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旅にまつわるエトセトラです。
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1月日記|ソウル、そして日常。

■6年ぶりの海の向こう 2024年の2日目。10年ぶりに韓国を訪ねた。人生3度目の訪韓。 海外旅行は実に6年ぶり。コロナで海外渡航も難しかった2021年、海外に行けるようになったらすぐに行けるようにと新調したパスポートは、お披露目になるまでに実に3年がかかった。 成田空港とも6年ぶりの再会だ。6年前も今回も、年明け早々日本を発つ。クリスマスや年越しのシーズンを過ぎてから海外渡航するのは、飛行機のチケットやホテル代が少し安くなるというのが理由。だけど、非日常的な季節に旅

苦くて甘い「乾杯」を、一緒に。

あのお酒とあの思い出ハタチを迎えてから10年が経った。10年もあれば、大学や地元、会社や旅先でのいろんな「お酒」の思い出がそれなりに降り積もっている。 学生の懐にもやさしい値段の飲み放題のお店で、おそるおそる飲んだカシスオレンジ。だだっ広い河原でバーベキューをしながら、喉に流し込んだ缶チューハイ。寒い冬の恒例だった誰かの家での鍋パーティーに、必ずといっていいほどあった梅酒。たまに帰る実家で「せっかく季世が帰ってきたから」と、家族が用意してくれていた地元の日本酒やワイン。社会

一人じゃできない一人旅。

わたしはよく一人旅をする。でも最近思う。 「一人旅って一人じゃできないんだよな」 もちろん、旅先で誰ともそれほど関わらず帰ってくることもある。でも、わたしをその場所へ運んだのは、ガイドブックごしに知る「誰か」の情報だったり、身近な人のお土産話だったりする。 そしてやはり、一人旅は旅先で誰かと関わることが圧倒的に多いと思う。道に迷っても、一緒にいる誰かが代わりにガイドしてくれるわけでもない。自分で、地図や周りの人に助けられながらなんとかなる、そんな経験をどれだけしてきたこ

きっとまた会いに行く。

朝、ラジオから流れてきたニュースに私は耳を疑った。出かける時間が迫っている。バタバタと出かけ、画像付きで首里城の様子を見たのはお昼過ぎのことだった。 記憶の中の沖縄沖縄の青空の下、くっきりとした鮮やかな赤で堂々たる存在感を放つ私の記憶の中の首里城は、暗闇の中、炎に包まれていた。こうして書いているだけでも胸が痛む。私はかつて一介の旅人として沖縄を訪れたことしかないのだけれど、それでも。 沖縄を訪ねたのは数年前のちょうどこの時期。その頃私は心身ともに本当に疲弊して擦り

駅から駅へ ドアからドアへ

乗り換えを間違えることも 出口を間違えることも 迷子になることも すべて想定済み。 間違えながら、迷いながら 最終的にたどり着けばいい。 「絶対間違えちゃいけない」。 「絶対迷っちゃいけない」。 そう思うと苦しい。 そういうこともある。 と想定した上で、できる限りのことを。

飛び立とう、国内外の「異国」へ

■映画「君の名は。」映画「君の名は。」を観たことのある人は少なくないだろう。直接観たことはなくとも、タイトルくらいは知っているのではないだろうか。「トウキョウ」で暮らす男子高校生と、「ド田舎」で暮らす女子高校生の、夢を通じた入れ替わりの物語。 エンディングがどうなるかは観てのお楽しみといったところだが、わたしの夢は、「海外留学」だけではなく、「君の名は。」のようないわば「国内留学」を通じて、より多くの人に実写版「君の名は。」の主人公になってもらうこと。そして、「ここ」以外の

母の庭

家庭菜園は母の長年の夢だったらしい。 私が6つのころ、両親はマイホームを購入した。 家の周りはぐるりと庭用スペースになっていて、最初は何もなかった。 そこから何十年もかけて、母は緑豊かな庭園を作り出した。 春にはスミレやパンジーが咲く。 夏の初めにはトマトやきゅうりが植えられ、それらは日を重ねるごとに家を緑で覆っていく。 夏の朝、朝食用のトマトやきゅうりを採ってくるのは私の役目だった。 緑の多い庭の中で、トマトの黄色い花と赤い実は一際目を引いた。 トマトをもぎ

他でもない自分自身で

もうどれくらい進んだだろう? 果てしなく続く熊野古道の途中、息を切らしながら私は立ち止まった。 歩き始めた時は凍えそうなくらいだったのに、今はもう汗ばんでいる。 振り返ってみると、今まで登ってきた道が延々と続いていた。 ある程度整備はされているが、結局は山道。 少しでも余計なことを考えていると、あっという間につまづきそうになる。 ひたすら次の一歩に集中して、そしてここまで来た。 これだけ登ったのか。 少しの達成感を感じつつ、先に目を向けると、これまたどこまでも

乗換駅にて

スーツケースや大きめのバックパックを持っている人がやたら多いなと思ったら、今日はたまたま空港につながる路線に乗っていたのだった。 帰ってきた人。旅に来た人。旅に出る人。 疲れた表情の人。にぎやかにおしゃべりしている人。ひとり物思いに耽っている人。緊張気味に佇んでいる人。 みんなどこから来て、どこへ行くのだろう。 無数にある電車の中で、たまたま同じ車両に乗り合わせた人たち。 あの人たちも同じことを思っているのかもしれない。 彼は、彼女は、わたしは。 これからどこに

まだ終わらない旅

「それ」が長い旅の始まりになるなんて誰が知っていただろう。 高3の冬。 センター試験の数学で大コケ。 2次試験でも数学に泣いた。 死刑宣告を待つかのように迎えた合格発表の日。 私は高校の職員室で発表を見ることになった。 志望大学のホームページを開き、自分の番号を見つけた瞬間。 涙があふれて止まらなかった。 先生たちはうれしくて泣いているのだと思っただろう。 でも違った。 もちろんうれしかった。 けれど、「合格してしまった」という気持ちの方が強かった。

星空の中へ

ランタン祭りに行きたい! きっかけはディズニー映画の『ラプンツェル』のワンシーン。 紺碧の夜空に輝く無数のランタン。 海外だけでなく、日本でもあの絶景を体感できる場所がある。 それは新潟の津南町。 毎年3月の「つなん雪まつり」では、夜空にランタンが舞う。 実際にランタンを飛ばすには事前の予約が必要。 だが、運良くチケットが手に入っても、すべては天候次第。 何ヶ月も、いやきっと何年も楽しみにしていた当日。 天気予報は絶望的だった。 それでも一縷の望みをかけ、

命の洗濯

「伊勢」の存在を知ったのはいつのことだったか。 中学のとき、社会の授業で「お伊勢参り」を習ったときだろうか。 それから数年後、私は日本縦断の旅をしていた。 鈍行列車やバスを乗り継いで、ゲストハウスを転々として。 目的地は決めず、先々で知り合った人たちにおすすめを聞いて。 そしてたどりついたのが伊勢だった。 伊勢には外宮と内宮があり、外宮からお参りするものらしい。 1日目は外宮にお参りしたあと、ゲストハウスに泊まった。 内宮は朝9時でもそれなりに人がいるとのこと

「永遠」の場所へ

ローマは、イタリア旅行の最終目的地だった。 「水の都」ベネチアから「屋根のない美術館」フィレンツェへ。 そして「永遠の都」ローマへ。 その旅の一番の目的地はフィレンツェ。 私の中でローマは、おまけのようなものだった。 ひとまずホテルにチェックイン。 受付で観光マップをもらい、ロビーのソファでだらだら。 「これがほんとの『ローマの休日』かな」 なんて思いながら、とりあえずバチカンに行くことにする。 地下鉄に乗り、観光客や修道女の流れに身を任せバチカンへ。 真

海の中

 私は海をほとんど知らずに育った。四方を高い山々に囲まれた雪深い盆地の街で。  たまに家族で海に行くことはあったけれど、それも小学校低学年くらいまで。海で泳ぐと必ず溺れて父に助けてもらったものだ。ある意味、海の怖さは少し知っていたけれど、その記憶も時間とともに薄れていった。  海の怖さを改めて思い知ったのは東日本大震災の津波。たまたま東北にいた私は、岩手・宮城の沿岸を震災1,2ヶ月後から数年かけて回った。松島、石巻、南三陸、陸前高田、大船渡、釜石、宮古…。  集落