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褒めと観察についての仮説【雑記】

身の回りに「オタク」が沢山いる。

僕はいわば「オタクのオタク」だ。観察だけ好きだった。
これは、ちょっとした懺悔。根拠の薄すぎる仮説。


オタクとメタ認知

僕も「人間観察が好き」というオタクを見ては嘲笑し「撮りましたを撮りました」を見て嘲笑した。「変だね」も「偏見だぞ」も嘲笑していた。

嘲笑も普通の面白さのひとつだと思っていたが、場合によっては怒りが伝わるらしい。

ネットのメタ認知は言い得て妙だ。
この投稿で最初に風景を撮っているものは、インカメラを使って最後方の俯瞰を写真を撮るまでわかってやっている。ヤラセだとしても。

ミステリー小説で言う「どんでん返し」に近い。
天才も、受ける批判は想定内、みたいなことだろう。

そして仮想世界のメタ認知は、現実のメタ認知と少し違う。
客観視に主観のフィルターがかかってしまう。

僕も我慢して「普通」を求めたが、暮らしやすいとされる規則しかなかった。

オタクと粗探し

オタクは悪く言えば「粗探しが上手い」。
良く言えば「観察力がある」のだ。仕草ひとつで一喜一憂できる。
基本的に感覚も鋭い。早い段階から満足せぬまま情報を吸うからだろうか。

僕はまず笑い方を覚えていたらしく、痛みの耐え方を知った。
それしか褒められなかった、と思っていた。
男子の群れに混ざるための、最低限の嘲笑。
嘲笑し合っていること自体、流石にちょっと嫌気がさし逃げた。

いわゆる「共感」を最初に覚えたと思う。
何をするのも楽しくて、女の子みたい、とも言われた気がする。
言葉と分解に一番興味があった。書くことには興味がなかった。

「ああはなりたくない」を繰り返して粗を探した。
「この音色なら汚く感じる言葉も聞ける」とよく思った。

何者にもなれないが、基本的に人は何者でもない。
子供のまま何かを吸収し成長した「ソイツ自身」でしかないのだ。子供の見せる無限の集中はカービィみたいなもので、ほぼ無限大と言っていい。認められるように、褒められるように、全部を知ろうとする。

子供も大人も、ネガティブもポジティブも感受性も、僕の中ではグラデーションのように思っている。

認知行動療法をした感じ「本来のストレス源を探す方法」みたいだった。ストレスもプラスマイナスの波があるから、吐き方を覚えればそう不安がない。

「全員えらい」が通説だとすれば、僕は「ホントは全員えらくない」と思う。何かしらの「傷つけ」が前提にあるし、傷つけの定義が人によって違う。

「稼ぎ」と「傷」の価値観があまりにも違った。

情報と傷と震え

情報によって後付けで震えが残ることもあるし、興味を見せるものはそれこそ遺伝の嗜好的に違う気もする。
ネットを全く通らない親子もいる。

「情報は感動かつ震え」というのが僕の持論だ。蓄積もする。
そして五感から入る全てが情報だと思う。

いわゆる「多動」や「発達障害」にも、なんらかの要因によって後から発生することはあり得ると思う。それがDVでも、強いトラウマでも、嫌な情報の蓄積でも。……ドラッグくらい強い毒なら、大人でも。
段々と集中ができなくなる。

「心的外傷」との関連性も少しだけある気がする。
幼少期の方が発達が早い。「娯楽中毒」「活字中毒」もあるだろう。

僕も生まれた頃からネットには言葉と情報が沢山あったから、観察のためにネットを触ることもした。

頭の良い大人と、名探偵コナンが好きだった。三つ子の魂百までと言われたが、しばらく信じることはできなかった。
身体は大人、頭脳は子供。

まずは「ファクトチェック」を覚えてみた。
億劫だからか、「メモ」なんてのは無視した。
「自分の意識改善次第」も無視した。
言っている人の皆が「天才」になったあとに言う言葉だったからだろうか。聞く耳を持とうとしなかった。
まず全部を半分信じて、半分信じないようにした。

子供と親なんて死ぬかもしれないほど怯えた場面で、生きるための思い込みはできない。

それ以来は情報中毒的になって、治療薬を抜いて、いわゆる毒素を抜いてみた。自分が愛おしくないし、何かに気付ける気がしなかったから。
そして、似た怯え方の人を多く見てきたから。

いわゆる「健康的な生活」をしてみた今は、手足の先がピリピリとしている。お腹も常にギュルギュルだ。

「興味があるフリ」をして、我慢してゲームをするたびに現実から逃げることができていた。今流行するYoutubeやTikTokも似たようなものだろう。

自意識過剰と防衛反応

不意に強いショックを受けて、何か娯楽に再逃避しようとすることは所謂オタクにありがちだ。というかそれが当たり前って部分もある。

共感能力に特化というか、それ以外が欠けているように感じるのだ。
同情はできるが、どうも自分達が醜いような気がして。

親しくなると「劣」の字をよく聞く。

率直に言うと「自意識過剰」は「自分大好き」で間違いない。社会と自分のやりたいことの折り合いがつかない。

そもそもバイタルを鍛えるために、メンタルを整える必要がある。できない人もいる。

「誰にも選ばれない」「自分で自分の粗が探せるのに、それでは褒められた気がしない」「裏切られる」というのだ。そりゃそうよ。

成熟した大人は裏切られる前提で信頼を置いている。離婚もよくあるだろう。

子供の間では、基本的に目鼻立ちや運動能力で人気が決まっていた。
「才能の応用」なんて反吐が出る言葉だった。

僕も髪がまっすぐからホルモンバランスで捻れ始めたあたりで、防衛反応的に自虐をするようになった。

「なんか頭が良い気がする」は応用が聞かず、インターネットにのめり込んだ。
遺伝した感受性と興味と環境の問題もあるだろうか。親が甘いというのも、間違ってはいない。

色んな大人によく怒られた。怒る気持ちもよくわかった。ただ「規則に生きなきゃいけない理由」もわかっていない。

最近になって「脳の配分」みたいな書き方を見た。ハッとした。

才能はパッと思いつかないにしろ、オタクの両親がオタク的な感受性、というのはよくある話だ。

そこそこ甘えられるだけのお金を持ちつつ、未来に希望も持てず、フリーターとしてその日を暮らす人も多い。

「人の時間を奪うな」と「金を稼げ」で対立している。
「産むなよ社会」と「自己の責任」で対立している。
どっちもわかるけど……。

「甘え」という言葉に、毎回心が傷んだ。
「ナメてる」の気持ちもわかったつもりでいた。
「社会のせい」も曖昧にしか答えられない。

捻れた気持ちとどう接するか

教室の端のオタクの寄せ集め、みたいな高校にも入った。

友達のほとんどは早くにインターネットに触れたもので、ほとんどメガネをかけた者同士。

モノマネとユーモアが好きで声優を目指し諦めた者、ゲームクリエイターを目指し農業に進んだ者、フリーターでVtuberをしている者。

「くすぶり」だの「甘え」だの言われるたびに、何かに怒っている。空気を読もうとしている。耐えている。

「メガネ」は視覚の進化的な防衛反応だと思う時もある。頭がコンピューター寄りなぶん、都合が悪いから視覚が鈍っていくような。

ただ、親もそれなりに「育てる!」という確信があるから産み育てるのだろう。
「親を責めたくないのに」「意味わかんない」という子供(成人)もそれぞれそこそこに多い。

「インターネットスラムでは性教育が歪む」みたいなこともよく聞き始めた。否定できない。その通りだと思う。

一度面白いものを見て、他で何も認められた気がしなければフィルターのないインターネットは最適だ。

テレビよりも深い情報が知れる気がしてしまう。強い刺激がある。性でも罵声でも娯楽でも。

「マイノリティー」を叫ぶと、どうやっても対立が起きている。
”何かのアピール”として機能してしまう。反対意見でいがみ合えば解決するだろうか。

他人から受ける「褒め」の判断基準は「足の速さ」「直感」「美醜」「感性」といった、「見える能力」を褒められるものが多い。

ただ「同情」や「想像力」はあまり褒められない。
それに脳の配分か反射が削られると運動神経は悪くなる。ついでに説明が聞けなくなる。

表現に昇華するまで、してもなお、基本的にオタクの自尊心は死んでいる。
何かにつけて有名人と比較する。粗暴な完璧主義者がとにかく多かった。

……これは甘えか?甘えか。

足掻いて「大人の年齢」を待った。状況はあまり変わらない。
恥が捨てきれない。ドジをよく踏む。

「やってるフリ」だけ上手くなった。まねっこは得意だった。

「イマジナリーフレンド」は想像がつかないが、僕も「心に住まう毒舌オカマ」「心の中のギャル」は容易く使ってみることにした。
頭を下げるのだけは上手い。

僕も、そのうちただただ日向にあたる黒猫を眺めるようになった。
光に当たって黒色がプリズムで綺麗に跳ねる。色が混ざった雑種の極み、みたいなことだろうか。発達障害みたいかも。

大きくてよく動く、ピントを絞るみたいな瞳をたまに良く見てみた。

人間もそう変わらない。瞳の揺れ動き方には、怯えと動きを読むための知性が出る。

よくわかんね~愛の重そうな他人の話を聞くこともしてみた。よくわかんね~けどわかる気がした。

そういう人は脳の中が子供のままなのか「すき」の二文字と口角の上がり方しか理解していない。親のせいだという。
「誰にも選ばれない」らしい。

センスは「ここすき」ってこだわりが運よく一致すれば嬉しがる。

ん~。そだね~。

ネットオタクの共通項

いわゆるオタクには「共感能力が高い」という共通点がある気がするのだ。
誤字脱字の指摘はとにかく上手い。話は互いに少しずつズレる。

独自の理解で喩えたがる。読める活字を読みたがる。
現状に満足してか、文脈からの組み立てや作文が得意なオタクは少ない。

オタクでもなく満足している人は、そもそも情報を探そうともしない。
オタクでも現状維持で十分な人は多い。そのぶん稼ぐ大人の声が痛い。年齢にもよるけども。30歳くらいで折り合いがつく……のかなぁ?

知れば知るほど「頭が良くなりすぎることによる破滅」「中毒と性と倫理観のズレ」みたいな言説が出てくる。

「哲学や精神医学は脳のバグが元にある」という。ちょっとわかる。

世界を維持しろとは言わないけど、死なないやり方はないのだろうか。
知覚を過敏に研ぎ澄ませるほど、言葉の断片がとにかく痛い。いつかの強い痛みに向けた気力を削ぐ。

ネットは急速に広まっていく。おじさんはおじさん同士ですら僻みあう。
きつ~い!

何でそう育ったのかのルーツは難しいが、よく言われるのは「仮想世界の拡張」だろう。
そもそも脳はフィクションとノンフィクションの区別がつかないという。
ホラーや殺人は夢に出る。発明は便利になるたび悪用される。

スマホとネットとAI文生成はとびきりに便利だ。擬態ができるし、ドジをして覚えることも減る。文面もコピー&ペーストが基本になる。

何かしらの趣味嗜好で「これが好き」というのは、物心がついている時からあるものの。思い出し書くと、覚えている割に選択肢から消している。

「なりきりみたいな中学生Youtuber」も最近増えた。

後ろ指は必ず刺される。罵倒されてもそこまで覚悟のある中学生は粗さが理解できるから、段々と恥だけが増していく。
最終的に「生きてるだけで恥」となる。粗いまま継続できて、複数人から認められる自信になったらいいのになぁ。別にYouTuber活動が自尊心と努力のきっかけになればいい。

認められる部分は、美醜や体型じゃない能力の方が認識が歪まなくて済む。

「可哀想だから子供を産むな」とさえ言われて/言ってしまう。
早くに才能を認められなければどうやっても鬱になる、と。
一度努力が応用できないと、しばらくずっと応用できない。

認められないと強い刺激に逃げていき、オーバードーズや情報中毒や快楽中毒になる、らしい。見たことある。

「才能を活かすにはメンタルコントロールが大事」だとよく言う。
どのスポーツ選手にもルーティン行動があるし、音楽家にも自分なりの踊り方や震え方がある気がする。

「震えのコントロール」は「メンタルコントロール」って気もする。

状況によって、誰でも手先や足先は震えていることがある。

知覚(身体と表情と末端手足と血行)と脳(精神と臓器のコントロール)と毒素は連動している、とも言う。吸収と排泄は生物の基本だ。

言語・音・視覚は脳とも繋がっていて、心的外傷になるのも頷ける。

そして想像力を上げたオタクは「これとこれが同じ」という理解を繰り返し、作文や自分の想いの伝え方が上達していかなくなるのかも。

面接や社会の付き合いは、当たり障りのない円滑なコミュニケーションが求められる。時代の流れの問題って気がする。

裏側を見ようとすれば、皮肉やたとえ話が異常に上手いことだってある。
噂話も聞こうとすれば聞ける。

自分が弱い自覚があるほど、段々と何かに怯えて育つ。心に身体が引っ張られる。逆も然り。

それは事故という名の刺激でも、環境的要因でも、遺伝的要因でも有り得る。もしくは両方でも、たまたま生まれつきでも。
一概には言えない気がする。

ネガティブに不安を感じ「ザワザワする」とも言う。緊張は動きの全てに出る。

「世界に現実味がない」と言う人もいる。
そのたび「甘え」と指摘される。「規則正しい生活習慣になれ」と言われるし、僕も言ってしまいそうになる。

そもそも状況に満足していれば、ただ時を過ごせばいいのだが。
死ぬのが怖くても、それなりに楽しいことをすればいい。
ただ、社会は孤独かつ手の取り合いだ。

交通事故でもシリアルキラーでも中毒でも天災でも感染症でも戦争でも、死ぬときゃ死ぬ。死を怖がっていては自分を守って生きれない。

鏡や自撮りでは自分がVIPに見えるらしいが、風景の一部だった。
情報も震えも取るに取れず、規則も倫理もわかりにくい。

そのうち、僕も諦めた。
諦めて痛みに耐えてみると、諦観と楽観が近い場所にあった。

素直にはしゃぐ元オタクの大人……が好き。っぽい。

スポーツ選手でも起業家でも、ぶっきらぼうなくらいに素直な人は多い。
「努力の応用」を覚えた人だろうか。

そのうちワーカーホリックで心疾患や脳卒中を起こし起き上がる有名人を見ると「フルで知覚を使って無理したのだろうか」と思う。

罵声の多く浴びせられるSNSでは人が死にまくる。
あ~あ~あ~。言葉ナメちゃだめだなぁ。
やりたい事とズレてることもあるよなぁ。

「東大卒の芸人やアーティスト」を見て、「これはウリにしてない」と言う人もいた。話を見るに悔しさをバネにしているらしい。

メンタルコントロールや批判の遮断や努力の応用が上手い。
大抵が「意識的にメモを書く」と言った。
信じたくなかったが、どうやらマジっぽい。
直感があるほど、言葉や行動が抜けていく。

「ありがたい褒めだな」と思う褒めをする人は皆、一度どこかで何かを諦めただらしない大人であることが多かった。

オタクというか、観察眼がとにかく鋭いのだ。

それでも「挫折してなんぼ」「当たって砕けろ」という。
成功した試しがないが……と思うたび「甘いね」と言われた。

こっちは言い換え言い換えで論理組み立てができないのに、できて当然で偉そうにされても……と思いくすぶっていると、信頼していた親や恩師さえ厳しくなっていく。

おじさんの出す音は基本的に大きい。
「音象徴」や「表情筋」を知ると、赤子の頃から怖がられる声色も顔の造りも当たり前に決まっていることがわかる。
子供は「パッと見怯えなくて済む人」のことを直感で見抜いている。

言葉の裏側も共感能力だけで解決しようとする。論理組み立てはきっとあとからだろう。子供をナメてはいけない。

全てを感じようとするし、意外と知ってる。それも、幼少期から。

でもイラストでの場面提示や、論理組み立てをしないと理解できない場面が多い。これは遺伝も環境もあると思う。
「なぜ外で不安になる必要がないのか」がよくわかっていない。

アダルトチルドレンとよく言われている人達だ。
僕に提示できるのは、「その人らが立てない理由」と「褒めが伝わらない」の仮説だけ。

博愛精神を持つなら、言葉と音の痛みを当事者と保護者で考えなきゃいけないと思う。

その人らが自分で立つかどうかは、その人が時間経過で偶然挫折や自己変革を求むかどうか。あとは人柄を見て、ひどく刺激しないことかもね。

音も言葉も殴打も否定も、その人にとっては虐待だと思うのだ。
褒め言葉すら皮肉な裏読みをしようとすることがある。


「気分を害した時」が邪魔して「褒められた時」が思い出そうにも思い出せないのだ。僕も無理して書き出してみると、そのあと褒められた瞬間が意外とあることに気づいた。

昔からキャラクターの真似をしていたことにも気づいた。

情報が多ければ多いほど、子供はその真似が容易い。遺伝や環境的に興味を持つものが近いことがあると思う。

それに現代の小学校で任天堂のゲーム機が流行ってないとは考えにくい。ごっこ遊びをして、簡単に傷つけられる子もきっといる。

生まれた時点でインターネットのある子供・親がスマホを持つ子供が、知的好奇心の面で奔放に動かない、とは考えにくい気がする。

ただ言語理解が独自であるだけって気がするのだ。あと心的外傷の大きさ(衝撃/継続問わず)。

論理組み立てでは「恥」の意味が分かっていないことも多い。
恥自体は、生物にとって自動発生だと思う。
傷のつけ合いも恥だし、本音を隠しても隠さなくても迷惑はかける。

異性の男の子/女の子に選ばれず認知が歪む、みたいなこともある。
異性に選ばれた瞬間に人が変わった、もよくある。僕も。

ネガティブやポジティブは、感受性っていうひとつのコントロールするべき波だからじゃないかな。強い刺激はそのぶん代償も大きいような気がする。
ストレスを溜めたら、何かで吐くべきだ。

ネットで早くに「性ってグロ!!キショ!!生活キショ!!」「鏡に映るとキツい、こんな自分なんかが」「音楽って趣味合わね~」と思ってたらそうなる。

鏡も自撮りも実像じゃない。動画の見た目は一番近いものの、実体はない。電話の声も実体じゃない。

見たままを褒めても、自尊心と憂鬱の重要性を伝えることは難しい。

アダルトチルドレン社会と保護関係者ができそうなこと

ネット中毒の弊害と言ってもいいし、そういう子は今後確実に増え続けると思う。

大人がしてやれることは、実のところ子供をよく観察したうえでの教育や制限しかないのかも。メモや写真や動画での記録。
無理やり快楽源を経つのも危険に思う。

あと子供同士のカーストにおける、逃げ場の用意。

知覚が何かで震えている人は、別の震えで慣らすと止まりやすい。依存先を複数作りたい。他人じゃなくて趣味か能力がいい。

社会制度を変えよう!なんて大逸れたことは、もっと大問題になったあとじゃないと無理な気がする。

そもそもサポートすら受けられない人や、サポートすら意味をなさないくらいの難病もいるだろう。
しかもこの雑記が仮説だったとして、根拠があまりにも薄い。

論理組み立てや節制ができれば、環境に満足していれば溺れないことも可能なのだろう……が、過敏になった知覚で快楽に溺れないのはかなり本人の我慢強さが問われる。

上手な褒めの鉄則

・「(文なら引用して)ここすき」
・「(イラストやアートなら)このこだわりすき」
・褒められたい相手を選ぶ
・その子の価値観を観察する

極論を言えば園児でも喜ぶ言葉の方がいい。「かわいい/かっこいい」はズレが発生することもある。

他のオタクを褒める時は褒められたそうな部分を「ここがすき」って声色と表情で熱意を持って、一生懸命に伝えるのが一番良いと思います。どこが褒められたいかを文筆で聞いてもいい……のかなぁ?

子供同士よりは、認められている大人の複数人。
自分がVIPだと思っているから、同年代以外を信用しやすいのだと思う。

何歳になっても自立できないことはある。

メモで褒めを貯めて貰って、詳細なストレスの捌け口を作って慣れて、誰か異性に選んでもらって、複雑なプロセスを踏んで、適切に裏切られたとして。

常にある不安が消えるのは本当に40歳くらいじゃないかな~……なんて。
脳の衰えも含めて。

左脳の論理組み立ては幸福と関連付く、なんて聞くこともある。それに脳は無理な変化を嫌う。

長い目で見なきゃだけど、改善は難しいねぇ。

こなまるでした。

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