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感想『愛されてんだと自覚しな』


 前回の投稿から一年と少し経ってしまいました。その間に一本長編の小説を書き上げて賞へ応募し、また新たな小説を書いていることを考えると、どんな形であれ日々忙しない中で物語を紡ぎ続けているのは良い傾向なのかもしれない、と自分の中では考えています。
 逆に小説を読む機会はめっきりと減ってしまって悩ましかったのですが、やはり自分にとって理想の一人である作家さんが書かれた物語は気になってしまうものなので、河野裕先生の最新作『愛されてんだと自覚しな』の感想を少々綴ろうと思います。

 今回は帯にも書いてあった通り、『最高にポップなモダン・ファンタジー』がテーマの物語でしたが、読み終えた際に思い浮かんだのは「こんな話も書けるのか」という驚きの感情が大半を占めた感想でした。
 これまでに多くの作品にて描かれていた、少年少女の葛藤がメインではなく、神と人、そして一つの本を中心に目まぐるしいコメディーに近い構成となっていました。河野先生の話のテーマはいつも心に深く突き刺さるので、読む前にある程度覚悟を決めているのですが、今回はいつもの深々と物語の真実を辿ってゆくような雰囲気で進む物語と異なり、派手目なアクションや神と人との素っ頓狂なやり取りが目に浮かぶような文の作り方が目立ち、違う意味で思わず話にのめり込んでしまいました。
 作中においてキーアイテムとなる『徒名草文通録』は、様々な登場人物を翻弄していました。和谷雅人は古書そのものに価値を見出し、ノージー・ピースウッドこと野寺和樹は本に載っている『雪花夢見節』の譜面に自らの偉業を重ねて悩み、浮島龍之介は本に挟まれた『鹿磨桜』の押し花に希望を抱き、辻冬歩は本に描かれた『浄土の桜』を彩る春節の青に憧れ、各々が『徒名草文通録』を手に入れるため奔走していました。
 作中の序盤で、ミステリーにも似た情報の開示から多くの登場人物が出てきますし、あれやこれやと搦手を使い他の人間を騙そうとしますが、最終的には全員が欲していたものに対して向き合い、納得する描写が丁寧に描かれていました。占い師の小束武彦含め、神に踊らされる人として全員が足掻いていたものの、話の中心に最後まで残り続けて団欒のエンディングを迎えるのは予想外でした。
 主人公である二人に呪いをかけたとされる水神イチでさえも、悪態をつきながら分かりやすい敵として登場していましたが、それが千年越しの愛故に本を守るためだったと考えると、中々神よりも人らしい立ち回りだったと思えました。他にも個性的な神が中盤から多く出てきましたが、河野先生が日本の神話に出てくるような神らしい神を描かれているのを初めて見たので、なんだか新鮮な気持ちで台詞回しを目で追っていました。

 ここまで話の周りにいる登場人物についてばかり言及してきましたが、やはりこの作品は岡田杏と守橋杏子による、多くの輪廻を巡ってきた物語の一つだったのだと、読み終えた後にしみじみ感じていました。
 ドタバタコメディーの中に紛れていたこの二人にまつわる少しの切なさこそが、河野裕先生の真骨頂にも思えました。
 そもそも僕自身は、何かしらの物語を体験し終えた後にあれこれと思いを馳せたり考察を重ねたりすれど、物語に入り込んでいる最中にそういう思考回路に至った経験があまりありません。ミスリードをそのまま解釈してしまうし、書き手の誘導に嵌って、序盤の伏線が頭から抜け落ちてしまうことも多々あります。
 故に、終盤まで疑問を持たずに杏を転生した女だと思いながら読んでいたため、真実が明かされたシーンでは思わず項垂れてしまいました。
 話の冒頭から、祥子は実は転生した男側なのかと少しくらいは考えていましたが、それ以上は深く考察せずに読み進めていました。読み終えてから考えてみると、作中で杏が述べていた『彼方は此方を覚えたまま生まれ、此方は彼方を忘れたまま生きる。やがて此方は彼方を思い出し、そのころ彼方は此方を忘れる』というルールをゆっくり紐解けば、祥子がどの立ち位置だったのかと読み解けたのかもしれませんが、この叙述トリックに似た真相に騙されたまま読めて良かったな、という気持ちの方が大きかったです。
 千年同じ人を愛したとしても、それでも二人が結ばれることはない。これが水神のかけた呪いではありますが、最後まで杏と祥子にかけられたこの呪いが解かれている描写はありませんでした。むしろその結末にならなかったこと自体が、個人的にはとても好みな描かれ方でした。

これまでの思い出と、目の前のこの人とを結びつけるだけの愛を繰り返す。それが、つまらないといえばつまらない。
 ───だってこの愛は、もう完成しているから。
 決して欠けも陰りもしないのだと、互いに知っているのだから。(本文 二九九頁より)

 何回もの輪廻を繰り返している男と女にとっては、どちらかが互いを忘れてしまう呪いすら愛の一部であり、既に完成された関係であると終盤で述べられています。
 呪いによって輪廻転生を繰り返す男女にとって、二人が結ばれるというゴールは絶対に手の届かない場所にあるもので、それを目的に女を愛していた水神イチは呪いをかけたとも、冒頭で杏から語られていました。
 しかし二人にとっての幸福とは、呪いが解けて結ばれる未来ではなく、どんな生き物に生まれ変わろうとも必ず出逢えるという、生における過程そのものだったのではないでしょうか。その過程が詰まった大切なものだからこそ、最後に杏は自分の命を投げ出しても『徒名草文通録』を守ろうと行動を起こし、転生を忘れる前の祥子は杏に「たまには千年ぶんのあなたじゃなくて、今ここにいるあなただけを愛してみたいな」と伝えたのだと僕は解釈しています。可笑しな言い方かもしれませんが、この二人、少なくとも輪廻転生を覚えている杏は『千年を生きている』のではなく『今を生きている』のだと強く感じさせられました。
 完成されたゴールに辿り着くことだけが幸福なのではなく、生きる道のりと日々こそを幸福と呼んでも良いのではないだろうか、と思わせる杏と祥子の関係が、今作では一番心に刺さりました。


 色んな作品で河野先生が、作品のタイトルに英文を添えているのをよく気にしているのですが、今作は特に気に入っています。読み終えた後にタイトルと英文を見ると、少し切ないような、それでいて二人の今生の幸福を祝したいような、不思議な気持ちに駆られました。
 また余談ですが、僕自身カレーがとても好きなので『骨頂カレー』で出るカレーがどんなものなのか、何故カレー屋なのかが描写されるのを楽しみにしながら読み進めていましたが、終ぞ細かくカレーそのものが描かれた場面は出てきませんでした。杏がレシピを知りたがっていた理由のためだけに登場していたのだとしたら、僕にとって今作のカレーは最高の『マクガフィン』となり得たので、とても満足でした。

 今作は、自分自身が取り掛かっている物語の起爆剤になり得るテーマでもあったので、非常に満足度が高かったです。深々と心に突き刺さる物語ではなく、あたたかみに溢れた物語だからこそスラスラと読み進められました。
 幸福と物語について日々考えを巡らせながら、次回作を楽しみに待ちたいと思います。


追記

 テレビにて河野先生がインタビューで「最初から最後まで岡田杏が幸せである小説を書きたかった」と語られていました。ご本人からの解釈も多く聞けて光栄でした。

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