近體三首
こんにちは、康寧堂です!先週詠んだ漢詩のまとめです。
まず最初の詩は街中から電車で家に帰る途中に詠んだものです。
「七歩の詩」(「七歩あるく間に詩を詠め!」と兄貴(曹丕)に無茶振りされるも、無事に作詩してしまった天才弟(曹植)の話。)という故事がありますが、七歩ならぬ三駅過ぎる間に詠めるか?!という
セルフ無茶振り企画を電車の中で始動して(←大袈裟ダヨ…)後から押韻をミスっていることにきづき修正した曹植に及ばない(あたりまえだ)作品です(長)
「三驛詩」
邨落疎燈夜不深、
啾啾鳴笛車駸々。
只虞徒賦亡其驛、
幸有一詩今定心。
邨落、疎燈なるも、夜深からず、
啾啾たる鳴笛、車は駸々たり。
只だ虞る徒に賦して其驛を亡れんことを、
幸に一詩有りて今、定心たり。
田舎町の明かりはまばらになっているが、まだ夜は深くない。
ピーッと鳴り響く列車の音、どんどん進んでゆく。
ただ恐るのは、作詩にかまけて乗り過ごさないかどうか、
今詩ができたのでひと安心。
自評:「駸々」は馬の早いことを形容する詞なので、
はたして、列車、車に使っていいものか、自信がありません。
「定心」は現代中国語では、安心と同義ですが、
古代中国語として的確かこちらも未詳。
書作品にしてみた↓
つづいて、旧暦の七夕の日に詠んだ漢詩、七夕ならもっと惚れた腫れた系(そんな
系列はない)の詩にしろよ!と言いたい所ですが、この人には無理そうなので、
勘弁してあげてくださいm(_ _)m
それでは気をとりなおして(開き直って)五言律詩「七夕」。
「七夕」
至夕方思會、秋雲輕別離。
看天憂經世。臨地憾無知。
天地無高下。官民莫尊卑。
斯言難識實。物換不及時。
夕べに至って方に會を思う、秋雲、別離を輕んず。
天を看ては經世を憂い。地に臨んでは無知を憾む。
天地に高下無く。官民に尊卑莫し。
斯の言、實を識り難し。物換って時に及ばず。
夕暮れになって牽牛織女の会うことを思うが、
秋の雲は再会を祝ってはいない。
天を見ては経世済民を憂い、地に臨んでは自分の無知を残念に思う。
天地に高い低いはなく?官民に尊卑はない?
この言葉は実際を知り難い。もはや私は時流についてゆけない。
自評:「官民莫尊卑」が平仄にあっていないので、この詩は拗体です。
書作品↓
最後の詩は、仕入れ帰りにいつもの坂を歩いていた時に見えた風景から
詠んだ詩です。
「偶成」
半月奇雲立 、
江風夏氣盈。
竭歡其盡哀、
日々却清々。
半月、奇雲立ち
江風、夏氣盈つる
歡びを竭し其れ哀みを盡せば
日々却て清々たり
半月の下入道雲が起こり、 川から吹く風は夏の気に満ちている。
喜ぶべきにめいっぱい喜び、悲しむべきにたくさん悲しめば、 毎日が清々しい。
余説:「夏氣盈」は元々「夏氣腥(夏氣腥(なまぐさ)し」にしたかったのですが、押韻の関係上こうなりました。夏の川風はなんだか生臭い。
それでは、また、康寧堂でした〜Have anice day!
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