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海の中

 私は海をほとんど知らずに育った。四方を高い山々に囲まれた雪深い盆地の街で。

 たまに家族で海に行くことはあったけれど、それも小学校低学年くらいまで。海で泳ぐと必ず溺れて父に助けてもらったものだ。ある意味、海の怖さは少し知っていたけれど、その記憶も時間とともに薄れていった。

 海の怖さを改めて思い知ったのは東日本大震災の津波。たまたま東北にいた私は、岩手・宮城の沿岸を震災1,2ヶ月後から数年かけて回った。松島、石巻、南三陸、陸前高田、大船渡、釜石、宮古…。

 集落ごと波にさらわれてしまったようなところ、大きな船が内陸奥深くまで乗り上げたところ、津波と火事の被害で真っ黒に焦げぼろぼろになったところ…。

 暮らしの気配−家の残骸や、食器の破片−がかろうじて残っているところもあれば、生あるもの気配−人、動物、植物のエネルギー−が全くないところもあった。

海を心底「怖い」と思った。

 ただ、その後もあちこち足を運ぶようになった私は、いろんな海を知った。沖縄の透けるように美しいコバルトブルーの海、福岡は糸島市の濃い群青色とくっきりと白い波のコントラストが印象的な海、高知の足摺岬から見たどこまでも広がるような太平洋、しまなみ海道から見える多島美、横浜で見た水平線から昇る太陽。

海を心底「美しい」と思った。 

 怖いものはときに美しい。
 美しいものはときに怖い。

 先日、久々に海の中に飛び込んで、改めてその怖さと美しさを知った。

 またいつか海に行こう。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。