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夏の思い出とbarのマスター

去年の夏頃、友達に誘われて人生で初めて本格的なバーに行ったことがある。
なにしろ友達はInstagramから見つけて来た店だということで、メニューを見ても如何にもInstagram出身っぽい映えたドリンクばかりだった。
お洒落なグラスに3色程の水がグラデーションになったものや、スイカそのものに酒が入っているような、なんとも素敵なドリンクばかりで、私たちは高揚感に包まれた。

そもそも『本格的なバーに行く』なんて大人すぎる経験からしてワクワクする。
結構強めな雨に降られながら、あの日は期待を胸に膨らませ、バーへ向かった。

さっきから「バー」とバカみたいな書き方を続けているが、私は以前にも話したように、「bar」なんてお洒落な表現をすることが許されない程酒を嗜めないので、片仮名表記をして話のバランスを取っている。

その店はビルの中にあるような隠れ家的店で「これ、本当に私らみたいな酒ペーペーが入ってもええんか?」という重厚的な扉に包まれていた。
しかし後には引けない。
今日の目的はお洒落な酒だったし、何より私たちは傘を持って居なかったのだ。
重々しい扉を開き、私たちは新たな大人の世界に足を踏み入れることとなった。

バーのイメージといえば、気さくで髭の生えたマスターがカウンターに立っているような、全く抽象的なイメージしか無かったが、大体合っているようで合っていなかった。
マスターは髭だった。しかし、気さくでは無かった。

ただ席を促し「どうぞ」と言って、天気の話もしなければただ隣にいる奥様なのか従業員なのか、そういう人に指図をしているだけだった。
客は私たち2人だけだった。
ハード面はとても凝っている。高級そうな器や、沢山の種類の酒が綺麗に並んでいる。
そこは売りでもあるだろう。しかし私達には逆効果ですらあった。

静かなタイプのバーだ…!
見た目といい空気といい、私は密かに緊張感を走らせていた。

ここは恐らく、上級者向けのバーだ。
私たちは顔を見合わせた。
そもそも友人だって酒など普段全く呑まない。
唯一の武器は「関西人の厚かましさ」それだけだ。

友人は「Instagramで見たドリンクが呑みたいんですけど…」と先手を打ってくれたので、事は進めやすくなった。

マスターは「果物のお酒ですね?」と言って、大皿に綺麗に盛り合わされた果物たちを指差した。

「スイカは◯◯産のもので、とても甘い。季節的にもオススメです。りんごは◯◯、パッションフルーツは◯◯で、マンゴーは◯◯、苺は◯◯で××、その他にはアレとコレがあってコレコレです」

マスターは果物の説明を終えると、また静かになった。
やはり上級者向けの店であることは間違いなさそうだった。ここからのチョイスは完全に任せられている。
勿論果物を選べば良いのだが、私は以前も記事に書いたように、ひとつ問題を持っていた。

「すみません、私はお酒の味があまり得意では無いのでアルコール感が弱目のお酒が良いのですが、どの果物が相性が良いですか?」

バーがバーなら摘み出されてもおかしくない質問である。
バーは酒を飲みに行くところであって、逆説にすれば酒を飲まない奴はバーには行かないのだ。

固唾を飲んでいると、マスターは首をひとつ縦に振り、言葉を続けた。

「スイカは◯◯産のもので、とても甘い。季節的にもオススメです。りんごは◯◯、パッションフルーツは◯◯で、マンゴーは◯◯、苺は◯◯で××、その他にはアレとコレがあってコレコレです」

私はこの時、流暢に話すマスターを見ながら嫌に冷静に、ボンヤリと思っていた。
【間違えて起動してしまったsiriに似ているなぁ〜】と。

途中で口を挟めない空気といい、知識を流暢に話す様子といい、寧ろsiriだと思うと親近感すら湧いた。
どうやらマスターは人見知りだ。それでいて、自分の持っている知識はよく話す。
酒が好きすぎる故の酒オタク(勿論この場合は褒め言葉)なのだ。

これ以上は聞けない。
私はシンプルに見た目が良かったスイカを選んだ。
友達は確か苺を選んだ気がする。
とはいえ向こうもプロである。お酒の種類も聞けば歴史から教えてくれたし、飲みやすい合わせ方を作ってくれるということで、私たちはマスターに一任し、酒の完成を待つことにした。

このタイミングくらいだったか、男女が2人来店し、隣のカウンターに座った。
私たちは確実に安堵した。酒ペーペーの2人が店の焦点に当たっていることが居た堪れなかったのだ。
会話の雰囲気から、男女はまだ付き合っている訳では無さそうだった。
男が連れて来たようで、実に良い雰囲気である。
これだけ洒落た店に連れてくるということは、勝負に出たということだろう。私は彼らの恋の成就を密かに応援することにした。

写真を載せると店バレしてしまいそうなので載せないが、スイカのカクテルはとても綺麗で、そこには一切の裏切りは無かった。
しかしどうしても店の雰囲気が大人っぽすぎてキャっキャと騒ぐことができず、私たちは静かに「綺麗だねぇ」「可愛いねぇ」と言いながら写真を撮るに留めた。

普段から「最早店に入らなくても、行列に並ぶだけでも喋れたらなんでもええよな」と言い合っている私たちにとって、そのバーはお行儀が良すぎたのだ。

トイレすら、壁に一体化していてすぐに見つけられないような無機質感だった。

マスターは従業員らしき女性に少し話をするだけで、ずっと無口だった。
まあ、カクテルをシャカシャカするところを目の前で見られただけでも収穫だと思い、会計をして店を後にした。

帰り道、水を得た魚のように、私たちは関西人の空気を取り戻して店のレビューを話し合った。
私たちにはお上品すぎたこと
マスターは恐らくAIであること
そして友人はもうひとつの真実を語った。

「さっき木ノ実がトイレに行ってる時、マスターが隣のカップルに静かにしてくださいって注意してて、とんでもない空気になってたよ…その時私しか客おらんかったのに…」

キッツ〜い。
その場に居なかったが、想像するだけでキツい。
私がそのカップルの女だったら、男の気まずさを感じて無理に明るめに笑って、頭のどこかでは「注意されたなあ〜」と思いながらその時を過ごすしかない。
解散したらどこにも行かず、そのまま帰って友達に話したい。

バーとは恋の成就を斡旋してくれる場所では無かったのか。
付き合ったキッカケの場所になって欲しいくらいのものである。
その話を聞いた途端、なんだかとてもガッカリしてしまった。

結局私たちは「あんまりだったね…」という言葉をとても遠回りした表現で話し、そのまま帰路に帰った。
勿論店のレビューは悪くないし、上級者にとっては居心地が良い店なのかもしれない。
ただなんとなくイメージと違ったバーにギャップを感じ、その時からバーに行きたいという欲はすっかり無くなっている。

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