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哲学者と資本主義

竹田青嗣先生の書籍「哲学は資本主義を変えられるか ヘーゲル哲学再考」を読みました。

哲学というと、難しい印象があると思いますが、この本はとてもわかりやすく本質を抽出して説明をしてくれています。

特に哲学がどのように政治や経済など、近代に至るまでの社会に影響を与えてきたのかをつかむことができる本です。

宗教と哲学の違い

社会に大きな影響を与えてきたものと言えば、「宗教」の印象が強いと思います。

宗教と哲学の特質の違いをこの本では、以下のように例えています。

宗教の本質は、人間の生の意味を支えるような何らかの「真理」を共同的に探し求める言語ゲームであると言える。

第1章 哲学の基本方法 P20

これに対して哲学のテーブルは、「真理のゲーム」ではなく、基本的に「普遍性のゲーム」だと言える。誰かが「原理」を置く。するとその言葉の不十分さがテストされる。そこで次の人間がもっと包括的な「原理」を見いだす努力をする。「物語」は世界の意味をいわば何とでも言って創り出す。哲学はちょうどそれと逆向きの努力をする。それは、これこれの問題については、誰もがそう考えざるを得ない、という道筋を探して進む。だから、それは共通概念を用い、常に皆が納得できる思考の始発点(=原理)を探求し直そうとするのである。

第1章 哲学の基本方法 P21

ルソーの社会契約論

哲学者の中でも重要な役割を果たした歴史上の人物の1人として、ルソーの名前があげられています。

ルソーの思想は、「社会契約論」で原理として示されています。

ルソーが「社会契約論」で示した「原理」とはどういうものだったか。普遍闘争状態を制御し、しかもその上で各人の「自由」を確保する「原理」が、1つだけある。戦いが「覇権王」を作り出す前に、社会の成員全てが互いを「自由」な存在として認め合い、その上でその権限を集めて「人民主権」に基づく統治権力を創出すること、これである。

第2章 近代社会の基本理念 P51

ルソーは、社会の全員の合意という原理を考えました。そして、それが根拠に行われる政治の概念を「一般意志」と表しました。


ヘーゲルの精神現象学

そして、タイトルにも名前があるヘーゲルも後世に大きな影響を与えた哲学者として解説されています。

ヘーゲルの主著に、「精神現象学」があります。

このようなことが精神現象学では主張されています。

人間は誰もが自由を求める本性を持っていますが、このため「主」と「奴」の体制が不可避となり、「相互不安」のために戦争で争うことから逃れることができたことがありません。

悲惨な歴史をつくらないための方法は、「自由の相互承認」以外の方法はない、ということが書かれています。

本書の中では、以下のように書かれています。

ヘーゲルの力点はこうだ。ロックやカントは、人間は本来「自由」な存在であり、またそうあるべきだと考えた。ヘーゲルでは、人間は本来自由なのではなく、ただ人間精神はその「自己欲望」の本性から「自由」をめがける本性を持つ。そして各人が自己の「自由」への承認欲求を強く持つことが、主奴の普遍闘争の原因である。人間の精神は「自由」を欲する。そしてむしろそのことが、人間社会の普遍的な主奴構造の根本原因なのである。

第2章 近代社会の基本理念 P63

マルクスから現代へ

後に、このヘーゲルの考え方に批判的な人物が出てきます。

「資本論」を書いたマルクスです。

ヘーゲルの「国家」は、たしかに個々人を主権者とみなし、その自由を「法」によって保証する「近代国家」ではある。しかし、そこに実際にあるのは「想像上の主権」に過ぎない。この社会で実現される個人の「自由」とは、結局のところ、新しい経済関係の中で、富めるものが貧しいものを労働と賃金のもとに隷属させることを可能とする「自由」でしかない。したがって、「国家」の本質は、ヘーゲルの定義を全く「転倒」した形で捉えねばならない。

第2章 近代社会の基本理念 P75

富の分配についての議論が生まれてきました。そして、時代は進み、現代では資本主義の国と、社会主義の国が多くを占めています。

これからも、哲学者は今後の社会に影響を与える存在になるのか、そうではないのか。今まで考えたことのないような視点を得られる本でした。


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