北野武監督『首』 君たちはどう暇をつぶすか?という問いかけ【勝手に寄稿】

基本的な感想はこれでした。

本能寺の変を描いた映画『首』。北野武監督によるエログロシュールな2時間の大コント。

人を殺したやつが偉いという社会で、出世と天下取りを目標に日々を生きる武士たちの滑稽な様子が映されていた。

冒頭の川に落ちている武士の死体に、サワガニ達がたかっているカットで「武士の誉れ」を描いた映画ではないことがわかる。強大な自然の中でも、小さなカニとかいう生き物に食われてしまう兵どもがなんとも虚しい。

傍若無人に方言で怒り狂う信長に、「お国の言葉での説教、肝が冷えます」と皮肉をカマす光秀や、とにかく色魔な村重、全てテキトーで楽に出世する秀吉など、監督の解釈で皮肉たっぷりに武将たちが描かれていく。

はたまた、武士に憧れを抱きすぎる農民の茂助や、競い合う武士たちをアホやと一蹴する抜け忍であり芸人の曽呂利なども物語に乱入してくる。

「天下取り」という皆が熱狂するもの、観客からしても物語の大トロのように感じるものを、くだらなくて滑稽なものとして描いており、セリフもギャグもかなりシュールで、ガッハッハと笑えるものでない。SNSで見かけるつまんね~も良く分かる。

そうなんです。つまんないもの、いわば人生という長い時間を過ごすための暇つぶしが描かれた作品だから、つまんない。天下取りという目標は、その時代の権力者たちが熱狂しているから、世の中全体のすげえ目標のように思えるが、所詮誰かの頭で考えた暇つぶしの選択肢にしかすぎない。

天下目前の信長は、生まれた時から遊びじゃ!と叫び身勝手な行動を取りはじめ、狂っていく。終盤には、人間全員を殺して自害したら気持ちがいいのかもしれんな……とその生涯をかけて行ってきた暇つぶしのくだらなさ、終わりのなさを嘆く。

武士の世界へと潜り込んだ茂助は、首を取ることに執着し人を殺す。何度も農民である自分の現実がフラッシュバックする。

始めは、武士たちの生き方をアホらしいと嘲笑していた曽呂利は、芸の道から少しづつ、一度足を洗ったはずの武の道へと寄り道してしまう。

そんな中、テキトーに他人任せに暇つぶしをしてきた秀吉は「首なんぞどうでも良い」と叫びながら、天下統一へと近づいていく。

監督からの問いかけは「君たちはどう暇をつぶすか」だ。天下取りという暇つぶしは現代の金稼ぎと非常に似ている。権力者たちは日々闘い、搾取し、金という首を今日も積み重ねている。あたかもそれが、人生のゴールであるという風に。

首に執着していった武士たちの姿を見て、僕たちはどう暇をつぶすのか。戦国の世と違って、僕たちには暇を潰せるものも、時間もたっぷりと残されている。


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