の教えというのは、このようにとても残念な部分を含んでいます。

ですが、そうした「孝」というものを経なければ、今重視されている「個性」の開花に向かっていく流れが生まれなかったのかもしれないとすると、どうしても避けられないものだったのかもしれません。


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