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幼少期の事件【その1】

何故か、自分の小さい時の記憶って怒られたことばかり鮮明に覚えてる。実際に褒められる:怒られると記憶の量は一致しているのかもですが。
まあ、今だったら考えられない位の悪ガキですね。
でも、昭和の絶頂期で子供だらけの時代、みんな大して金持ちじゃなかったし、そんなもんだったみたいですけどね。
ちょっと、自分の記憶を振り返ってみたいと思います。
因みに、今から書くのは幼稚園にも行ってない、4歳以下の時です。
それを踏まえて想像すると、特にお子さんをお持ちの方なら、これからの話がどれ程大事件だったのか、想像が付くでしょう。では、恐怖の始まり…


三輪車爆走事件

自転車などまだサイズ的に程遠い2-3歳の頃、兄のお下がりであった青い三輪車に私は乗っていた。
今のかっこいいやつと違って、プラスチックの車輪でブレーキも無い。あれです。
まだ道路族などと言う言葉の無い時代、道路は遊び場の一つで蝋石で絵をかいたり、ケンケンパをしたりの場所であった。
住んでいた、小さなマンションの前の道も同様に子供たちの集まる場所で、私は普段、そこの100mほどを往復して遊んでいた。
とある日、何故か私は急に冒険家の魂が宿った。又はマルボロマンが撮られる10年以上も前に、ロードムービー撮影並みに先走ったのである。
そう、ふと旅に出たくなったのだ。3歳のガキが。

隣のまたその隣の駅前に近い所に祖父母が住んでいた。
何度も母に手を引かれて、又は自転車の後ろに乗せられて行ったので、道をなんとなく覚えていた。
まだ歩幅数10㎝の子供には、それはそれは遠出であった。
そこは、駅前なのもあって狭い道をタクシーが爆走する危険な住宅街でもあった。
そこに向かって、私は旅立った。
緩い時代だったとは言え、大人が周りに居ない中、町内で見慣れない子供が一目散に目的地に三輪車で向っていれば、声を掛けられた。
「ボウズ、どこの子や?」
「僕、どこから来たん?」
と。
何と私が答えたのか記憶にないが、いくつもの関門をすり抜けたと言う事は、子供なりに上手にやったのだろう。
「おばあちゃんとこいくの!」くらいだろうか。
目的地が明確だと、迷子でないと判断されたのかそのままスルー。

そして、三輪車到達距離日本記録かもしれない。
だが、実際には1㎞もない距離なのだが、3歳の子供が目の届かない所に三輪車で自発的移動をするのは相当のアホである。
なお、三輪車は車輪1回転で進むのはせいぜい30㎝程度。
そもそもが長距離向きではない(当たり前)

そして、なんだかんだと無事に到着し親が居ない事を知った祖母が家に電話をして、無事回収にやって来た母親にしばかれ事件は落着した。

後日談だが、母は私がずっと外で遊んでいると思っていたらしく、電話が来るまで知らなかったそうだ。
我が家では、それらの子育てを「放牧方式」と呼んでいる。
枠はあるのだが、感じさせない程度に広がっているのである。無管理でも放置でもないし、舎に食事時と寝るときは戻ってくるわけである。
ほぼ、牛とか馬のあれと同じ。
なので、この事件は脱走と言うより脱柵なのである。

あくまで、これは我が家の方針なので、以下批判ご無用なのだが、
母方は代々女系で、女性の力が大変強く、当時で言うモダンと言うか、私が色濃く引き継いでいる少し先進的で、変わった考えなのである。
時代的に、とても賢くて先進的なのだが、まあ変わってはいるのである。
祖母の子育て論の一つに
「言葉が分からん内の子供は、言っても分からんのだから動物と一緒や。悪いことしたらしばけばええ。そうせな分からん。」(関西弁で読んで)
なかなかドスの効いた名言である。
今なら虐待だのなんだの集中砲火を浴びそうな教育方針だが、当時はそんなもんだったらしい(本当か?)
当然、そう言われて育った母は、私と兄にもその方針を受け継いだようである。
母の名言は
「この子が悪い事してお尻叩いてると、つるつるで可愛らしくて、つい多めに叩いちゃうのよね笑」だった。
うーん…
相撲界で言う所の可愛がりだったのだろうか。

そして昭和の子供は時々、正に道草をも食う。昭和の子供はみんな腹が空いていたので、春は十分につつじの蜜を吸った。
よもぎを図鑑で知った私は道端に生えているのを見つけ、食ってみた。
苦くて青くて不味かった。
イメージはヨモギ餅だったので、納得いかなかった様に覚えている。
今思えば排気ガス規制も緩くて、ダンプは黒煙を吐いていたが関西でも有数の大通りの傍でそれをやっていたのだから、我ながら驚く。
ヨモギに至っては、高さ的に犬がおしっこ掛けてたとしても何の疑問もないのだが。

そして、そもそも何故急に旅に出たのかと言うと、近くの駄菓子屋でお菓子が買いたかったのだが、当時の小遣いは週に100円程度だったので、
ほぼもらったその日にはなくなっていた。
時々行けばお小遣いをくれる、祖父母にねだりにいったのである。
その小遣いの裏に悲しいと言うか、ショックな出来事を最近知ったのだが、そこはまた別の機会にお話ししようと思う。

少々話が横道に逸れましたが、1回目は3歳児、三輪車で旅に出る。
の巻きでした。
では、また。

自己肯定が爆上がりします! いつの日か独立できたらいいな…