「オタクの消滅」という話
まえがき:現代社会はオタクに寛容なのか?
オタク。一般的には「ゲーム、アニメ、漫画、フィギュア、SF、特撮などのサブカルチャー(以下、「サブカル」)を好み、そうしたサブカルに精通した人間」を指す言葉だと思います。批評家の東浩紀もオタクを次のように説明しています。
多少、解釈に違いはあれど、大体オタク理解はこのようなものだと思います。『広辞苑』でもオタクは次のように説明されています。
東と広辞苑の両方の説明から「社交性はないが、自分の関心のある分野・物事に対しては異常に詳しい人」をオタクと呼べると思います。本稿では、とりあえずそうした人をオタクと呼びましょう。
詳しくは後述しますが、もともとオタクは「社会に溶け込めない存在」「いい年して子供向け文化にはまっているみっともない大人」というような、どちらかというと忌み嫌われる存在でした。だから、オタクであることを恥ずかしがり隠す人間も多くいました。
ところが、オタクであることを恥ずかしがるどころかむしろ自分の個性として、積極的に社会に向けアピールする人が出てきます。「私はオタクなのだ」とアピールする人が出てきたのです。これは今までのオタク観からしてみれば驚くべき変化です。
若者マーケティング研究機関『SHIBUYA109 lab.』の行った「Z世代のヲタ活に関する意識調査」では、Z世代の約9割は自分をオタクであると周囲に公表しているという驚くべき結果が出ています。
「オタクとは恥ずべきことで、隠すべきことなんだ」という意識がZ世代にはありません。むしろ、Z世代はオタクをかっこいい憧れの存在として見ているという指摘があります。
現代においてオタクとは恥ずべき存在ではなく、憧れの存在となったのでした。
いままでオタクとして、自らの趣味を恥ずかしいと思っていた人々は喜んだでしょう。「なんで俺だけいい年して子供向けアニメを好きなんだ…」と悩んでいたオタクにとって、周りもオタクだと公言する人が増えれば公言しやすくなるでしょう。
オタクを「気持ち悪い」と社会的に排除していた時代からオタクに対してリスペクトする寛容な時代になったのです。こうした変化は一見するとポジティブな変化に見えます。
しかし、私はこうした変化に違和感を覚えます。本当に現代社会はオタクに対して寛容なのか。むしろ、現代社会はオタクへの排除が強まっているのではないか。
こうした違和感を抱かずにはいられないのです。本稿を通してその違和感の正体を説明し、なぜオタクへの排除が強まっていると言えるのか解き明かしていこうと思います。
第Ⅰ章:オタクの歴史
どうして現代社会はオタクに不寛容なのか。それを説明するために、まずはオタクの歴史を見ていきましょう。
「オタク」はもともとひらがなの「おたく」でした。この「おたく」は「おたく族」という用法で使われる差別用語でした。つまり、「おたく」は自称するものではなく、世間から揶揄される言葉として始まったのです。
評論家の岡田斗司夫によれば、「おたく」以前は「ファン」しかいなかったと言います。
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