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生きた心地がする

もう今は大きな病気じゃ無いだろうと言われているので安心して読んで欲しいが、
最近身体に不調があって病院に通っていた。

今日は命について、主観的な話をする。
なんとなく覚えておかなければいけない気がしたからである。


最初に症状が出たのは12月頭くらいのことである。ネットで調べたら「原因不明でなんとも無いものか、もしくは癌」という
あまりにもdead or arrive すぎる結果しか出て来なかった。

たまらなくなり私は病院に行ったのだが、
泌尿器科系の症状だった為
なんやかんやで私は人生で初めて尿道にカメラをブッ刺すことになった。


余りにもきつくて夫にLINEした

アラサーとはいえまだまだ経験した事のない出来事は多いんだなと思ったが
正直最初の診察からカメラで膀胱を見るまでは1週間ほどあり、その間生きた心地がしなかった。

本当にヤバすぎると親にも相談しづらく、
この話は夫と一部の友人にしか出来なかった。

余談だが私はこの時「昔は何でも1番に母親に相談してたのに、今は夫にするんだなあ」と感じたものである。

泌尿器科系の病気で恐ろしいところは
『症状はいっときしか出ないのに進行している可能性がある。
しかも痛みとか他の症状が出ない方がヤバい』らしいということだった。

最早痛みとかあった方が安心出来るけど??と思う余り、
痛い気がした夜もあった。

こんなにも長期間生きた心地がしないことなんて余り無かったので、
私は1週間ずっと命のことについて考えていたかもしれない。

とにかく検索魔になった。
会社でもふとした時に調べてしまうし、
心配症の私なので想定内ではあったが、
どうにか安心出来る要素が出てこないかと思い調べまくってしまった。

結婚式の準備をしに、予約していたお店へ行った時にも「もし大きな病気だったら、こんなことしている場合じゃないよな」と思って全然集中できなかったし、
友達とご飯に行ってる時ですら「私もしかして癌かもしれないんだなあ」と我に帰る瞬間があった。

そして命について考えている時、初めて実感したのだが
私は最近自分の為だけには生きていない気がするということだった。

死んだら私の意識はそこで無くなる。
だから、寧ろ死に対して感じるのは恐怖では無くて(勿論そこまでの過程に恐怖はめちゃくちゃあるけど)、私のことを好きでいてくれている身近な人に対しての申し訳の方が勝るのではないだろうか。

私は正直、こんなことを考えた自分に驚きだった。
ちょっと前まで私は
死に対して100%「怖い」という気持ちだけで生き続けていたからだ。

私に何かあった時、悲しむ人がいるということを実感できている。
そんな今が幸せなんだと思う。
そして忘れてはいけないなと思った。

私はカメラを刺す検査をする前、
毎晩夫に「尿道にカメラ刺すのか…やだなぁ…」と愚痴っていた。
夫はその愚痴を(あまりの響きにたまに笑っていたが)受け止めてくれていた。
朝起きるとまだ寝ている私の背中をさすりながら「大丈夫だよ」と呟いていて、
思わず私は寝たフリをした。

尿道にカメラを刺す検査はぶっちゃけ痛かった。
ただ、想像したよりは痛く無かった。
そしてその検査で問題は全く見当たらず、
「大きな病気では無いでしょう」と言われ、
ようやく命を吹き返した気持ちで生活をしている。


検査が痛そうだと心配していた夫

年の瀬にまあまあ大変な経験をしてしまったが、
同時にまあまあ幸せなのかもしれないなと思った。

それから私が長年思い続けていること
「もし私に何かあっても生きた軌跡が残るように、クリエイティブなことを沢山挑戦したい」という気持ち。
これも忘れてはいけないなと思う。

あと私は常日頃周囲に
「100歳まで生きる」と宣言している。

これらは、来年も引き続き目標にしよう。

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