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2. Kota - Prologue -|読む人の運命を加速させる恋愛小説

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前回のお話👇



木々の緑が、風に揺られている。そうか、世界には、色があったんだ。思えばこの当たり前の事実を心から味わえたのは何年ぶりだろう。

僕はたった今終わった電話の余韻を味わいながら、ゆっくりと道を歩いていた。

マッチングアプリで出会ったある女性。

その女性の声はどこか懐かしい感じがした。
テキストから想像していた声と、電話から聞こえる声。それは彼女が言う通り、確かに違っていたけど。

「私、自分の声、好きじゃないんですよね。なんだかギャップがすごくて」

そんなギャップも全て素敵だった。なんでもよかった。僕はなんでもよかったんだ。僕は何年ぶりかに、世界に受け入れられた。

僕は彼女にアプリでメッセージを送る。

「今ね、わー世界がカラフルだーーーって風に揺れてる木を見てるよ(笑)」

恥ずかしいから「(笑)」をつけたけど、でも僕は大真面目だった。彼女にはどうしてか、そんな恥ずかしい自分も出していいかなと思う。

僕はいつから、こうした恥ずかしい自分を、弱い自分を、ひた隠すようになったのだろう。

隠すつもりもないのにその僕は、僕の後ろにすぐに隠れてしまう。まるで母親の後ろにスッと隠れてしまう小さな子どものように。そうした僕に気づいてあげるのは、とても難しい。

僕は去年、電車に乗れなくなった。あれは連日記録的な猛暑が続き、眩暈がするほど暑い7月の末だった。

全てうまくいっているように思えていた。

仕事は順調だった。社内でも期待される新規事業の責任者として活躍していた。
「期待してるよ」そんな声を実際にかけられたこともある。
仕事は忙しかった。大変なこともあった。それでも僕は自分の仕事に誇りを持っていたし、やりがいも感じていた。

プライベートでは結婚し、子どもを授かり、マンションを買った。
不動産屋仲介の場で、数百万単位の手付金を札束で手渡す時、なんだかすごいなと思った。
契約書に印鑑を捺した時、僕はこう言われた。「おめでとうございます」
何がおめでたいのかさっぱりわからないまま機械的に「ありがとうございます」と僕は答えた。

なんだか、すごいな。

僕はどこかで、このなんだかすごい社会という怪物に、吸い込まれていく感覚がしていた。
いつからだろう。就職活動の時?
いやもっともっと昔からかもしれない。

高校を卒業し、大学を卒業し、就職し、結婚し、子供を授かり、家を買う。
この後は、何が続くのだろう。

子どもの小学校入学があり、受験があり、子どもはいつの日か大学に行き、卒業後就職する。
その後、結婚するのかもしれない。「紹介したい人がいる」と娘に急に言われるのかもしれない。僕は一応父としてその男性を見定めるような会話をし、そして娘の結婚を承諾する。そもそも僕に承諾する権利があるのかすらよくわからないまま。そして娘は結婚し、子どもができ、僕は「じいじ」とか呼ばれるようになる。年末年始には家族の皆で集まり、子どもや孫の将来のこと、ニュースやワイドショーで見聞きした話を共有し合う。
世界の表面をなぞるような他愛もない話。それも悪くない。悪くないじゃないか。悪くない人生のはずだ。
けど、なんだか、すごいな。

これはいつまで続くんだろう。

仕事と家庭、全てうまくいっている(これはいつまで続くんだろう)

これ以上僕は、何を欲するんだ。全て順調じゃないか(これはいつまで続くんだろう、いつまで続くんだろう)

これは、いつまで続くんだろう。

それはまるでトンネルのようだ。暗くはない。むしろ明るい。全て見通せる。白く、明るく、綺麗で、先の見えるトンネルだ。全てが見えている。全てが設計されている。全てが整っている。全てがわかっている。全てが予定通りだ。そんなトンネルに僕は、吸い込まれていく。わかりきったシナリオをただなぞるためだけに、そのトンネルの中を、歩く。延々と、淡々と、無表情で。

自分の人生は全て自分次第だと思って生きてきた。そういう気概であらゆることを自分で決めてきた。この人生は僕のものだ。僕が選び、僕が作ってきた人生だ。

僕は自分の人生を生きている。後悔はないはずだ(いつまで続くんだろう、いつまで続くんだろう、いつまで続くんだろう、いつまで・・・


そして僕は、猛暑が続いたある7月の末、電車に乗れなくなった。それを境に世界が逆転した。

上が下に、好きが嫌いになった。大切にしてきたものが、なんで大切かわからなくなった。今まで僕の後ろで怯え隠れていた僕が、声を上げ始めた。

スマホが鳴ると恐怖に襲われた。パソコンが開けなくなった。原因不明の目眩、頭痛、動悸。ただ座っているだけなのに、何もしていないのに、僕は死に襲われた。死が僕に襲いかかってきた。湧いては止まらない死のイメージ。それを必死に止めようとすると、僕は更なるパニックに襲われた。僕は暴風に耐えるよう、ただただしがみついていた。これを離すと僕は死に呑み込まれてしまう。

僕は完全に壊れていた。

しばらく仕事を休むことにした。精神科に行き薬をもらった。自分に何が起きているのかわからなかった。どうしていいのか、わからなくなっていた。何もかも、わからなくなっていた。僕が好きだったこと。僕が大切にしてきたこと。
僕が、僕であること。

そんな時、友利花さんと出会った。マッチングアプリで知り合った。

そして今、初めて友利花さんの声を聞いた。たった15分程度の電話だった。

電話を切った後、これまで何百回と通ったであろう自宅近くの道を歩きながら、僕は友利花さんにメッセージを送った。

「今ね、わー世界がカラフルだーーーって風に揺れてる木を見てるよ(笑)」

木々の緑が、風に揺られている。
そうか、世界には、色があったんだ。

友利花さんとの出会いは、僕を、僕の世界を、完全に変えてしまった。

———僕たちは出会ったんじゃない。出会ってしまったんだ。



次回のお話👇

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