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生活を共にする|2021年3月初旬の日記

期間限定、彼と彼の友人とのあたらしい生活をしながら、わたしは機械学習をするロボットのように彼らのさまざまなデータをとり、行動を変えている。  

変だね。人形はもともと人に似せて作られたのに、人が人形の真似てメイクする、みたいなところがあるね。

 どんな味の時によく「おいしい」というのか、はたまたおいしそう(食べるスピードが早い・止まらず食べるなど)なのか。仕事がまだあるはずなのに寝てしまった時は起こしたほうがいいのか、など。  

後者などは仕事や体の状況によるのだろうし、判断がむずかしい。昨晩は、寝息がするのにベッドに誰もおらず、床で寝ているのを見つけて、起こすか迷った。お酒を飲んでいた、体が痛いと話していた、PCはまだついたまま…。  

わたしがこういうふうに動くのは、この暮らしがわたしの試用期間だからなんだろうな。  

わたしの存在によって、彼らはあまり行動を変えないように感じる。が、わたしがいない時の彼らを知らないため、確かではない。彼らはとてもやさしいし、多少なりとも気を遣ってくれているのかも。わたしが関係してしまっている以上、わたしなしの彼らのデータはとれない。


最近読んだ『クララとお日さま』は、クララというAF(artificial friend、つまり人工親友)が主人公。人工親友のクララは、女の子ジョジーと生活するなかで、ジョジーとジョジーのまわりのあらゆるものから学習し、よりよくなるように尽くす。学習のデータとしてとるのは、もちろん言葉だけではない。動きや話しかたもだ。

クララはジョジーを学習していき、ジョジーのコピーになれるかもしれない、と一度は言う。(これぞカズオ・イシグロ)でも、最終的には無理だっただろうと。「人々の心の中にあるジョジーへの思い全てには、きっと手が届かなかったでしょう」(Kindle版No.5044/5162) 関係しあって生きている限り、完璧はありえないのだ。

ただ、完璧はなくとも生活を共にしていると、情報がかなり共有できるなと思う。特に言外の情報。「夕飯なに食べたい?」って話をしていて、同時に「「カレー!」」とか答えられるのって、実は奇跡のようで奇跡じゃない。同じような思考に至るための情報量が十分にあるはずだ。

 (良くも悪くも、生活を共にすると「仲がいい錯覚」に陥りやすい。セックスでショートカットして仲よくなるみたいな。チートのような)  

お互いを好きで、仲よくなりたいと思っているならなおのこと。ある程度気が合うならなおのこと。




先日観たトランスレーションズ展は、異言語間のみならず、異種間、異時代間での翻訳を扱っていた。AIでの翻訳が出てきたのはもちろん、ヒトがサメを誘惑するにはどうしたらいいのかとか、縄文時代のものを現代で使ってみようとか。結構、言語じゃない話も多かった。

目が見えない場合、どうスポーツ観戦をしたら、リアルタイムで状況を感じられるかとか。 ものを伝えるときには、言語を尽くしたり模索したりするのがセオリーだと思っていた。(だからトランスレーション展、と聞いたときに異言語間のおもしろ誤翻訳の展示だと思った)

けど、言外のものも大きいし、場合によっては言外のコミュニケーションが適していることもあるようだ。

『クララとお日さま』のクララは学習によって自死しない。買ってくれた人のために生きているから。(人のために尽くすという使命がなければ、人工親友も死が最適解であると気付き自死すると思う)人に設定された関係ではあるが、関係があるために自死しない。  

関係があるから100%理解することができなくて苦しく孤独なのに、関係があるからこそある程度生かされている。し、できる限り理解しようと努めてくれるのを幸福に思う。人に見られたり、関係を結ぶことで、自分が形作られていく感じもよくする。  

ちなみ人工親友の主要タスクは、その子が孤独を感じないようにサービスすること。子どもから大人に成長する自己が不安定な過程において。やはり孤独はできるだけ避けたいものなのだな。  

わたしがひとり暮らしが大嫌いなのも、かなり(自分で自分に)「そりゃそうだろ」と思う。いま、人と生活を共にして、100%わかりあえなくても、ある程度理解しようと努めたり、他人の目に自分をうつしたりできて、精神的にとても楽だ。

 1日の終わりに、手をにぎったり抱きしめたりして、言葉にできないわかりあえなさすらわかりあおうとする時、孤独な世界から身を守ろうと結界を張っているみたいだなと思う。

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 春を切ないと思ったのは学習をはじめて何度目の春なんだろうね。3月になると昔自殺未遂をしたのを毎年思い出す。あのときは頭がわーっとなっていて、誰がかなしむとか、もうあまり考えられなかった。

急に雨が降ってきた時の、傘を買うお金にします。 もうちょっとがんばらなきゃいけない日の、ココア代にします。