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妊娠とか出産とか育児とか #1

出産をした。

昨年、初夏に信じられないほどの出血と腹痛を経験した。
2度目の流産だった。
手術はせず自然に出すことを選んだが、流産診断をされた後、笑っちゃうぐらい長い期間赤ちゃんはお腹にいた。
始め腹痛や出血が始まった時は「出ないで欲しい」とめそめそしていた私だったが最後はもう「え?まだいるん?出る出る詐欺やん」となったほどである。

その後きれいになった子宮に、新たに迎えた卵が無事に大きく成長してくれた。
2度の流産経験は人に妊娠報告することを躊躇わせて、出産直前まで限られた人にしか言えなかった。
というのも私の体が元々華奢でお腹も全然出なかったのでそもそも妊娠中とは気付かれなかった。

そしてこの春に、夫と私の赤ちゃんが生まれた。
小さな奇跡が少しずつ集まってその奇跡だけで出来あがっているような存在で
紛れもなく夫と私、ふたりの赤ちゃんなのだけど、ふたりの間に誕生したというより今まで支えてくれた両親や兄弟や友人、ありとあらゆる人の真ん中に誕生した赤ちゃんという感じだった。
そして逆子がなおらず帝王切開だったので「赤ちゃんと私で超頑張って産んだ」というよりは「産まれた」って感じなのだ。逆子だったおかげで夫も立ち会うことができた。
なかなか面白い経験だったので、書けたらそれはそのうち。

生後1ヶ月の今は里帰りで実家にいる。身の回りの世話を全て親に任せて全力で甘えまくる毎日。
もう少しで自宅に戻る予定なのだが、これがなかなかしんどく「え?この感じのまま家に帰って家事するんですか?え?誰が?」となっている。

赤ちゃんはかわいい
それはそれはもう、今まで感じてきた「かわいい」「尊い」「愛おしい」を全部集結したものが目の前に現れてもそれをゆうに凌駕するぐらい、かわいい。
でも睡眠不足や産後のホルモンバランスの崩れって「子ども可愛いし、母親なら乗り越えられる」みたいな、そんな次元とは全く別次元の辛さなのである。

仕事で徹夜するとか自分の意思で早起きするとかそういうのとは全然違うし
何よりまじでゴールが見えない。いや、いずれ終わるということは頭では理解しているが、少なくとも数ヶ月、あるいは1年ぐらい続くそれに毎夜軽く絶望する。
いろんな人から話は聞いていたし産前に想像して覚悟していたものの、予想と体験では(当たり前だが)大きな溝があった。
さすが人間の三大欲求のひとつだなと思い知らされる。ご飯は食べないと人間簡単に死ぬし、睡眠を取らないと体も心も崩壊していく。

ある明け方
おおよそ3時間ごとに設定したスマホのアラームだったか、もしくは赤ちゃんの泣き声だったかで目を覚ましのそのそと動きミルクを作る。
おむつを変えて、出てるのか出てないのかよくわからないおっぱいをあげる。
それだけでは足りないので作ったミルクを足す。

十畳の部屋に赤ちゃんとふたり、見えるのは私のシングルベッドとその隣にある赤ちゃんの形に凹んだ抱っこ布団、別に寂しさとかはないのだけど、夜間の授乳は独特な孤独感がある。
両親は寝静まっていて、夫も遠くの自宅で寝ている。「羨ましい」以外の感情がなくなる。

力いっぱい手を握ってミルクを一生懸命飲む赤ちゃんを見つめる。ふと読んでいた本の一節を思い出す。
「誰にも伝えられないけれど、でもわたしはいま、きっと想像もできないほどかけがえのない時間のなかにいて、かけがえのないものを見つめているのだ。」

きみはあっという間に大きくなるのだろう。
こんな風に、両腕ですっぽりとからだの全部を抱きくるめられる。
そう遠くない未来、それには確実にできなくなる時がくるのだ。

自分の意志で私にしがみつくことすらできない、でも一生懸命生きている赤ちゃんを見つめているのは、いま世界で私だけ。
何の日でもない、ただの明け方のこの瞬間が、いつか心がぎゅっとなるぐらい懐かしむ時がくるんだろう。
そう思うと、寝不足と未知の子育て、背中痛や目眩で疲労困憊している中、胸がいっぱいになってしんどさゆえではない涙が溢れたのだった。

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