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人生

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人生について徒然なることを徒然なるままに書いています。
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1月日記|ソウル、そして日常。

■6年ぶりの海の向こう 2024年の2日目。10年ぶりに韓国を訪ねた。人生3度目の訪韓。 海外旅行は実に6年ぶり。コロナで海外渡航も難しかった2021年、海外に行けるようになったらすぐに行けるようにと新調したパスポートは、お披露目になるまでに実に3年がかかった。 成田空港とも6年ぶりの再会だ。6年前も今回も、年明け早々日本を発つ。クリスマスや年越しのシーズンを過ぎてから海外渡航するのは、飛行機のチケットやホテル代が少し安くなるというのが理由。だけど、非日常的な季節に旅

連なる記憶

夜空という名のキャンパスに、大輪の花が次々に、そしてどこまでも咲き誇る。視界いっぱいの、いや、視界を優にはみ出すほどに大きな、一瞬だけ咲いては消える花たち。 花火の開始直後はとにかく大興奮で、この壮大な景色をどうにか記録しようと必死でスマホの撮影ボタンを連打していた。でも今はただ、この夜を記憶しようと空を見上げている。スマホの代わりに、慣れ親しんだブランドのお酒の缶を持ちながら。 * * * 遡ること、数時間前。ユキさんと私は、人で混み合う東京駅地下・グランスタにいた。

「ページターナー」小説『PACHINKO(パチンコ)』の魅力

■「そんなに有名だったとは・・・」久々に「まとまった感想を書き留めておきたい」という本に出会った。「まとまった文章を書きたい」と思っていた頃に、ちょうどこの本に出会い、突き動かされたとも言えるかもしれない。 それは、2017年2月に原作が刊行され、2020年に日本版が刊行された『パチンコ』という小説だ。アメリカでは100万部を突破し、オバマ前大統領の推薦もある。原著のAmazonレビュー評価は13,700件を超え、平均評価は★4.6。柳美里さんが『JR上野駅公園口』で受賞し

失う寂しさ、出会えた喜び

出会うはずのなかった本。 そしてきっと出会うべくして出会った本。 『昨夜のカレー、明日のパン』は私にとって、そしてこれを偶然読んでいるあなたにとってそんな本かもしれない。 …とここまで書いてキーボードを打つ手を止めた時、かけっぱなしにしていたBGMがディズニー映画『リメンバー・ミー』の主題歌に切り替わった。出来過ぎている。どちらも逝ってしまった人を想いながら生きる人を描いた作品だから。 ♪リメンバー・ミー  忘れはしない  リメンバー・ミー  夢の中で  離れていてもい

大好きなあなたへ。

TVのない生活を10年以上している私にとって、音楽を聴いたり、新しい曲を知ったりする手段はもっぱらYouTubeかAmazon Musicだ。瑛人の『香水』もKing Gnuの『白日』もNiziUの『Make You Happy』も。 本家を知る前に、「歌ってみた」「カバー」で曲を知ることもよくある。もしかしたらそのケースの方が多いかもしれない。 一度ハマると延々と同じ曲を聴き続けるタイプの私は、最近、島津亜矢の『アイノカタチ』をよく聴いている。この曲は元々MISIAが歌

苦くて甘い「乾杯」を、一緒に。

あのお酒とあの思い出ハタチを迎えてから10年が経った。10年もあれば、大学や地元、会社や旅先でのいろんな「お酒」の思い出がそれなりに降り積もっている。 学生の懐にもやさしい値段の飲み放題のお店で、おそるおそる飲んだカシスオレンジ。だだっ広い河原でバーベキューをしながら、喉に流し込んだ缶チューハイ。寒い冬の恒例だった誰かの家での鍋パーティーに、必ずといっていいほどあった梅酒。たまに帰る実家で「せっかく季世が帰ってきたから」と、家族が用意してくれていた地元の日本酒やワイン。社会

時代を超えて「いいもの」が遺る理由−外山滋比古さんの訃報に寄せて

考えるのは面倒なことと思っている人が多いが、見方によってはこれほど、ぜいたくな楽しみはないのかもしれない。 −『思考の整理学』あとがきより。 1.本棚にあった著者の生きた証 『思考の整理学』(1983)を著した外山滋比古さんが96歳でお亡くなりになりました。 この本のタイトルを一度は聞いたことのある方も、または実際に手に取ってみた方も多いのではないでしょうか。 訃報を聞き、私はすぐに本棚にあった『思考の整理学』を手に取りました。著者の外山さんの不在を実感できないままに

梅色の春

先日、庭園に梅を見に行った。梅のあの少し角ばったような枝ぶりやごつごつとした木肌、そして丸みを帯びた花びらが私は殊の外すきだ。 桜以外の「花見」をするようになったのはいつからだろう。少なくとも学生時代はなかったような気がする。梅、藤、椿、紫陽花、バラ、ネモフィラ、水仙…。大体どれも大人になってからわざわざ足を運んで見に行くようになったものばかりだ(ネモフィラはまだないけれど)。 桜を見るときは、盛りを見逃さないように、なんだか気持ちが急いてしまったりするものだけれど、散っ

ゆめはいまもめぐりて。

年末年始、地元に帰った。高校卒業までを過ごした街。 新幹線で北へ向かうその車窓からは、トンネルをくぐるたび、視界に白の面積が増えていくのが分かる。雪が、枯れ木に花を咲かせているのだった。 駅のホームに降り立つと、お馴染みの凛と冷えた空気が身体を包むのがわかった。春夏秋冬をどれも等しくこの街で過ごしたはずなのに、この街を思い出すとき真っ先に浮かぶのは冬の記憶だ。 最高気温すら氷点下を記録することも珍しくないこの街で、寒さに奥歯を震わせながら足早に歩いた通学路。夜寝る前、凍

秋、深まる。

季節がどんどん秋めいてきた。 冷たい空気が頬に触れ、喉から肺へ、そして血管の隅々まで体の中に染み渡っていく感覚が好きだ。 ああ、自分は呼吸しているんだな。 そんな当たり前のことに改めて気づく。 指先が冷え切って初めて、血の巡りに意識を向けるように。 普段、自分がほとんど意識していないことを、寒い季節は思い出させてくれる。

親愛なる清少納言さま

秋は夕暮れ。 わたしもそう思います。 秋の夕暮れはなんだってこんなに美しいのか。 夏の夕暮れの、暑さから徐々に解放される期待感とはまた別の、少し冴え冴えとした空気の中で、時とともに色とりどりに変化していく空の色に見とれるあの気持ち。 秋は夕暮れ。 千年の時を超えてなお、その言葉が受け継がれていることを知ったら、あなたはどんな反応をするでしょうか。それを知ったあなたの文章も読めたらいいのに。そんなことを思います。

あんなに嫌いだったのに

地方から東京へ就活遠征をしていた頃、私は東京が大嫌いだった。どこに行っても人・人・人…。なのに、心許せる人はほぼ皆無。 説明会や面接に疲れて、公園のベンチに逃げ込むも、東京は公園すら不自然なくらいに整っていて全然気が休まらなかった。地元の荒削りな山々と悠々と流れる澄んだ川、緑が生い茂る河川敷。それとは真反対だった。 東京のど真ん中は、山なんてビルに隠れて見えないし、川は底も見えないくらい深い色をしているし、河川敷なんてものはない。街路樹だって公園の植物だって綺麗に手入れさ

「回り道」だと人は言うけれど。

「回り道」について、最近よく考えている。 いい教育を受けて、いい企業に入って、結婚して、家庭を持って、子供を育てて。それが「王道」だと言うのなら、それ以外は、「邪道」なのだろうか? もちろん、「王道」がうらやましい時もたくさんある。私自身はきっと世間的には「回り道」ばかりしてきた。もっとスマートに生きられなかったものかと思うときもある。でも。でも。 「王道」を否定する訳じゃない。でも「回り道」だって、あってもいいんじゃないか。働いていないとダメだなんて、子育てしていない

一人じゃできない一人旅。

わたしはよく一人旅をする。でも最近思う。 「一人旅って一人じゃできないんだよな」 もちろん、旅先で誰ともそれほど関わらず帰ってくることもある。でも、わたしをその場所へ運んだのは、ガイドブックごしに知る「誰か」の情報だったり、身近な人のお土産話だったりする。 そしてやはり、一人旅は旅先で誰かと関わることが圧倒的に多いと思う。道に迷っても、一緒にいる誰かが代わりにガイドしてくれるわけでもない。自分で、地図や周りの人に助けられながらなんとかなる、そんな経験をどれだけしてきたこ