「死」が近い

僕の妻は社会不安障害です。


最近は以前よりは少なくなりましたが、突然気分が落ちて「死にたい」とまで言うことがあります。

”死にたいという人はなかなか死なない”などと言われることがありますが、それははっきりとNOです。
死んでしまったら「死にたい」と言うこともできません。

たしかに、”死にきれなかった”例も多くありますが、死に向かっていく回数が多ければ多いほど、成功(?)してしまう可能性も高くなります。

現に妻も幾度となく危ないところまでいってしまいました。
薬を何十錠も飲んで病院に駆け込んだり、ドアノブにロープがかけてあったり、死ぬために夜行バスで何時間もかかるところまで行ってその先で警察に保護されたこともあります。
リストカットでも、何かの拍子に深く刃が入ってしまったらそこで終いです。
”混ぜるな危険”を混ぜたときにどうなるか、僕も身をもって知ることになったこともあります。

もし、どれかが成功してしまっていたら、と思うとゾッとします。

「死」というものが身近にあるのです。他人事でもなく。

”電車が人身事故で遅延”という知らせには胸がぎゅっとなります。
もちろん電車の遅延は無い方がいいですが、「迷惑かからないようにしろよ」なんてとても思わないです。
そこに1人の人間の死があり、その周りにも人や世界があります。
いつそれが自分や自分の世界で起こってもおかしくないのです。

そして、『言葉』というものは発する人間の思ってる以上に他人に影響を与えます。
妻の状態が以前より改善したのは、コロナ禍ということもあり、他人との交流が極限まで減ったことが一つの大きな要因です。

積極的に助けに行ってほしい、手を差し伸べてほしいとは思いません。
ただ、「どうせ死なないでしょ」とか「かまってほしいだけ」とか、たとえ本人に対してではなくても絶対に言わないでほしいと思います。

その言葉が、どこかの誰かの引き金を引いてしまうかもしれないから。

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