茶道から感じたこと、その2

「型」と「個性」

小学生時に数か月だけ空手を習ったことがあります。「平安二段」をやたら練習してまいた。高校では体育で柔道を選びました。そしてアイルランド留学の時に合気道サークルで「転ぶ」練習をしました。これら振り返ってみてと、これらすべてに「型」があります。会社は行ってもその「型」にまず慣れていかないといけません。そして日常生活も・・・そう考えると日本文化は「型」の文化と言っても過言ではありません。

「型」の文化の代表格でもある茶道は動きのすべてに決まった形があります。体で覚えていくために、ひたすら練習しかありません。

正直に言いますと、たった一杯の抹茶をたてるために、たくさんのルールに縛られて、本当に美味しのかな?と茶道を習う前は思っていました。そんな疑問を抱えながら習い始めてからしばらく時間が経った今、実はここに凄く深いものが秘められていることに気づきました。

茶道だけではなく、柔道や合気道など共通しているのは、稽古の「型」は精神の「型」を形作っているということです。そして、「型」を通じて、個性を生んでいます。

例えば、茶道における手前の型は冬には寒さへの思いやりがあり、盛夏には暑さへの思いやりがあります。道具の由緒に由来する思いがあれば、その思いを満たすものとして「かざりもの」の型があります。お稽古を通じて「型」学び、自分の心を表現することで心の型が練られます。そして、いつしか思いやりの個性が磨かれるのです。

そう考えると、師匠の稽古場にはホテル系やCAの方がいるのは、なるほどと思いました。思いやりが個性化した人ならば、手前座を離れ、茶席でない日常の場面も個性化した思いやりを他者に向けてることが容易になりますね。

実際、「型」の習得が不十分だと個性発露に至らないことがよくあることです。10年前の私は1つ勘違いしたことがあります。

それは、同じ場所にずっといるとそれに染まって、自分の個性がなくなるのではないかと。あるいは、同じ会社に何年もいると、だんだん居心地よくて向上心が薄れていくのではないと思っていました。

しかし、そんなことはないですね。

自分個性を見つけて、磨くのにどうすればよいのでしょうか。


1つの答えとして、磨くためには積極的に真似る、思い切って染まることが有効です。私は日本へ来た時、日本語まったく話すことできませんでした。学校生活、一人暮らし、就職、転職、留学・・・たくさんの出来事や摩擦を経験してきましたが、振り返ってみると、物まねすることで個性がつぶれる程度のものは所詮、自分の個性ではないと思いました。

物まねを繰り返し、それでも自分の中に残り続けるものがある。
その残ったものをさらに鍛え磨いていくと見えてくるものがあります。

それが「個性」ではないでしょうか。


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