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【ラピスのモデル/精神分析/愛と呪い】村田沙耶香『消滅世界』を読み解く―甲南読書会vol.11活動記録


読書会概要

甲南読書会vol.11 村田沙耶香『消滅世界』
開催日時:2023/11/08 16:30~
開催場所:甲南大学iCommons
参加者:12名(院生2名/学部生7名/教職員2名/学外1名)

課題図書について

2023年12月9日(土)に甲南大学で「外側に紡ぐ物語 -村田沙耶香さんに聞く小説の世界-村田沙耶香さん公開インタビュー」というイベントが開催されます。
甲南大学文学部チーム「文学、あります」と甲南大学図書館が実施する文学関連の企画は毎年行われているのですが、今年はなんと『コンビニ人間』で第155回(2016年)芥川賞を受賞された、村田沙耶香さんがいらっしゃいます。

甲南読書会は本イベントとは全く関連しないコミュニティだったのですが、せっかくの機会だと思い、読書会の課題図書に村田沙耶香さんの著作を選ぶことにしました。
村田さんの作品は、セクシュアリティに関連するものが多く、たくさんある著作のなかで何を選ぶかは随分悩んだのですが、読書会に参加している村田沙耶香ファンの意見も聞きつつ、『消滅世界』を選択しました。

あらすじ

人工授精が一般化した社会で、主人公・雨音は両親の性行為によって生まれた。生殖と快楽が分離したこの世界で、夫婦でのセックスは「近親相姦」としてタブー視されている。
人間は今でも昔の「交尾」の名残で恋愛状態になるが、性欲は排泄物であるためマスターベーションで処理される。恋愛対象は人間とは限らず、キャラクターであることも多い。雨音は中一の時、同じラピスというキャラクターが好きな水内くんと「セックス」をする。
大人になった雨音は朔と結婚する。「家族」と「恋愛」は切り離されたもので、結婚後も互いに別の恋愛相手を持つ。
雨音と朔は恋の苦しみから「駆け落ち」するため千葉は実験都市・楽園(エデン)へと移住する。エデンでは男性も人工子宮によって妊娠できる、「家族」によらない新たな繁殖システムが試みられていた。全ての人が「お母さん」であり、生まれてくる子供は全てが「子供ちゃん」と呼ばれる。姿かたち表情までそっくりな「子供ちゃん」たちに雨音は違和感を覚える。

読書会の記録

記載のページ数は『消滅世界』河出文庫(河出書房新社)を参照しています。

舞台設定の異質さ

・世界の説明がないままに展開されていく。私たちの生きる世界とは常識が異なることに衝撃。藤子・F・不二雄『気楽に殺ろうよ』を思い出した。
・SFっぽい。が、世界のディテールは詳しく表現されるわけではない。
←ハードなSFとして読むべきものではなく、私たちにとって自明のものとなっていることを脱臼させることに意味がある。
・世界感の粗悪さそのものを用いて、この世界の気持ち悪さを伝えようとしている?
・現代の社会問題にも通じる部分があり、『消滅世界』は完全な別世界ではなく、私たちの世界の延長線上にあるような感じがする。結婚離れや少子化、晩婚化といった問題の解決策として、遺伝システムの考え方はありうる未来なのではないか。
・この世界には、人間の俳優やアイドルはいない?

愛着障害とエデンシステム

・現代の心理学では、幼児が健康的に成長していくためには特定の養育者が必要というのが当然の認識。←ボウルビィの愛着理論:戦争孤児の養護施設になぜかうつ病や身体に疾患のあるこどもが多く、衛生面等を改善しても変化は見られなかった。つまり、子どもの養育には特定の養育者(母)からの愛情が必要。『消滅世界』のような「愛情のシャワー」で成り立つのか。
・エデンシステムは合理的に見えるものの、少なくとも現代の実証研究が示す限りにおいて、正しい形ではない。

ラカンの〈母〉と『消滅世界』の「お母さん」

・解説にも精神科医によって、フロイトやラカンの話、精神分析の話が関連されている。
・ラカンのいう〈母〉:子供が出会う最初の他者であり、子供を保護・養育する存在全般のこと。〈母〉は必ずしも実母ではなく、女性とも限らない。←「お母さん」という存在との親和性がある。

プラトン『国家』で描かれる世界とエデン

・プラトン『国家』では、国家全体で親になり、子を育てる世界が描かれる。←自由が担保されているようで、実質は人類全体の利益を追求するために個性が消去されている気持ち悪さがある。
・エデンシステムの目指す先にあるのはまさに個性の消去で、全員が統一された世界。男女問わず妊娠し、子どもを産み、みんなが「お母さん」となり姿かたちのそっくりな「子供ちゃん」たちを育てる。
・エヴァンゲリオンの人類補完計画も同様に、全人類の溶け合い・融合を目指すもの。
・統一され、多様性がない社会の気持ち悪さ。

共同体での子育て

・現実的には、地域全体で地域の子どもを育てる、ということはある種の伝統的な形でもあり、少子高齢化が進み社会的関係の希薄な近年において見直されている。地域全体で子どもを見守り、愛情をもって育てる形はありうる社会。
・←共同体での子育ては、あくまで家庭が存在したうえでの共同体。『消滅世界』のエデンでは、ただひとつの大きな共同体があるのみで家族が存在しない。そのことが気持ち悪さを生んでいる。
・個から個への愛と、全体から全体への愛。

「お母さん」と「子供ちゃん」/顔の見えない、愛する主体と愛される主体

・複数の人間が同じ名前で呼ばれることの気持ち悪さ。
・愛があるように見えるが、愛する人も愛される人も明確じゃない。
・「愛情のシャワー」では、個人への目線が欠如している。
・愛着障害の話にもあったように、特定の養育者(=顔の見える主体)がエデンシステムにはない。
・自分という個への目線がない「愛」では本当の愛を感じられない。

父性の不在

・雨音の父:離婚したとされているが真相には疑問が残る。
・エデンシステムでも全てが「お母さん」で、お父さんは存在しない。
・権力者の不在:エデンシステムを統括する何者かの存在は描かれない。政治が透明化されており、マスメディアのみがその情報源になっている。
・父の不在はエディプスコンプレックスに影響を与える。超自我:社会の価値観や道徳の内的表象。個人の良心、道徳的に理想とする自己像

登場人物の名前

・作中でも言及されているように、水に関連する名前を持つ人物が多い。
・名前の水が示すものは性行為の時に描かれる水、体液と重なる。
・水は青っぽいイメージで、雨音の母の好きな色である赤と対比になっている?
・「お母さん」「子供ちゃん」は名前が剝ぎ取られている。

結末は進化か、退化か。完成か、途中か。

・進化の途中:樹里「私たちは進化の瞬間なの。いつでも、途中なのよ」(p108)←この結末も「進化の瞬間」であり「途中」。
・退化:隣の部屋から聞こえる動物のような声。エデンシステムで生まれた「子供ちゃん」とつながることで、「子供ちゃん」も動物のようになっていく。
・完成形:結末部分の描写は、どこか他人事のように描かれている。→雨音自身は自分のことを動物的ではなく、新しい形の人間になったと考えている。
・崩壊:雨音とつながった「子供ちゃん」によってエデンシステムが崩壊していく。
・→再生:もともとあった世界が消滅していく(『消滅世界』になる)。アダムとイヴ=雨音と「子供ちゃん」によって新たな世界が再生されていく。

「最後のイヴ」

・「雨音って、最後のイヴっていうイメージなんだよな。皆が楽園に帰っていく中で、最後の人間としてセックスしている存在っていうかさ」(p8)←「楽園」がエデンのことで、そこで最後の人類としてセックスをする=結末の描写?
・この「呪いのような言葉」をかけた恋人は誰?トラウマ的な言葉なのにも関わらず、この恋人についての詳細はない。
・「私たち、『逆アダムとイヴ』なのかな」(p128)

雨音にかけられた2つの呪い

・恋人の「最後のイヴ」という呪い。
・母からの伝統的な恋愛観の呪い。
・←呪いは愛でもある。
・母親に対する疑念があるにも関わらず、世間体を気にして結婚や出産を当然のものとして受け入れているのが不思議。なぜ自分自身の考えを掘り下げずに「なんとなく、そういうもの」としているのか。でも、好きなものは好き、という気持ちを押し通す強さは持っている。
・←世界に標準を合わせていく必要があることを段々と認識していく。『コンビニ人間』でも同様に、最初は自分の信念を持っていてもそれだけではやっていけない現実に気付いていく。

エデンへ向かう唐突さ

・1章、2章と来て、舞台を大きく変える3章は独立しているように感じる。
・朔と雨音はきちんと合意を取れぬまま千葉(エデン)へ向かう。
・←雨音は母からの呪いを解きたかった。エデンシステムへの理解、同意が不十分ではあっても、その場に身を置くことで母の呪いから解放されるかもしれないと考えた。

正常と異常

・『コンビニ人間』は私たちの意味での「正常」な世界で「異常」な主人公が「正常」に向かう物語。『消滅世界』は私たちの意味での「異常」な世界で「異常(私たちの意味での「正常」)」な出自を持つ主人公が「正常」に向かう。
・ただ、その「正常」は性規範、家族観の意味での「正常」が描かれる。
・夫からの性行為に気持ち悪くなった雨音は吐き気を催す。←人間の生理的な反応すらも結局は文化や規範に規定されている?「私たちは、全員、世界に呪われている。世界がどんな形であろうと、その呪いから逃れることはできない。」(p275)

セーフティな存在として描かれる「キャラクター」

・キャラクターには、その創作者(人間)の存在が必ずあるだろうがそれは描かれない。
・キャラクターを好きになると、声優を好きになったり作者を好きなったりすることにつながる。しかしこの世界では単なるキャラクターのみを愛する。

ラピスとは何者か

・ラピスは真っ暗な画面から始まり、色を取り戻す。
・←手塚治虫の漫画『どろろ』との近似。『どろろ』:妖怪と戦う冒険物語。泥棒のこどもどろろと、少年百鬼丸が奪われた身体を取り戻していく。
・他のキャラクターにも現実世界でのモデルがある?
・ラピスも、最後雨音とセックスする「子供ちゃん」も14歳くらいとして描かれている。

ゴールのない恋愛に苦しむ

・雨音の夫、朔は恋人のことで思い悩み苦しんでいる。恋愛の先にゴール(結婚)がないこの世界での恋愛の苦しみとは。
・なぜ追い詰められているのか。恋愛のあるべき形が不明。

家族の神聖さ

・「家族」という共同体のつながりの強靭さ。私たちの世界では血縁関係での性行為が近親相姦だが、この世界では家族との性行為が近親相姦となる。
・性行為を伴わない関係性の神聖さを志向する。
・雨音と朔が兄弟のように見えると描写されるシーンがある。

青と赤

・登場人物が持つ水に関連する名前から想起される青と、雨音の母の好きな赤。愛の色。赤い部屋=子宮とも読める。
・赤は肉体。青が精神。
・雨音の初恋であるラピスは、真っ暗な世界で色を取り戻していくキャラクター。「赤を取り戻したときは、ラピスの身体から出てくる血液にはっとした。そして物語の中盤、青が世界に取り戻され、空と海が一気に青く染まった。ラピスがやっと青い瞳を取り戻したその場面を見たあとは、涙が止まらなかった。」(p14)
・→雨音がラピスを好きになるきっかけは、青を取り戻すラピス。
・青はラピスにとっての完成形。
・ラピスは青を取り戻して「涙」(体液、水)を流す。結末部分で描かれる雨音と「子供ちゃん」の性行為の際にも水(体液)が出る。→私たちの意味での「近親相姦」(お母さんと子供の性行為)によって、青を取り戻し、完成形となる。
・→ラピスと最後の雨音が重なる。

神話としての『消滅世界』

・アダムとイヴは禁忌を犯す。禁断の果実であるりんご(赤)を食べる。消滅した世界で新しい世界を創っていく。
・←お母さんの呪い(赤)を受けた雨音は、近親相姦という禁忌を犯して消滅世界で新しい世界を創る。新人類となる。

村田沙耶香さん来学イベントのお知らせ

外側に紡ぐ物語 -村田沙耶香さんに聞く小説の世界-村田沙耶香さん公開インタビュー
日時:12月9日(土)15:00~17:30
場所:甲南大学岡本キャンパス 甲友会館
参加無料 事前申込制 オンライン視聴あり
申し込みは以下のリンクから。

イベント内では、学生からのインタビューコーナーもあり、甲南読書会メンバーも数名登壇予定です。

事前授業について(終了しました)

イベントに向けて、村田沙耶香さんの作品史をたどる事前授業が開催されました。

この授業に参加した学生は、イベント後に村田さんとの茶話会に参加できます。
甲南読書会参加者も5名ほど参加予定ですので、茶話会の様子もどこかでご報告できればと思います。

次回読書会のお知らせ

甲南読書会vol.12
課題図書『不連続殺人事件』坂口安吾 (新潮社、KADOKAWAなど)
日時:2023/12/14 16:30~
場所:甲南大学iCommons (詳細はお申し込み時にお伝えします)

参加申し込み受付中です。メール、SNSのDMにてご連絡ください。

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