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ショパンケークス【短篇小説】


 何考えてるのか分からないと言われる時、私はたいてい海のことを考えている。自由で、広大で、うっとりしてしまう海。私は金色に輝く自分だけの海に沈んで、全てに満たされながら恍惚としている。そんな空想に耽っている時が、一番落ち着くのだ。
 だけど、そんな事ばか正直に言ったところで冷やかしを受けるに決まってるから、私はいつも、ふっ、と意味ありげに笑って返す。それで余計に相手を気味悪がらせてしまう。

 私は若い。若くて、あり余る元気を持っている。だけどなぜだか、友達が少ない。

 だから私は、ライブハウスに行く。そこでは知り合いとか友達とか関係なくて、一人でいることに難しい思いをする必要がないからだ。

         ***



 そのライブは他のものと比べて、かなり趣が異なっていた。招待客限定で、一般向けのチケット販売だけでなく、ライブの宣伝すら行われていない。平日開催で、出演するアーティスト名も伏せられている。
 初めは迷ったが、折角馴染みの運営から招待されたのだし、行ってみようという気になった。それに、インセンティブもある。なんとお客さんは、チケット代を払う必要がないだけでなく、ライブに来るだけで報酬が貰えるというのだ。

 きっちり定時に仕事を切り上げた私は、18時45分に会場へ着いた。小ぢんまりしたライブハウスは、いつも通りアングラ感満載の様相を呈しており、フロアにはなんだか不気味な雰囲気が漂っていた。私はドリンク売り場でハイボールを貰って、フロアの右手中央に位置を占めた。そこで、いつもよりステージがよく見えるなぁと思って周りを見回すと、お客さんが若い女性ばかりであることに気づいた。彼女たちは私と同じように、一人でライブに来た人がほとんどであるようだった。それは、少し異様な光景だった。私は男性アイドルのライブや女性専用の○○といった所に行ったことがなかったから、自分が場違いであるとさえ感じた。

 ハイボールをちびちび飲みながら待っていると、19時になって、アーティストが出てきた。黒い革ジャンに穴だらけのジーパンという出立ちをした4人組の男がやってきて、私たちは一応拍手で迎えた。もちろん彼らのことは初めて見る。
 彼らはチューニングとアルペジオを済ませ、いきなり爆音を掻き鳴らした。地鳴りが起き、全身が震えた。と胸を突いた音楽は頭からつま先までを一気に貫いて、びりびりと痺れさせた。彼らのパフォーマンスは文句無しにかっこよくて、私は一瞬にして惹き込まれてしまった。中毒性のあるぎらぎらなギターリフに、胸を打つ官能的なベースライン、独特でばちばちのドラムフィルに、驟雨のように降り注ぐキーボード。圧倒的なセンスと迫力に、私は異常な高揚感を覚えた。
 彼らはインストゥルメントバンドのようで、ボーカルのいないスタイルながら、その魅力的なメロディーとリズムは私たちの心を一瞬で掌握した。初めは戸惑いと衝撃から体を動かせずにいたが、本能をくすぐるようなリズムに、皆自然と頭を揺らし始めた。気づけば私も拳を突き上げていて、自分でも驚くほど激しく体を揺らせていた。
 演奏はノンストップで続いた。おそらく1時間くらいだろうか。彼らは音を掻き鳴らし続けて、私たちは夢中で踊り続けた。フロアは半狂乱状態で、モッシュも起きていた。私も叫び声を上げながら、飛んだり跳ねるを繰り返した。全身は火照って熱く、汗とアルコールでびちゃびちゃになっていた。そしてそれが、最高に気持ちよかった。

 最高潮を迎えて、演奏は終了した。興奮状態の会場は、異様な熱気が充満していて、皆もみくちゃになっていた。
 彼らは水を飲んで、私たちのことをじっと見つめていた。そして、会場が少し落ち着きを取り戻したタイミングで、自己紹介を始めた。
 「Shopin’s Cakes(ショパンケークス)」と名乗った彼らは、未だに興奮している私たちに向けて、嬉しそうに「ありがとう」と言った。いつの間にか最前列に来ていた私は、彼らの顔を間近に見て、そのあまりにも端正な顔立ちに驚いた。ミスター・レヴァーコームと名乗るギターは、くっきりとした目鼻立ちをしていて、喋る時に緩む口元が、とても愛らしかった。スナッグ・フェアと名乗るベースは、少し窪んだ目許がセクシーで、ほっそりとした輪郭は思わず指でなぞりたくなる程儚げだった。オライリーと名乗るドラムスも、エステルと名乗るキーボードも、みんな顔つきが整っていて、女性本能を刺激されるような愛嬌と、どこかミステリアスな空気を持ち合わせていた。 
 黒髪だからか、彼らは私よりも年下に見えた。おそらく会場にいるどのお客さんよりも若いのではないだろうか。私は汗と香水の混ざり合ったどぎつい匂いにクラクラしながら、そんな彼らのかっこよさに見惚れていた。

 MCが終わり、演奏が再開された。一転して、スローなテンポで染み染み聞かせるような曲調だった。私はまだ踊り足りなかったから少しがっかりしたけど、聞いているうちに不思議と涙が出てきた。私は音の中に体を沈ませて、このままずっと溺れていたいなと思った。目を閉じて、全身を音に浸す。この上なく安らかで、幸せな気分だった。しかし、この幸福状態は、そう長く続かなかった。

 心地よく響く低音に、だんだん胸の辺りが苦しくなる。ゆったりとした旋律に身を横たえているところを、ドラムが揺り起こす。鼓動が速まるのを感じる。体が熱り始め、頭の中に靄がかかる。心臓は張り裂けんばかりに激しく血液を送り出し、体の髄がドロドロに溶けて、熱く、痛い。それでいて体の表面は恐ろしく寒く、絶えず震えている。大きくて細かい震えは、身体のあらゆる部位から不気味な音を奏でさせる。その音を、心臓の爆音が打ち消す。私は体中が堪らなく痒くて、全身を掻きむしる。楽器の音が遠のいていく。何とか声を出そうとしても口はぱくぱくと動くだけで、無様にのたうち回る舌は唾液を四方に飛び散らす。皮膚からはあらゆる液体が噴き出して、私の身体をびちゃびちゃに濡らしている。心臓の音が脳に谺して、感覚をもぎ取られる。視界はぼやけ、全てが歪んでいく.....。
 ますます速く、激しくなる私の心臓音は、ついに彼らの演奏を掻き消してしまった。私は子宮を抉られたような腹部の激痛に気を失って、そのままばたんと倒れ込んだ。

 目を開けると、私はフロアの最前列に横たわっていた。隣を見ると、私と同じように若い女性が倒れている。ステージ上に彼らの姿はなかった。私はゆっくりと立ち上がり、曖昧な意識のままライブハウスの出口に向かった。身体が裂けるように痛い。
 出口には馴染みの運営がいて、「来てくれてありがとうございます。またお待ちしています」と、次回の招待状と白い封筒をもらった。封筒の中には10万円が入っていた。


 それから何度かライブハウスに通った。あのライブで体験したかつてない興奮が、私の身体を抗し難く誘ったのだ。
 お客さんは相変わらず女性しかいなかったけれど、回を重ねるごとに、年配のお客さんがちらほら目につくようになった。そして、ある時から立ち位置を指定されるようになって、若い女性は前列に、年配の女性は後列に配された。
 変わったことはもう一つあった。初めのライブで10万円だった報酬が、次第に減っていったのだ。それでも、ライブを楽しむだけでお金を貰うのはなんだか申し訳ない気がして、一度運営に断ったのだが、「代わりに新鮮な音をもらっているのだから」と謎の言葉を口にして、取り下げてくれなかった。
 報酬は減ったが、「Shopin’s Cakes」の演奏は相変わらず興奮させてくれて、私は毎回倒れ込むようにしてライブを終えた。少し慣れたのか、あまり汗はかかず、痛みも軽くなっていた。

 私は完全にライブの虜になっていた。ネットで検索してみたが、「Shopin’s Cakes」の情報はどこにも載っていなくて、彼らの素性を知ることは難しかった。ライブは必ず意識を失ってしまうため、出待ちをすることも叶わず、ステージ越しにしか彼らを目にすることができなかった。彼らはライブをする度に輝いて、若々しくなっているように見えた。私は私生活でも仕事中でも、彼らに会いたくて堪らなかった。


 ある日のライブで、私はなぜか後列に案内された。何度も通う中で初めてのことだった。それでも、彼らのパフォーマンスが最高であることに変わりはないし、まぁいいかと思った。
 しかし、開幕の激しい演奏時、いつもであれば拳を突き上げて跳ねまくるのだが、ステージから離れているからか、うまく腕が上がらず、跳ねることもできなかった。私は身体が思うように動かないことに、少し苛立った。
 彼らのハンサムな顔も、遠目でよく見ることができなかった。私は思わず前列へ移動しようとしたが、警備員に厳しく止められた。苛立ちが募った。
 結局、その日のライブは倒れ込むことなく終わってしまった。初めて意識のある状態で立っていたから分かったのだが、フロアでは前列のお客さんだけが倒れていて、後列のお客さんは平然としていた。やはり近くの方が迫力や熱気がすごいのだろうか。彼らは演奏が終わると同時に退場してしまった。何かアピールしようとしたが、身体はまだうまく動かなかった。私は、次こそ前列で思い切り騒げるように願った。
 後方から順に退場案内が始まった。前後に人がいる状態で退場したのは初めてだった。私は運営に向けて、次は前でお願いしますよというようなジェスチャーをした。運営は無表情で私を見送った。
 果たしてジェスチャーは伝わったのだろうかと訝りながら帰路へ着こうとしたところで、大変なことに気づいた。招待状と報酬を受け取り損ねていたのだ。私はすぐに運営の元へ戻り、それらを要求した。しかし、運営は何も渡す素振りを見せなかった。私は困惑し、焦った。何度も執拗に問い詰めると、運営はライブハウスの裏へ行ってしまった。私は居ても立ってもいられなくて、そのままついて行こうとした。すぐさま警備員に取り押さえられたが、運営が離してやれと言って、解放された。運営は、ちょっと待っていてくださいと言って消えていった。私は怒りに近い興奮状態にあった。
 しばらくして、運営が裏から戻ってきた。手には黒い封筒を持っていた。私はその封筒を受け取って、すぐに中を確認した。中には10万円が入っていた。少し驚いたが、招待状のないことに気づいて、また文句を言った。私が本当に欲しいのはお金なんかじゃなくて、次のライブに行くための招待状だった。運営は、「今日が解散ライブだったんです。今までありがとうございました」と言った。いかにも取ってつけた言い訳のように聞こえた。私は納得できず、封筒を投げ捨てて歯向かった。警備員はそんな私を力づくで外に連れ出して、ライブハウスの扉を閉めてしまった。私は悔しくて、泣きながら扉を叩いた。
 拳を痛めながら泣きじゃくっていると、後ろから数人の老婆がやってきて、私と同じように泣きながら扉を叩き始めた。
「返して!」「返して!」「返して!」.....。
 必死に泣き叫ぶ老婆たちの姿を見ていたら、何だか急激に冷めてしまって、無性に怖くなった。私は抵抗するのをやめて、逃げるようにして帰った。ずきずきと痛む拳は、とてつもない悲愴感と喪失感に取り憑かれていた。

 それ以来、私がライブハウスに赴くことは二度となかった。


         ***



 私は今、海のことを考えている。その海はとうに干涸びていて、私は、濁った水溜りのようなところで、たった一人、汚れて横たわっている。

 誰かが何考えてるのと言う。私は、ふっと笑って咽び泣く。





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